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2021年8月

2021年8月29日 (日)

有終の美を飾る

 コロナ禍で、終活に関心を持つ人が増えているようです。女優でタレントの生駒里奈さんは25歳ですが、最近エンディングノートを購入したと聞きました。

 今、彼女は健康ですが、コロナ禍により「いつ自分がどうなるか分からない」と考えたそうです。そこで「(必要なことを)書き留めておこうと思った」とのこと。

 もし自分がいなくなったら、遺産は弟にあげたいそうです。服は「必要な分以外、全部処分する生活」だそうです。さらに彼女は、こうも言っています。「・・・世の中にあまり未練を持たないように常に生きていたら、後悔しないで生きられる。」

 人生、いつ何が起きるか分かりません。突然何か起きても、後悔しないように生きられたら良いですね。

 私は今、60歳ですが、まだエンディングノートは購入していません。ただ父が70歳で死んでいるので、私も以前より死を意識するようになりました。父は、エンディングノートを書きませんでした。病気の治療や葬儀等については、家族に任せるつもりだったのでしょう。

 そんな父が最後の入院の時、一つだけしたことがあります。それは「自分史」をまとめ、小冊子にすることでした。ラップトップのPCを買い、病床でひらすらキーを打ち続けました。辞書がほしくなり、病院を抜け出して、近くの書店に行ったこともありました。父の死後、母は苦笑しつつ、こうつぶやきました。「あれが死を早めたよね。」

 でも自分史を完成した父に、後悔はなかったはずです。その文章を読み、私は以前より父を理解できるようになりました。できれば私も後悔しないよう、元気なうちに自分史を書き遺したいと思います。

 旧約の時代にも、人生最後の日々を後悔なく生きた人たちがいました。アブラハムは約束の地に墓地を購入し、先に逝ったサラを葬りました。また息子イサクには、妻となる女性リベカを引き合わせました。アブラハム自身も再婚し、祝福に満ちた晩年を過ごしました。

 ヨセフは、エジプトに来た兄弟たちと最後まで仲良く暮らしました。孫やひ孫たちとの楽しい時間もありました。神の約束を固く信じ、いつか必ずカナンに帰るという希望を、ヨセフは語り続けました。

 モーセは荒野の旅を終え、ユダヤ人たちに最後のことばを語り、それらを書き遺しました。神の約束の確かさについて、神の守りと訓練について、そして神の祝福と呪いについてです。約束の地の一歩手前で、モーセはヨシュアに指導者の働きを引き継ぎました。

 このようなリーダーたちは、人生のレースを最後まで走り抜き、有終の美を飾ったのです。

 イエス・キリストも、地上の人生で有終の美を飾られました。最後の3年半で神の国の福音を宣べ伝え、弟子を育てられました。全人類の罪を十字架で帳消しにし、死からよみがえられました。そして弟子たちを用い、イエス様はご自身の教えやエピソードを文章に遺して下さったのです。

 弟子の一人ステパノも、人生のレースを最後まで立派に走り、有終の美を飾りました。彼の殉教した姿は、使徒パウロや他の多くの人に強烈なインパクトを遺しました。

 イエス様の弟子となる人は、永遠の世界の希望に満たされます。この世でいつ何が起ころうと後悔なく生き、有終の美を飾ることができるのです。

「こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。『主イエスよ、私の霊をお受けください。』そして、ひざまずいて大声で叫んだ。『主よ、この罪を彼らに負わせないでください。』こう言って、彼は眠りについた。」(使徒7:59-60)



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2021年8月15日 (日)

和解の輪を広げる

 今日は、「終戦の日」です。76年前のこの日、昭和天皇はラジオを通し、国民に第2次世界大戦の終結を告げました。全国戦没者追悼式は、今年も日本武道館で執り行なわれました。参列者は例年5千人程度だったのが、昨年はコロナの感染拡大で542人でした。今年はさらに参列者を絞り、過去最少の185人となったそうです。

 追悼の対象は、日本人戦没者約310万人です。このうち230万人は第2次大戦で戦死した旧日本軍軍人と軍属、残り80万人は空襲や原爆等で亡くなった一般市民だそうです。日本の新型コロナの死者数は現在約1万5千人ですから、戦没者310万人は2桁も多い人数です。国を挙げて彼らを悼み、平和を求めて祈るのは、確かに大切と言えるでしょう。

