天来の霊的権威を喜ぶ
コロナ禍が始まって以来、感染対策について、さまざまな人が議論を戦わせて来ました。今も東京五輪の開催に関し、熱い議論が続いています。
今月初め、政府の対策分科会会長である尾身茂さんが、注目の発言をしました。「今の状況で(五輪を)やるというのは、普通はない」と言ったのです。その後、「やるのであれば覚悟を持った感染対策が求められる」とも発言したそうです。
これに対し、田村厚生労働大臣は、こうコメントしたそうです。「参考にさせていただくものがあれば、政府でも取り入れさせていただく。」菅首相は以前から、「安全、安心な大会を実現する」と主張しているとのこと。
こうした発言に関し、多くの人々が意見を述べ、さながら場外大乱闘のようになっています。(開催の是非や無観客にすべきかどうか等、今も議論が続いています。)
コロナ対策の議論には、少なくとも3種類の権威が関わって来たように見えます。
一つ目は政治的な権威。政府や自治体関係者たちの持つ権威です。彼らは法令に基づく感染対策の責任者であり、国民や住民への説明責任を負っています。
二つ目は専門的な権威。研究者や医療関係者等の専門家が持つ権威です。彼らには、科学的な知見や最前線の医療に基づく情報、そして提言が求められます。
三つ目は社会的な権威。マスコミやSNS等を通し、自らの考えを伝える人たちの権威です。彼らの役割は、政府の感染対策や専門家の情報等の適確さを評価し、解説することです。
これら3種類の権威はたいてい主張が一致せず、議論は白熱します。新型コロナは未知のウィルスだったので、そうなるのはなおさら当然とも言えます。
権威とは、人々を従わせる強制力や影響力のことです。政治的権威や専門的権威、社会的権威は、コロナ禍の人々に大きな影響を及ぼして来ました。これらの権威は、人から委任されたもの――つまり、人々がその正当性を認め、自発的に従おうとするものです。
でも聖書には、さらに別の種類の権威が登場します。霊的な権威です。霊的権威は人からではなく、創造主なる神から授けられる力です。その権威を認めるかどうかは、人々の選択次第です。
モーセは、神から霊的権威を授かりました。ユダヤ人はその権威を認め、彼に従ってエジプトを脱出しました。でもエジプト人はその権威を認めず、ファラオの軍団は海の藻屑となりました。
預言者エリヤにも、霊的権威が授けられました。7千人のユダヤ人は、その権威を認めました。でも、それ以外の多くの人々はエリヤの権威を認めず、彼らの祖国は滅亡に向かいました。
バプテスマのヨハネは、エリヤの霊的後継者でした。霊的権威を帯び、多くの人を悔い改めに導きました。でもユダヤ人指導者たちは彼の霊的権威を認めず、ヨハネを捕え、処刑しました。
イエス・キリストは、ヨハネの逮捕後に働きを開始されました。メシアとしての霊的権威を帯びてです。ところがその霊的権威も、指導者たちは認めませんでした。イエス様も死刑にされましたが、その後よみがえり、天に昇られました。
イエス・キリストは今、絶対的な権威を持って全世界を治めておられます。イエス様の霊的権威を認めない人は、残念ながら今もたくさんいます。でもその権威を認め、喜ぶ人には、新しい人生が与えられています。それは、永遠の霊的権威により、あらゆる災いや死の恐れから解放された人生なのです。
「ヨハネのバプテスマは、天から来たのですか、それとも人から出たのですか。」(ルカ20:4)
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