有終の美を飾る
コロナ禍で、終活に関心を持つ人が増えているようです。女優でタレントの生駒里奈さんは25歳ですが、最近エンディングノートを購入したと聞きました。
今、彼女は健康ですが、コロナ禍により「いつ自分がどうなるか分からない」と考えたそうです。そこで「(必要なことを)書き留めておこうと思った」とのこと。
もし自分がいなくなったら、遺産は弟にあげたいそうです。服は「必要な分以外、全部処分する生活」だそうです。さらに彼女は、こうも言っています。「・・・世の中にあまり未練を持たないように常に生きていたら、後悔しないで生きられる。」
人生、いつ何が起きるか分かりません。突然何か起きても、後悔しないように生きられたら良いですね。
私は今、60歳ですが、まだエンディングノートは購入していません。ただ父が70歳で死んでいるので、私も以前より死を意識するようになりました。父は、エンディングノートを書きませんでした。病気の治療や葬儀等については、家族に任せるつもりだったのでしょう。
そんな父が最後の入院の時、一つだけしたことがあります。それは「自分史」をまとめ、小冊子にすることでした。ラップトップのPCを買い、病床でひらすらキーを打ち続けました。辞書がほしくなり、病院を抜け出して、近くの書店に行ったこともありました。父の死後、母は苦笑しつつ、こうつぶやきました。「あれが死を早めたよね。」
でも自分史を完成した父に、後悔はなかったはずです。その文章を読み、私は以前より父を理解できるようになりました。できれば私も後悔しないよう、元気なうちに自分史を書き遺したいと思います。
旧約の時代にも、人生最後の日々を後悔なく生きた人たちがいました。アブラハムは約束の地に墓地を購入し、先に逝ったサラを葬りました。また息子イサクには、妻となる女性リベカを引き合わせました。アブラハム自身も再婚し、祝福に満ちた晩年を過ごしました。
ヨセフは、エジプトに来た兄弟たちと最後まで仲良く暮らしました。孫やひ孫たちとの楽しい時間もありました。神の約束を固く信じ、いつか必ずカナンに帰るという希望を、ヨセフは語り続けました。
モーセは荒野の旅を終え、ユダヤ人たちに最後のことばを語り、それらを書き遺しました。神の約束の確かさについて、神の守りと訓練について、そして神の祝福と呪いについてです。約束の地の一歩手前で、モーセはヨシュアに指導者の働きを引き継ぎました。
このようなリーダーたちは、人生のレースを最後まで走り抜き、有終の美を飾ったのです。
イエス・キリストも、地上の人生で有終の美を飾られました。最後の3年半で神の国の福音を宣べ伝え、弟子を育てられました。全人類の罪を十字架で帳消しにし、死からよみがえられました。そして弟子たちを用い、イエス様はご自身の教えやエピソードを文章に遺して下さったのです。
弟子の一人ステパノも、人生のレースを最後まで立派に走り、有終の美を飾りました。彼の殉教した姿は、使徒パウロや他の多くの人に強烈なインパクトを遺しました。
イエス様の弟子となる人は、永遠の世界の希望に満たされます。この世でいつ何が起ころうと後悔なく生き、有終の美を飾ることができるのです。
「こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。『主イエスよ、私の霊をお受けください。』そして、ひざまずいて大声で叫んだ。『主よ、この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、彼は眠りについた。」(使徒7:59-60)
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