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2021年7月

2021年7月25日 (日)

神の祝福を分かち合う

 さまざまな議論の中、東京五輪が始まりました。「五輪は本来、祝福に満ちた祭典」だと、ある新聞に書いてありました。「スポーツを通した平和の実現を祝うイベント」という意味なのかもしれません。


 近代オリンピックの父・クーベルタン男爵は、オリンピックのあるべき姿について、こう提唱したそうです。「スポーツを通して心身を向上させ、さらには文化・国籍などさまざまな差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神をもって理解し合うことで、平和でよりよい世界の実現に貢献する 。」

 今は全世界が新型コロナとの戦いの最中なので、平和を祝う気にならない人が大多数のように思えます。それでもアスリートの活躍を通し、元気をもらう人もたくさんいるのでしょう。感染の爆発的拡大にならないように、お祈りしています。

 クーベルタン男爵の次の言葉は、有名です。「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある。」この言葉には、元になった別の言葉があったそうです。語ったのは、米国聖公会のエセルバート・タルボット主教。開拓時代の米国西部に、10年間で38の教会を設立した人だそうです。

 1908年、ロンドンで開かれた会議に彼が出席すると、ちょうどそこで五輪が開催されていました。米国と英国のチームが対立し、陰険なムードが漂っていました。そこでタルボット主教は選手や職員を教会に招き、こう語りました。

「競技や賞よりも、もっと五輪自体は良いものだ。」「一人だけが月桂樹の冠をかぶるが、全ての人が平等に競技の喜びを分かち合える。」

 コロナ禍でも競技の喜びを分かち合えるのは、選手や関係者、応援する全ての人にとって、「祝福」と言えるかもしれません。

 天地創造の神は、造られたもの全てを祝福したいと願っておられます。あらゆる生き物を祝福し、「生めよ。増えよ」と、神は言われました。アダムとエバを造られた時も、神は彼らを祝福し、こう言われました。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。」

 多くの人が神の祝福から離れ去ると、神はある特別な人たちを選び、彼らを通して全世界を祝福しようとされました。アブラハムと彼の子孫たちです。

 彼らは神の豊かな祝福を受け取り、その祝福を全世界に広げる役割が与えられました。天地創造の神から特別なメッセージを長年にわたり、彼らは受け取りました。祝福に満ちた生き方について、貴重な教えを授かりました。

 エジプトの奴隷だった彼らは、約束の地に行き、自分たちの国を造ることができました。最盛期には、平和と繁栄も味わいました。その国が滅んだ後も、神は彼らを祝福し、祖国を回復すると約束して下さいました。

 アブラハムの子孫として生まれたイエス・キリストは、全世界に神の祝福を今も広げておられます。神のメッセージを世界中に伝え、祝福に満ちた生き方を教えておられます。

 罪と死の奴隷だった私たちは自由にされ、永遠の国の住まいに向かっています。そこには、限りない平和と繁栄があります。今のこの世が滅んだとしても、神は私たちを祝福し、新たな永遠の世界に住まわせて下さるのです。

 イエス・キリストを通し、私たちは心が新たにされ、文化や国籍等の違いを超えられます。友情や連帯感、犠牲的な愛の精神により、互いを受け入れることができます。永遠に平和な、よりよい世界の実現のために貢献できます。

 罪と死に打ち勝ったイエス様は、天地の王の冠をかぶられました。そして人生のレースを走り終える私たちに、「義の栄冠」を授けて下さいます。全ての人が平等に、神の祝福の喜びを分かち合うことができるのです。

「神はまず、そのしもべを立てて、あなたがたに遣わされました。その方が、あなたがた一人ひとりを悪から立ち返らせて、祝福にあずからせてくださるのです。」(使徒3:26)

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2021年7月18日 (日)

新たな家族を喜ぶ

 私の生まれ育った家は、いわゆる核家族でした。父、母、私、弟の4人が、一つ屋根の下で暮らしていました。父方の祖父母は遠く離れた所にいて、母方の祖父母は早く亡くなっていました。親戚や父の会社関係の人たちとは、たまにしか会う機会がありませんでした。

 その当時、両親はクリスチャンではなかったので、教会との家族ぐるみの関係もありませんでした。お寺や他の宗教関係のつながりも、地域社会のお付き合いもほぼなかったように思います。当時の私の人付き合いは、ほとんど家族と学校関係が中心だったのです。

 その後、私は実家を出て、東京で一人暮らしを始めました。その時も学校のつながりが中心で、それ以外に人間関係が広がることはまずありませんでした。

 函館の教会に導かれたのは20代半ばでしたが、そこでの人間関係は、私にとって新鮮でした。私のような独身の若い人が、たくさん集まっていました。家族連れもたくさんいて、お年寄りもいました。一つ屋根の下に、生まれたばかりの赤ん坊から高齢者までともに集う大家族のようでした。

