地の果てに光を照らす
「地の涯(はて)」という名のホテルがあります。北海道の東の果て、知床の奥地にある温泉宿です。「日本で唯一の泊まれる世界自然遺産」だそうです。
原生林をバックに、川のせせらぎを聴きつつ入浴できる岩風呂があります。オホーツク海の海の幸や地場野菜の味わい豊かな料理があります。世界自然遺産の森を眺め、深い緑の香りを楽しみながらゆっくりくつろげる客室があります。羅臼岳や知床連山の登山口のすぐそばです。時には、近くでヒグマやエゾシカを目にすることもあるようです。
知床には、私はまだ行ったことがありません。ホテルの案内を見ると、いつか行きたい気持ちになりますね。「地の涯」という名も、たいへん魅力的です。
「地の果て」という言葉は、聖書に繰り返し登場します。モーセにとって「地の果て」とは、多くの異邦人が住む遠い場所のことでした。ダビデにとっては、約束の地の外に広がる異邦人の土地でした。預言者イザヤにとって「地の果て」とは、神のさばきを受ける外国の国々のことであり、同時に救い主の恵みが及ぶ場所でもありました。預言者ゼカリヤも、救い主の支配は地の果てにまで至ると語りました。
天地創造の神は、全世界を造られました。ですからもちろん神にとっては、世界中の一人ひとりが「かけがえのない存在」です。アブラハムとその子孫が全世界の代表として選ばれたのは、彼らを通してあらゆる民族が祝福されるためでした。ユダヤ人を熱く愛される神は、同時に地の果ての異邦人のことも深く愛しておられるのです。
地の果ては、ほぼ全体が暗闇に閉ざされていました。ほとんどの人が天地創造の神から離れ、偶像の神々を拝んでいたのです。
アブラハムの出身地メソポタミアでも、さまざまな神々が祀られました。ユダヤ人を奴隷にしたエジプトにも、あらゆる神々がいました。カナンの地の人々も、たくさんの神々を拝みました。イスラエルを占領支配したバビロニア、ペルシア、ギリシア、ローマでも、それぞれの神々が祀られました。
もちろんそれ以外の異邦の国々も、さらに別の神々を拝んでいました。インドや中国、日本も例外ではありません。地の果ての闇は深く、真の神の光がなければ、真理ははっきり見えなかったのです。
キリストの弟子たちが地の果てまで遣わされた背景には、そんな歴史がありました。
ユダヤ人の感覚では、世界の中心はエルサレムです。全世界の王である天地創造の神の神殿が、そこにあったからです。 エルサレムにいた弟子たちは復活の主の光に照らされ、救いの真理を知りました。そして彼らは、世の光として全世界に送り出されました。
アンティオキア教会からは、バルナバとサウロが異邦人宣教のため送り出されました。地の果ての暗闇に、救い主の光が照らされるためです。
今は私たちが、この日本に遣わされています。知床まで行かなくても、私たちの今いる場所は、エルサレムから見れば十分に「地の果て」です。偶像礼拝の闇に覆われています。私たちはこの暗闇に光を照らし、救い主の真実を伝えることができます。どんな温泉宿にも勝る、永遠の住まいの限りない恵みをとことんPRできるのです。
「・・・見なさい、私たちはこれから異邦人たちの方に向かいます。主が私たちに、こう命じておられるからです。『わたしはあなたを異邦人の光とし、地の果てにまで救いをもたらす者とする。』」(使徒13:46-47)
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