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2021年10月

2021年10月31日 (日)

地の果てに光を照らす

 「地の涯(はて)」という名のホテルがあります。北海道の東の果て、知床の奥地にある温泉宿です。「日本で唯一の泊まれる世界自然遺産」だそうです。

 原生林をバックに、川のせせらぎを聴きつつ入浴できる岩風呂があります。オホーツク海の海の幸や地場野菜の味わい豊かな料理があります。世界自然遺産の森を眺め、深い緑の香りを楽しみながらゆっくりくつろげる客室があります。羅臼岳や知床連山の登山口のすぐそばです。時には、近くでヒグマやエゾシカを目にすることもあるようです。

 知床には、私はまだ行ったことがありません。ホテルの案内を見ると、いつか行きたい気持ちになりますね。「地の涯」という名も、たいへん魅力的です。

 「地の果て」という言葉は、聖書に繰り返し登場します。モーセにとって「地の果て」とは、多くの異邦人が住む遠い場所のことでした。ダビデにとっては、約束の地の外に広がる異邦人の土地でした。預言者イザヤにとって「地の果て」とは、神のさばきを受ける外国の国々のことであり、同時に救い主の恵みが及ぶ場所でもありました。預言者ゼカリヤも、救い主の支配は地の果てにまで至ると語りました。

 天地創造の神は、全世界を造られました。ですからもちろん神にとっては、世界中の一人ひとりが「かけがえのない存在」です。アブラハムとその子孫が全世界の代表として選ばれたのは、彼らを通してあらゆる民族が祝福されるためでした。ユダヤ人を熱く愛される神は、同時に地の果ての異邦人のことも深く愛しておられるのです。

 地の果ては、ほぼ全体が暗闇に閉ざされていました。ほとんどの人が天地創造の神から離れ、偶像の神々を拝んでいたのです。

 アブラハムの出身地メソポタミアでも、さまざまな神々が祀られました。ユダヤ人を奴隷にしたエジプトにも、あらゆる神々がいました。カナンの地の人々も、たくさんの神々を拝みました。イスラエルを占領支配したバビロニア、ペルシア、ギリシア、ローマでも、それぞれの神々が祀られました。

 もちろんそれ以外の異邦の国々も、さらに別の神々を拝んでいました。インドや中国、日本も例外ではありません。地の果ての闇は深く、真の神の光がなければ、真理ははっきり見えなかったのです。

 キリストの弟子たちが地の果てまで遣わされた背景には、そんな歴史がありました。

 ユダヤ人の感覚では、世界の中心はエルサレムです。全世界の王である天地創造の神の神殿が、そこにあったからです。 エルサレムにいた弟子たちは復活の主の光に照らされ、救いの真理を知りました。そして彼らは、世の光として全世界に送り出されました。

 アンティオキア教会からは、バルナバとサウロが異邦人宣教のため送り出されました。地の果ての暗闇に、救い主の光が照らされるためです。

 今は私たちが、この日本に遣わされています。知床まで行かなくても、私たちの今いる場所は、エルサレムから見れば十分に「地の果て」です。偶像礼拝の闇に覆われています。私たちはこの暗闇に光を照らし、救い主の真実を伝えることができます。どんな温泉宿にも勝る、永遠の住まいの限りない恵みをとことんPRできるのです。

「・・・見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。主が私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」(使徒13:46-47)

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2021年10月24日 (日)

救いを知る

 新型コロナの感染者数が、日本では劇的に減少しています。なぜ減ったのか、専門家もよく分からないそうです。ワクチン接種が進んだためかもしれません。感染リスクの高い行動を人々が控えたためかもしれません。暑さが和らぎ、換気しやすくなったためかもしれません。あるいはウィルスが変異し、症状が出にくくなったのかもしれません。

 コロナ禍が終わったとはまだ断言できないので、今後も感染予防に十分気をつける必要があります。それでも緊急事態宣言解除とともに、多くの人が外を出歩くようになっているようです。観光地にもたくさん人が集まる様子が、報道されていました。少なくともしばらくの間は、緊急事態からの解放を喜ぶ人が多いのでしょう。

 昨年の感染拡大以来、世界中の人々が「コロナ禍からの救い」を切に願って来ました。それがどのような形で来るのか、最初の頃は特に分かりませんでした。多くの人が手探りで、パンデミックからの解放を求め続けました。

 例えば、マスクやアルコール消毒、アクリル板やフィジカルディスタンシング、ステイホームや換気の徹底、ワクチンや治療薬等々・・・。変異ウィルスの弱毒化を期待する声もありました。経済的に打撃を受けた人たちには、政府の支援金も多少は「救い」になったかもしれません。

 「救い」とは、一般的に危機的な状況や苦しい境遇から助け出されることです。感染が収束し、コロナ禍の危機や苦しみから早く抜け出せるように、多くの人が願っています。

 「救い」にはまた、心の平安や慰めという意味もあります。自由な外出や観光旅行等で気分転換できるのは、「コロナ禍からの救い」の大切な一部分と言えるのでしょう。

 救いは人間の努力によらず、天地創造の神の力によるというのが、聖書の教えの基本です。人間の側にも、もちろん努力すべきことはあります。ただ座って待てば良いのではありません。でも最大限の努力をしても、人間の力では及ばない領域があります。