 月に一度、何カ所かの家庭に分かれて集まる「地区会」もありました。そこに集まる人たちのケアは、牧師でなく、地区会の各リーダーが担当しました。ともに祈り、賛美をし、聖書を学び、食事もしました。それ以外に、年齢層ごとの集まりもありました。

 教会には、生まれも育ちも職業も性格も、まるで違う人たちがいました。でも不思議なことに、一つの家族として支え合う姿がありました。互いに気遣い、自発的に祈り合っていました。誰かに助けが必要な時は、別な人が手を差し伸べました。その家族的な人間関係を体験できたのは、私にとってたいへん有益でした。

 全てを造られた神は、人類のために家族も造られました。アダムには妻としてエバが与えられ、彼らにはカイン、アベル、セツ等の子供たちが生まれました。全人類は彼らの子孫であり、一つの大きな家族です。

 その大きな家の中から、神はアブラハムの家を代表として選ばれました。彼の家にはイサクが生まれ、イサクにはヤコブが生まれました。そしてヤコブ、別名「イスラエル」の家には、12人の息子たちが生まれました。

 飢饉でエジプトに避難した時、イスラエルの家は70人家族でした。でも数百年後、エジプトを去る時には、数百万人の大家族になっていました。

 イスラエルの家族は約束の地に定着し、後にその家にダビデが生まれました。そしてさらに時代が下り、ダビデの王家にイエス様が生まれたのです。

 イエス・キリストは12人の使徒を選び、新たな家族づくりを始められました。旧い契約に勝る新しい契約を通し、誰もがキリストの家族になれる時代が来たのです。

 もはや生まれ育ち、血筋や家柄は関係ありません。学歴や能力、職業や経済力も関係ありません。もちろん、外見や性格も関係ありません。イエス・キリストを信じる人は神の家族となり、永遠の住まいを受け継ぐのです。

 その限りなく大きな家には、全世界から家族が集まります。神の愛で完全に一つとされ、永遠の平和が家族の中にあります。イエス様が造られているこの新たな家族を、私たちはともに喜ぶことができるのです。

「そして、毎日心を一つにして宮に集まり、家々でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、民全体から好意を持たれていた。主は毎日、救われる人々を加えて一つにしてくださった。」(使徒2:46-47)

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2021年7月11日 (日)

新時代の生き証人となる

 大谷翔平選手は今週、メジャーリーグのオールスター戦で、史上初の二刀流出場を果たす予定です。指名打者部門ではファン投票で最多票を獲得、投手部門では選手間投票で5位に入りました。球宴前日のホームラン競争にも出場します。

 現地のジャーナリストも、次のように絶賛しているそうです。「大谷は、メジャーで誰も見たことのないことをやっている。」「大谷は、本当に狂ってる。」「(オールスター戦は彼の)戴冠式になる。」

 二刀流は無理だと考え、「打者に専念した方が良い」と言うスポーツキャスターもいます。でも多くの人が、そのキャスターをこう批判したそうです。「この男は、ただ大谷のことが嫌いなんだ。」「大谷の好きなようにさせてあげるべきだ。」「大谷のおかげで僕らも夢を楽しめているのに、その夢を楽しんではいけないのか?」

 プロレベルの野球は、分業化が進んで来ました。投手は投球に専念し、打者としての活躍はあまり期待されません。投手としての役割も先発とリリーフに分かれ、さらにリリーフも中継ぎや抑え等に分化しています。足の速い選手は、ピンチランナーとしてだけ試合に出ることもあります。

 このような分業化の流れは、いわば野球界の常識でした。かのベーブ・ルースや日本の川上哲治、藤村富美男等も一時、二刀流だったそうです。でも彼らは、選手生活の後半には打者に専念しました。

 大谷選手は、野球界の常識をくつがえし、新時代を築くような大活躍をしているのです。彼の「弟子」とも言える、二刀流に新たに取り組む選手も出て来ているそうです。私たちは、野球の新時代の生き証人となっているのかもしれません。