 ただ気になるのは、日本人以外の犠牲者たちにあまり目が向けられないことです。近隣諸国への戦争責任の問題も、いまだにくすぶり続けているように見えます。

 ドイツでは1958年から、福音派の教会を中心とし、草の根の平和運動が始まりました。「行動・償いの印・平和奉仕」という名称の市民団体が設立されたのです。

 彼らの運動は、ドイツの戦争責任への深い反省から生まれました。侵略された国々と和解するため、彼らはさまざまな慈善活動を行いました。毎年180人ものボランティアを募り、欧州各国やイスラエル、米国等で今も活動中です。例えば、高齢者や障害者への支援活動、難民やホームレスのサポート、歴史や政治に関する教育活動、相互理解のためのサマーキャンプ等を実施しています。

 こうした和解の運動は、政府より一般市民、特にクリスチャン中心の方が良いのかもしれません。日本のクリスチャンの中にも、戦争責任の謝罪運動をする人たちがいます。将来的に日本と近隣諸国との間にも、和解の輪がさらに広がるように願っています。

 和解は、聖書の大きなテーマの一つです。人類が互いに和解するには、先ず天地創造の神との和解が不可欠だと、聖書は語っています。アダムとエバが神を裏切って以来、人類は神との平和な関係を失いました。神との和解は条件が整わず、なかなか成立しませんでした。

 和解には、謝罪と赦しが必要です。加害者は自分の非を認め、被害者に心から謝らなければなりません。お詫びのしるしとして、被害者に何かを差し出す場合もあります。被害者は加害者の謝罪を受け入れ、赦すことが求められます。こうしたプロセスを経て、加害者と被害者との間に和解が成立します。

 アダムとエバの裏切りは、人類の側に非がありました。つまり人類が加害者で、神が被害者でした。誠意をもってすぐ謝罪すれば、神は赦して下さったかもしれません。でもアダムとエバには謝罪の気持ちがなく、言い訳をして責任転嫁しようとしました。その結果、和解には途方もなく長い時間がかかったのです。

 イエス・キリストは、神との和解の道を私たちに開いて下さいました。人類を代表し、イエス様は神への裏切りを心から謝罪されました。お詫びのしるしとして、自らの命を差し出されました。天地創造の神はその謝罪を正式に受け入れ、キリストとともに謝罪する人を赦して下さるのです。

 イエス様は、人類史上最大の懸案だった創造主なる神との和解に、最終的な解決をもたらされました。イエス・キリストを通し、神と和解した人は、この限りない恵みを周りの人に伝えることができます。天地創造の神との和解の輪を、草の根の運動を通し、全世界に広げられるのです。

「こうして、神のことばはますます広まっていき、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。また、祭司たちが大勢、次々と信仰に入った。」(使徒6:7)

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2021年8月 8日 (日)

恥から自由にされる

 コロナ禍かつ酷暑の五輪は、今日が最終日です。多くの人の期待通り、メダルを獲得した選手たちがいました。期待を超えて活躍した選手たちもいました。一方、思うような結果を残せなかった選手たちもいました。

 バスケットボール男子の日本代表は今回、「史上最強チーム」だったそうです。5年前、Bリーグと呼ばれるプロバスケットボールリーグが日本に生まれ、海外のトップ選手も加わり、日本の競技レベルはアップしました。さらに八村塁選手や渡辺雄太選手らが米国に行き、NBAプレーヤーとして腕を磨きました。

 でも残念ながら日本代表は東京五輪で一つも勝てず、予選で敗退しました。主将の渡辺選手は、こうコメントしています。「世界と戦えている時間はあったので、間違いなく成長している。みんな全力を出し切ったと思う。・・・(同じく全敗した2年前の)W杯みたいに“日本の恥”だとは、僕は思っていない。」

 恥とは、名誉を損なう事実や行為を意味します。そうした事実や行為により、生まれる感情を意味する場合もあります。「日本の恥」とは、日本の国の名誉を損なう結果になったという意味なのでしょう。

 でも、もし選手たちがフェアプレーで立派に戦い、全力を出し切ったなら、日本の名誉は損なわれないはずです。たとえ大敗しても、それは相手の実力が上だったということで、不名誉だと感じる必要もありません。

 選手たちを応援する私たちも、この点をよく理解すべきです。期待された結果が出なくても、彼らを「日本の恥」扱いしてはなりません。立派に戦った選手たちは、結果にかかわらず、「日本の誇り」と言えます。彼らは、数多くの日本のアスリートを代表して五輪に出場し、スポーツを通して「平和でよりよい世界の実現に貢献」したはずだからです。

 人類史上初めて恥をかいたのは、アダムとエバの夫婦でした。彼らは最初、裸でエデンの園に暮らし、何の恥ずかしさも感じませんでした。ところが禁断の木の実を食べ、罪を犯すと、すぐに彼らは自分たちの体をいちじくの葉で覆いました。神に見られないように、木陰に身を隠しました。裸を恥と感じるようになったのです。史上初の罪という不名誉な行為は、「人類の恥」「世界の恥」となりました。

