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2021年9月

2021年9月26日 (日)

「世間体」から解放される

 イスラム教国では、「宗教警察」と呼ばれる政府や民間の組織があるそうです。アフガニスタン、イラン、マレーシア、ナイジェリア、サウジアラビア、スーダン等の国々です。

 「宗教警察」はイスラムの教義に反する行為を監視し、指導する役割を担っています。市内を見回り、欧米の影響を受けた服装や女性の派手な化粧、未婚の男女交際等を取り締まります。クリスマスやバレンタインのプレゼントも監視対象です。

 捕えられたり、暴力を振るわれたり、ひどい場合は処刑されることもあるとのこと。国際社会からは、人権侵害だと批判されて来ました。コロナ禍の今は、外出や経済活動の制限を人々が守っているか監視するケースもあるようです。

 コロナ禍に現れた日本の「自粛警察」は、「宗教警察」と似ているとも言われます。

 感染拡大に伴い、日本政府はロックダウン(都市封鎖)ではなく、不要不急の外出や経済活動の自粛を国民に要請しました。要請ですから、法的強制力も罰則もありません。要請に応じない人も、たくさんいます。そのような人たちに対し、「自粛警察」は電話や張り紙等で嫌がらせや脅迫をするようです。

 近所同士が、互いに「自粛警察」の役割を果たす場合もあるようです。ある人は、田舎に住む父親から「帰って来るな」と言われました。感染を避けるためではなく、別のこんな理由が告げられたそうです。「感染者の多い地域から帰省すると、周りから非難され、近所付き合いができなくなる。」

 一般市民が互いに監視し合う日本の社会には、「世間体」の呪縛があると指摘する人もいます。

 旧約時代のユダヤ人たちは、天地創造の神の助けを受け、「世間体」の呪縛から解放されました。アブラハムは神の導きに従い、約束の地に向かいました。彼はその時、メソポタミア社会の世間体から解放されました。

 モーセも神のことばに従い、ホレブの山からエジプトの王宮に向かいました。モーセはその時、元殺人犯に対する世間体から解放されました。

 出エジプトのユダヤ人たちは、荒野で40年間、神から訓練を受けました。その訓練を経て、彼らはエジプト社会の世間体から解放されました。

 ネヘミヤは神の助けを最後まで信じ、エルサレムの城壁を再建しました。ユダヤ人たちはその時、彼らを負け犬と見る近隣諸国の世間体から解放されたのです。

 イエス・キリストは、全世界の人々を「世間体」の呪縛から解放されました。イエス様の働きを通し、1世紀のユダヤ人たちは律法主義に縛られた世間体から解放されました。社会の脱落者たちを無条件に受け入れる神の大きな愛を、彼らは体験したのです。

 使徒ペテロも、特別な体験をしました。神に導かれ、彼は異邦人の家を訪問しました。そこで彼は、初めてある真実に目が開かれました。ユダヤ人だけでなく異邦人をも、神は深く愛されていることです。当時のユダヤ社会の世間体では、全く考えられないことでした。ユダヤ人だけが神に選ばれた特別な民族で、異邦人は汚れた存在だと見なされていたのです。

 ペテロの体験は、全世界の人が世間体の呪縛から解放される一つのきっかけになりました。私たちは今、日本でも世間体からの解放を告げることができるのです。

「・・・これで私は、はっきり分かりました。神はえこひいきをする方ではなく、どこの国の人であっても、神を恐れ、正義を行う人は、神に受け入れられます。」(使徒10:34-35)

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2021年9月12日 (日)

起死回生に望みをかける

 コロナ禍の今、世界中で多くのクリスチャンが新たな形の迫害を受けています。オープン・ドアーズという団体の報告によると、インドではクリスチャンが支援物資を受け取れず、就職できないことも多いそうです。他の国でも、クリスチャンには家族や地域、国からの助けがないケースが多く見られます。

 感染爆発以来、多くの国でクリスチャンへの暴力は減りました。ところが、アフリカ諸国では逆に3割ほど増えたそうです。クリスチャンの多い村落・数百カ所が、イスラム過激派に乗っ取られたり、荒らされたりしました。

 中国はAI(人工知能)を搭載した監視システムを作り、国内使用の他、63カ国に輸出しています。輸出先にはクリスチャンを迫害するミャンマー、ラオス、イラン、サウジアラビア等も含まれるそうです。

 昨年1年間で、3億4千万人のクリスチャンが世界各地で激しい迫害や差別を受けました。4,761人のクリスチャンが、信仰のゆえに殺害されました。4千以上の教会やクリスチャンの建物が襲われ、4千人以上の信者が捕えられました。

 これらの背景には、次のような理由があります。第一に北朝鮮等の独裁国家では、クリスチャンが危険分子と見られること。第二にイスラム教諸国やヒンズー教中心のインド等では、クリスチャンは排除すべきよそ者と見られること。第三に、クリスチャンは過激派グループに狙われること。第四に、多くの国々では信教の自由が保障されないこと。

 それでも米国オープン・ドアーズのCEOであるデイビッド・カレーさんは、こう語っています。「クリスチャンが迫害されても、教会は滅びません。『荒野に道を、荒れ地に川を設ける』という神のことばの実現を、私たちは目の当たりにしているのです。」

 天地創造の神は、渇き切った地を湧き水で潤されます。危機的状況を一気に立て直す、「起死回生」の奇跡を神は起こして下さるのです。アブラハムとサラの夫婦は年を取り、彼らに子供が生まれるとは考えにくい状況になりました。でも神は、二人にイサクの命を授けられました。

