神の恵みをともに喜ぶ
女優の山口智子さんは先日、牧師になったそうです。NHKで放映されたドラマの話です。残念ながら私は視聴できませんでしたが、亀梨和也さんが演じる天才弁護士のストーリーだったそうです。
初めての牧師役について、山口さんは次のようにコメントしました。「聖書を通して『人はどう生きるべきか』を考えることは、新鮮な感動でした。法の道を歩む者、神の道を歩む者、それぞれの道を生きながら探し続ける『正義』への答え……。役を演じながら、私も自分の心に問いかけていきたいと思います。」
日本のクリスチャン人口は、総人口の0.3%と言われます。牧師の数はそれより1桁は少ないはずで、女性牧師はさらに少数派です。山口智子さんは、めったにない貴重な役を演じる機会を得ましたね。
メディアで紹介された牧師役の山口さんは、白いブラウスに黒いベストというモノトーンの服装でした。牧師のイメージはやはりモノトーンかと、妙に納得しました。男性が牧師役だったら、黒い詰め襟シャツに白いカラーという出で立ちだったのかもしれません。
私も子供の頃、牧師はそういう服装だと思っていました。近所の教会で、そんな格好の牧師たちを目にしたからです。でも20代の頃、私が洗礼を受けた教会では、牧師は背広にネクタイ姿でした。ハワイの教会では、牧師はアロハにショートパンツでした。初めてその姿を見た時は、カルチャーショックでした。
よく考えれば、牧師がどんな格好をすべきか、聖書に書いてありません。周りに配慮した服装であれば、何を着ても自由なはずです。詰め襟でも背広でもアロハでも、どんなスタイルでも私たちは天地創造の神を礼拝し、その恵みを喜ぶことができます。
時代や文化の垣根を越え、キリスト教会は大きく変化して来ました。エルサレムに初めて教会が誕生した時は、ユダヤ人だけの集まりでした。彼らはモーセの律法を守り、土曜日に集会を持ちました。食物規定を守り、神殿で動物の生け贄を献げました。男性は割礼を受け、女性は髪を布で覆いました。多くの人は質素な一枚布の服を着ましたが、お金持ちの祭司たちは高級服だったようです。
その後、異邦人が弟子に加わると、教会は一変しました。彼らはイエス・キリストを信じても、ユダヤ文化には染まらなかったのです。エルサレムの神殿に行くことも、食物規定を守ることもなくなりました。男性は、割礼を受けなくなりました。
ローマ皇帝が信者になった後の教会は、ローマ風になりました。立派な会堂が建設され、礼拝者は土曜日でなく、日曜日に集まるようになりました。そして特別な祭服をまとった聖職者が、旧約時代の祭司のようにおごそかに儀式を執り行なうようになったのです。
宗教改革以来、プロテスタント教会では新約聖書の原則に立ち返る運動が始まりました。ある人たちは、土曜日に集まるようになりました。別の人たちは会堂でなく、家で礼拝するようになりました。聖職者を任命せず、集まった人が交代でみことばを語る教会も生まれました。
多くの音楽家たちは聖書からインスピレーションを受け、さまざまな賛美を作曲しました。心を合わせて救い主を賛美するため、聖歌や賛美歌が礼拝の重要な一部となりました。あらゆる楽器を用い、現代的な賛美を何曲も続けて歌うムーブメントも広がりました。
集まる人々や牧師の服装も、今や教会によってまちまちです。昨年からコロナの感染を避け、オンラインで礼拝する教会も増えました。あらゆる文化や表現方法を通し、私たちは今、神の恵みをともに喜ぶことができるのです。
「私たちは、主イエスの恵みによって救われると信じていますが、あの人たちも同じなのです。」(使徒15:11)
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