 でも創造主なる神は、人類をこの恥から救う計画を立てておられました。その計画の一環として、神はユダヤ人をエジプトから脱出させて下さいました。奴隷という不名誉な立場に置かれる恥から、神は彼らを解放されたのです。

 その後、ユダヤ人たちは、「第二の出エジプト」も体験しました。度重なる罪という不名誉な記録を残した末、彼らは祖国滅亡とバビロン捕囚という大恥をかかされました。でも神は彼らをその恥から解放し、ユダヤ人は再び約束の地に帰ることができたのです。

 イエス・キリストは、「人類の恥」「世界の恥」から私たちを解放して下さいました。身代わりの十字架により、イエス様は人類の罪を帳消しにされました。このお方を信じる人は、罪による恥から解放され、名誉ある人生が与えられます。この世のメダルも貴重ですが、それより遙かに重要なのは、永遠の栄光に輝くゴールに達することです。

 イエス様は、私たちの恥を名誉に変えて下さいます(恥も変われば役に立つ!笑)。私たちは神の国の選手団として、恥がかき乱す世界に永遠の平和の光を輝かせることができます。神が、私たちを「人類の誇り」「世界の誇り」として用いて下さるのです。

「使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。そして毎日、宮や家々でイエスがキリストであると教え、宣べ伝えることをやめなかった。」(使徒5:41-42)

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2021年8月 1日 (日)

救い主の名を告げ知らせる

 五輪の報道では日々、新たなヒーローやヒロインたちの名前が紹介されています。先週月曜日は、西矢椛さんが、一躍脚光を浴びました。13歳の可愛らしいスケートボード選手が、金メダリストの日本最年少記録を塗り替えたからです。日本で初めて、21世紀生まれの金メダリストにもなったそうです。これまでの日本の最年少記録は、水泳の岩崎恭子さんで、メダルを獲得した29年前は14歳でした。

 スケートボード(通称スケボー)は今回初めて五輪種目になりましたが、基本的に「指導者」がいないそうです。師弟や上下関係がなく、自由に楽しむ空気に惹かれる若い人が多いとのこと。西矢選手も競技中、楽しくてずっと笑っていたという話です。スケボーの楽しさが、彼女を通して世界中に発信されたかもしれません。(「僕もやろうかな」と言ったら、すぐ妻に止められました。笑)

 西矢選手は兄の影響を受け、5歳の頃からスケボーを始めたそうです。センス抜群で、日本代表のコーチはこうコメントしています。「板に乗る感覚がずば抜けている。基礎がしっかりしている。」

 「椛(もみじ)」という漢字の名前を、私は今回初めて見たように思います。この漢字が名前に使われ始めたのは、2004年頃からだそうです。「木に花が咲くように力強く生きてほしい」という願いが、彼女の名前に込められているとのこと。将来の夢は、プロとして活動し、「世界で知らない人がいないくらい有名な選手になる」ことだそうです。とてつもなく大きな夢ですね。

 天地創造の神は、世界的に有名な人々を次々と世に送り出されました。アダムとエバは、禁断の木の実を食べ、エデンの園から追い出された夫婦として有名です。ノアは、箱舟で大洪水を生き延びた人として名前が知られています。

 無名だったノアの子孫たちは、自分たちの力で有名な建築家になろうと考えました。バベルの町に、世界最大の塔を建て始めたのです。でも残念ながら、それは神のみこころに反していました。神はその塔を破壊し、そこにいた人々を世界中に散らされました。神のみこころは、無名で控え目なアブラハムという人を選び、神の力で彼を有名にすることだったのです。

 アブラハムは、死ぬまで有名にはなりませんでしたが、彼の子孫たち――特にモーセ、ダビデ、ソロモン等は、世界史に名を残す有名人になりました。子孫たちが祖先の名を語り継ぐことにより、アブラハムは世界的に有名になったのです。

 イエス・キリストも、世界的な有名人となりました。弟子たちが、全世界でその名を語り続けたからです。弟子の中にも、世界的な有名人が生まれました。例えばペテロやパウロ等の使徒たち。バレンタインやニコラウス、フランシスコ・ザビエル等、カトリック教会の聖人たち。ルターやカルヴァン等の宗教改革者たち。シュバイツァー博士やマザー・テレサ等のノーベル平和賞受賞者たち――。

 でも彼らが有名になったのは、彼ら自身の力以上に、神の力が働いたからです。彼らにとっては、自分の名前より救い主の名が知られる方が重要だったはずです。

 有名な人もそうでない人も、救い主の名を告げ知らせる世界的な働きに加わることができます。私たちクリスチャンにも夢があります。それは、世界中でイエス様の名を知らない人がいなくなるという、果てしなく大きな夢なのです。

「この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人間に与えられていないからです。」(使徒4:12)

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