 彼らの子孫はエジプトで迫害され、滅び失せそうでした。でも神は数々の奇跡の末、彼らをエジプトから解放されました。ユダヤ人数百万人は荒野で40年キャンプし、餓死してもおかしくない状況でした。でも神は毎日、彼らに水と食料を与えられました。

 その後、彼らの祖国は滅び、ユダヤ人は敵地に連れ去られました。皆殺しにされそうな時もありました。でも神は、ユダヤ人をその危機から救い、故郷に帰らせました。真っ暗なトンネルを抜けた先に、新たな道を神は造っておられたのです。

 イエス・キリストは、その「道」です。死からよみがえる「起死回生」の道を、イエス様は全ての人に開いて下さいました。

 「キリストのからだ」である教会も、起死回生を繰り返しました。ステパノの殉教後、弟子たちは迫害され、教会は滅びそうになりました。しかし神は、散らされた弟子たちを用い、周辺地域に教会を拡大されました。

 迫害に熱心なパリサイ人の一人サウロは、教会にとって大きな脅威でした。するとイエス様はサウロに直接語りかけ、彼を弟子にしてしまいました。その後もローマ帝国で、クリスチャンへの迫害が長く続きました。でも教会は決して滅びず、ついにはローマ皇帝まで仲間に加わったのです。

 今も世界中で、多くの迫害があります。コロナ禍で、教会活動も制限されています。それでも、教会は決して滅びません。どんなに厳しい状況でも、神の起死回生の奇跡に、私たちは望みをかけることができるのです。

「こうして、教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリアの全地にわたり築き上げられて平安を得た。主を恐れ、聖霊に励まされて前進し続け、信者の数が増えていった。」(使徒9:31)

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2021年9月 5日 (日)

今できることに力を注ぐ

 東京パラリンピックは、今日が最終日です。今回は第16回ですが、最初の大会は1948年にロンドンで開催されました。第2次世界大戦で背骨を痛めた傷痍軍人向けの競技会で、リハビリが目的だったそうです。

 始めたのは、ユダヤ人の医師ルートヴィヒ・グットマンさんです。「パラリンピックの父」と呼ばれる彼はドイツで生まれ育ちましたが、ナチスのユダヤ人迫害が始まり、家族とともにイギリスに亡命。そこで傷痍軍人の治療に力を尽くし、彼らの体力と自尊心の回復にはスポーツが有効だと考えました。

 傷痍兵たちに対し、グットマン医師はこうも言ったそうです。

 「失ったものを数えるな、残されたものを最大限に生かせ。」

 今回のパラリンピック参加選手の皆さんも、残されたものを最大限に生かしていたようです。私の印象に残った選手の一人は、宇田秀生さんです。

 宇田選手は滋賀県生まれの34歳。8年前、仕事中の事故で右腕を失いました。結婚式の5日後で、妻の亜紀さんは妊娠中でした。一命をとりとめ、目覚めた時に初めて、宇田さんは自分の右腕を失ったと知りました。絶望から彼を救ったのは、亜紀さんのこんな言葉だったそうです。

 「大丈夫、なんとかなるよ。」

 もともとスポーツマンだった宇田さんはリハビリの延長で水泳を始め、その後トライアスロンにも挑戦。そして今回の大会で見事、銀メダルを獲得しました。ゴール直後に号泣する姿は、実に感動的でした。宇田選手はできないことを思うのではなく、できることに力を注ぎ、メダルを手にしたのです。

 旧約の時代にも、失ったものを嘆かず、残されたものを最大限に生かす人たちがいました。ヨセフは奴隷として売られ、家族と故郷を失いました。でも彼は突然の不幸に絶望せず、自分ができることに力を注ぎました。ポティファルの家でも、監獄でも、ファラオの王宮でも、ヨセフの生き方は変わりませんでした。彼は神からの知恵を最大限に生かし、委ねられた働きを忠実に行ったのです。

 ルツは夫を失い、義理の父や弟も失いました。でも彼女には、姑のナオミが残っていました。年老いた姑とともに自分の故郷を去り、ルツは落ち穂拾いで生活を支えました。そしてついに再婚し、ナオミの老後を世話する男の子まで産んだのです。

 預言者ダニエルはバビロンの王宮に連れて行かれ、家族と故郷を失いました。偶像礼拝を拒否した彼は、命まで失いそうになりました。でもダニエルは決して絶望せず、神のことばを語ることに力を注ぎました。

 イエス・キリストは地上に来られた時、「いつでもどこにでもいる」という神の性質を一時的に失われました。「永遠に死なない」という神の性質も一時的に失われました。

 その時イエス様は、人としてできることに最大限の力を注がれたのです。――1世紀のユダヤ人たちに、神の国の福音を直接伝えること。弟子たちと一緒に生活し、具体的に愛をあらわすこと。そして十字架で死に、復活した姿を彼らに見せることです。

 弟子たちは迫害され、エルサレムでの交わりを失いましたが、彼らも自分たちができることに力を注ぎました。散らされた先で福音を伝え、弟子の仲間を増やしたのです。

 神は今、コロナ禍の私たちにも何かできることを計画されています。それらに最大限の力を注ぐ時、神は私たちを祝福し、豊かな実を結ばせて下さるのです。

「・・・その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。・・・散らされた人たちは、みことばの福音を伝えながら巡り歩いた。」(使徒8:1,4)

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