 感染防止に努めても、最新のワクチンを打っても、ウィルスに感染する人はいます。政府の支援策があっても経済的に行き詰まり、絶望する人もいます。ワクチン接種後に副反応で亡くなる人もいます。今のコロナ禍を乗り越えたとしても、もっと強力な別のウィルスが将来猛威を振るう可能性もゼロではありません。

 それでも私たちには、希望があります。どんなに危機的で苦しい状況でも、神は私たちを変わらずに愛し、救って下さるという希望です。人の理解をはるかに超えた方法で、神は救いの道を開いて下さるのです。

 イエス・キリストの救いは、そのような救いです。人類は、危機的な状況にあります。大多数の人が天地創造の神から離れ、滅亡への道をひたすら突き進んでいす。多くの人は、迫り来る危機について何も知りません。危機を知らせても、不都合な真実から目をそらし、何の用意もしない人たちもたくさんいます。

 ここで重要なポイントは、人間の力だけではその危機を乗り越えられないということです。滅亡を避けるには、天地創造の神と和解し、神の力に頼るしかありません。イエス様は、その和解の道を私たちに開いて下さったのです。

 イエス・キリストによる救いは、死や滅亡からの救いです。罪や破滅的な生き方からの救いでもあります。この救いを知る人は、心に平安が与えられます。他のあらゆる危機からの救いも信じ、期待することができます。その人は、救い主なる神の限りない愛を信じることができるからです。

「そのとき、ペテロは我に返って言った。『今、本当のことが分かった。主が御使いを遣わして、ヘロデの手から、またユダヤの民のすべてのもくろみから、私を救い出してくださったのだ。』」(使徒12:11)

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2021年10月 3日 (日)

新たな教会を生み出す

 以前、私たちの教会で通訳をしていたある人が、先週ママになったことを知りました。生まれたばかりの小さな女の子と一緒に撮った写真を、SNSにアップしていました。遠く離れた地にいて、直接会うことができなくても、たいへん嬉しい気持ちになりました。世界のどこにいてもそんな写真や動画を簡単に見られるのは、インターネット時代の祝福の一つですね。

 独身時代に私たちの教会で通訳をし、ママになった女性は、これで3人目だと思います。たいへん有能だった彼女たちは、きっとママとしても十分にその役割を果たしてくれるのでしょう。写真や動画の投稿を通し、子供たちの成長を見るのが楽しみです。

 世界の人口は、増え続けています。国連の調査によると、2021年の世界人口は78憶7500万人で、昨年に比べ8千万人増加したそうです。人口が最も多い国は中国で、14億4千万人。2位はインドで、13億9千万人。3位は米国で、3億3千万人。以下、インドネシア、パキスタン、ブラジル、ナイジェリア、バングラデシュ、ロシア、メキシコと続きます。人口が減りつつある日本は今、11位です。

 先進国では、コロナ禍で子供を産む人が減ったそうです。感染やワクチン接種、経済的な不安等が原因のようです。でもその他の地域では子供が増え続け、発展途上国では深刻な不況により、飢餓人口が劇的に増加したそうです。8億人以上が栄養不足で、23億人以上が食料確保に不安があるとのこと。

 たくさん子供が生まれても、食べ物がないと困りますね。彼らを愛し、大切に育ててくれる家族も不可欠です。世界中の子供たちが良き家庭に恵まれ、肉体的にも精神的にも健やかに育ってほしいと願っています。

 神の子供として新たに生まれる人たちにも、愛に満ちた神の家族が不可欠です。エルサレムで信仰をもった弟子たちはユダヤやサマリアの地に散らされ、そこでさらに新たな弟子が生まれました。その動きはローマ帝国各地へ広がり、弟子の集まりである教会=神の家族も増え広がりました。やがて教会は欧州全土に広がり、カトリック教会や正教会が生まれました。

 宗教改革以降は、さまざまなプロテスタント教会が生まれました。その後も世界宣教の働きはとどまることがなく、北米や中南米、アジアやアフリカにも次々と新たな教会が生み出されました。2000年前、エルサレムに誕生したたった一つの教会は、今や全世界で数え切れないほどの数の教会となっています。

 これだけ増え広がった大きな理由は、教会が新たな弟子をつくり、新たな教会を生み出したからです。迫害され、エルサレムを追われた弟子たちは、行く先々で弟子をつくり、教会を生み出しました。

 ピリポはサマリアで教会をつくり、エチオピアにも新たな弟子を送り出しました。サウロはイエス様と出会った後、すぐに伝道を開始し、ダマスコに生まれた教会の働きを助けました。ペテロは、カイサリアで異邦人教会誕生のお手伝いをしました。

 そしてシリアのアンティオキアにも、異邦人が集う新たな教会が誕生しました。神はその教会を用い、さらに多くの教会を生み出す計画を立てておられました。

 愛に満ちた神の家族を生み出し、弟子を健やかに育てる神の計画の中に私たちも今、生かされているのです。

「ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。」(使徒11:20-21)

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