 全世界を造られた神は、人類の歴史の時代区分にもあらかじめ計画を立てておられました。聖書の証言によると、人類史は少なくとも5つの時代に分かれています。

第一の時代は、天地創造から大洪水直前まで。アダムとエバが罪を犯し、エデンの園を追われ、その後、地上に悪が増大した時代です。

第二の時代は、大洪水からバベルの塔まで。ノアの家族だけが大災害を生き延び、その子孫が世界中に散らされる時代です。

第三の時代は、アブラハムの選びから捕囚の終わりまで。アブラハムとその子孫たちが神から永遠の約束を受け取り、後世に語り継ぐ時代です。

第四の時代は、キリスト降臨から世界宣教まで。イエス・キリストが天の王座につき、世界中にその知らせが伝わる時代であり、今はこの時代になります。

そして第五の時代は、この世が終わり、次の世が始まるまで。世界が一新され、永遠の神の国が完成する時代です。

 イエス・キリストは、誰も見たことのないことをし、世の常識をくつがえされました。聖霊が天から下ったバプテスマの後、戴冠式を終えた王のように、新たな時代を築き始められたのです。

 それは人が罪から解放され、永遠の楽園に向かう時代であり、あらゆる悪に勝る神の恵みが、地上に広がる時代です。新時代にふさわしい愛と慎みに溢れた生き方を、イエス様は弟子たちを通し、全世界の人に示されました。一部の人でなく、全ての国の人が、永遠の約束を受け取れる時代となりました。

 新時代を生きる人は、その生き証人とされます。夢のような新時代を楽しみ、その喜びを証言できるのです。

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となります。」(使徒1:8)

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2021年7月 4日 (日)

新しい契約を喜ぶ

 東京五輪・パラリンピックの開催まで、20日を切りました。さまざまな競技で出場選手が決まったり、前哨戦が行われたりしています。その一方、コロナ禍における大会開催の是非や運営方法についても、議論が沸騰中です。

 先週の朝日新聞の調査では、東京都の有権者の38%が今夏開催に賛成とのこと。逆の言い方をすれば、6割の人が今夏開催に賛成ではないということです。27%の人は再び延期、33%の人は中止と回答したようです。開催する場合は無観客にすべきと考える人は64%。観客数を制限すべきと回答した人は30%です。

 住民投票をして多数決で決めるなら、東京五輪・パラリンピックは今夏開催にはなりません。たとえ開催したとしても、無観客になるはずです。

 ただ、そう簡単な話ではありません。契約があるからです。

 東京五輪については、東京都とIOC(国際オリンピック委員会)との間で「開催都市契約」が結ばれました。この契約によると、大会中止の決定権はIOCだけにあり、東京都には権限がないようです。延期の規定はありませんが、おそらく同じでしょう。日本政府は契約に関わっていないので、契約上の権限は何もありません。

 もし日本政府や東京都の要請で大会が中止になる場合、日本側はさまざまな関係者から損害賠償を求められる恐れがあります。一方、IOC側は全く賠償をしない契約とのこと。これは「不平等条約」とも言える内容で、「大会期間中、東京をIOCの植民地にする契約だ」と言う人もいます。

 コロナ禍対応の「新しい契約」を結べたら良かったのですが、そう都合良くはいきませんね・・・。

 聖書は、契約の書です。記されているのは天地創造の神と人類との間の契約で、紀元前に少なくとも5つの契約が交わされました。

最初は、神が人類の祖先アダムと結んだ契約です。たった一つ約束を守ればアダムとエバは祝福を受け、死ぬことはないという内容でした。ところが彼らはその約束を守れなかったため、人はみな死ぬ定めとなりました。

2つ目は、ノアとの契約です。大洪水後の人類は、洪水で滅びはしないという内容でした。

3つ目は、アブラハムとの契約です。アブラハムが人類の代表として選ばれ、彼と彼の子孫を通して全世界が祝福されるという内容でした。

4つ目は、モーセとの契約です。ユダヤ人が律法を守れば祝福され、守らなければ呪われるという内容でした。残念ながら彼らは律法を守れず、祖国滅亡という呪いを招きました。

5つ目は、ダビデとの契約です。ダビデの子孫が永遠の国の王になるという内容でした。

 イエス・キリストは、神と人類との新しい契約の橋渡しをしに来られました。アダムとエバの罪を背負い、自らを犠牲にして私たちを死から解放されました。ノアの箱舟に乗せるようにして、私たちを滅びから救われました。

 アブラハムの子孫として、イエス様は全世界に祝福をもたらされました。律法を完璧に全うし、私たちをその呪いから自由にされました。そしてダビデの子孫として、イエス様は天の御国の王座につかれました。

 創造主なる神と被造物である人類は、最初から対等の立場ではありません。ですから契約内容は当然、不平等です。でも神の限りない愛により、その契約は人類が永遠の祝福を受け取る内容になっています。この新しい契約を、私たちは心から喜ぶことができるのです。

「食事の後、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による、新しい契約です。』」(ルカ22:20)

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