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2021年11月 7日 (日)

苦しみの先を楽しみに生きる

 高木慶子(よしこ)さんという、カトリックのシスターがいます。1936年熊本生まれで、85歳です。

 曽祖父の高木仙右衛門さんは、伝説の隠れキリシタンでした。彼は江戸・明治時代の長崎で捕えられますが、拷問に耐えて信仰を守り通しました。キリシタン禁教が解かれた後、全財産を投じて赤痢患者の救護や孤児救済、そして教会建設に力を尽くしたそうです。

 ひ孫である慶子さんは、父親から仙右衛門の話をこう聞かされました――「ほんとに神様だけがすべてだった。」その信仰を受け継いだ慶子さんは、中学2年の時に神の声を聞き、修道院に入る決心をしました。

 当時の修道院は今よりずっと規律が厳しく、とても辛かったそうです。でも今は、こう思っています。「あの苦しみに私は耐えて生き抜いて来られたんだ。ありがたい。」

 高木シスターは自らの体験を土台とし、苦しむ人や悲しむ人に寄り添う活動を何十年も続けて来ました。「生と死を考える会」を通して、人々が死の準備をする手助けをし、また家族を亡くした人のそばで悲しみを共有し、その人の心が癒されるお手伝いもして来ました。

 余命わずかな人に彼女は、お願いを3つするそうです。1つは、人生で出会った全ての人に「ありがとう」と言うこと。2つ目は、してきた悪い行いについて「ごめんなさい」と言うこと。そして3つ目は、関わった全ての人に天国での再会を約束することだそうです。

 最初は怒る人もいます。でも心に寄り添い、話を続けるうちに、ほとんどの人が素直になるとのこと。頑なだった人の心が死を前に柔らかくなり、穏やかな表情になるのは、この上ない喜びだそうです。そんな喜びを体験できる人は、幸いですね。

 旧約の時代にも、苦しみを乗り越えた人たちがたくさんいました。アブラハムとサラは何十年もの間、跡継ぎが生まれない苦しみを耐え抜きました。

ヤコブは、愛する息子ヨセフを失った痛みを長い間感じ続けました。

モーセは、人を殺めた過ちに40年間苦しみました。その後は、言うことを聞かない人々を導く苦しみに40年間耐えました。

ナオミは夫と息子たち、そして全財産を失う苦しみを味わいました。

ダビデは、家族内の数々のトラブルに苦しみました。

エリヤは、自らの命懸けの労苦が無になる苦しみを経験しました。

エレミヤは、国の指導者が神のことばを無視し、国を滅ぼす愚かさに苦しみました。

そしてヨブは、子供たちを亡くし、重病になり、妻から見捨てられ、友人たちからは非難される苦しみを耐え忍びました。

 イエス・キリストは、私たちをこの世の苦しみから永遠に解放しに来られました。アダムとエバが罪を犯して以来、世界は苦しみに満ちています。人類は悪い霊に支配され、全地は闇に覆われています。私たちの人生には、あらゆる苦しみが待ち構えています。

 イエス様は、そんな私たちに寄り添って下さいました。あらゆる苦しみの根元にある罪を、十字架で帳消しにされました。そして死の苦しみに勝利し、人類に復活のいのちをもたらされました。

 イエス・キリストを信じる人は、人生のあらゆる恵みに目を留め、神に感謝できます。神の御前で素直に罪を認め、謝ることができます。クリスチャン同士であれば、永遠の神の国で再会する喜びも共有できます。

 どんな苦しみの中でも、私たちはその先に広がる永遠の世界を楽しみに生きることができます。隠れキリシタンの高木仙右衛門さんも、きっとそんな生き方をしたはずです。

「二人は・・・リステラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返して、弟子たちの心を強め、信仰にしっかりとどまるように勧めて、『私たちは、神の国に入るために、多くの苦しみを経なければならない』と語った。」(使徒14:21-22)

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