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2022年1月

2022年1月30日 (日)

神の恵みの語り部となる

 今月22日、核兵器禁止条約の発効から1年が経過したそうです。核兵器を全面的に禁止し、将来的に核廃絶を目指す初めての国際条約です。これまで86の国と地域が参加の意思を表明し、59カ国が批准しました。でもアメリカ、ロシア、中国などの核保有国や、日本、ドイツ、ノルウェーなど核の傘の下にある国々は、条約に参加していません。

 ただドイツとノルウェーは、今年3月に初めて開催される条約締結国の会議にオブザーバーとして参加予定とのこと。日本の参加も期待されますが、今のところ日本政府は不参加の模様です。

 岸田首相は広島選出で、親戚にもたくさん被爆者がいるそうです。唯一の戦争被爆国の首相として、悲惨な体験を二度と繰り返さないように、具体的なアクションを取ってほしいですね。

 核兵器の悲惨さを知るには、被爆者の体験談を聞くことが不可欠です。長崎市の隣町・長与町で被爆した松本隆さんは、そうした語り部の一人です。

 松本さんは10歳の時、おつかいの途中でまぶしい光を見ました。瞬間的に地面に伏せると、雷が落ちたような爆音と生ぬるい熱風が体を吹き抜けたそうです。数日後、親戚を訪ねて、母や姉と一緒に爆心地の浦上に向かいました。道には焼死体が転がり、ひどい悪臭が漂っていました。


 戦後、家族はガンで次々に亡くなりました。でも松本さんは、自分の体験談を人に語れなかったそうです。当時の恐怖をうまく伝える自信がなかったのです。爆心地から遠かったため、語る資格がないようにも感じました。

 ところがある日、見たものをありのまま証言する別の被爆者の話を聞き、胸を打たれたそうです。余計な工夫をしなくても伝わると実感し、それから自分も体験談を語り始めました。被爆証言の灯を消さないため、語り部をさらに増やしたいと松本さんは今、願っているそうです。

 天地創造の神は、アブラハムとその子孫を語り部に選ばれました。辛く悲しい体験ではなく、悲しみが喜びに変わった恵みの語り部です。アブラハムには、年老いても跡継ぎがいない悲しみがありました。でも彼は奇跡的に子どもを授かり、その恵みを後世に伝えました。

 ヨセフは兄弟に裏切られ、さらに無実の罪で牢獄に入る不幸も味わいました。しかしその後、不思議な導きでエジプトの支配者となり、その恵みを彼は兄弟たちに語りました。

 逃亡犯だったモーセは語り部に選ばれた時、一度は辞退しました。自分はふさわしくないという理由でした。でも神の選びに間違いはなく、その後40年、モーセは恵みを語り続けました。

 お金持ちで正直者のヨブには、不幸が続きました。財産の全て、子供たち全員、さらには自らの健康まで失いました。妻や友人たちからは、冷たい言葉が浴びせられました。でもその後、彼は以前より遙かに祝福され、その恵みを後の世代に語ったのです。

 イエス・キリストは、信じる人全てを神の恵みの語り部にして下さいます。使徒パウロは、かつてキリストの敵対者でした。永遠に呪われ、不幸な死に方をしてもおかしくありませんでした。でもイエス様は彼を選び、恵みの語り部として大いに用いられました。

 イエス様は、私たちをも用いて下さいます。私たち一人ひとりを違う場所に遣わし、神の恵みを語らせて下さいます。この世でどんな不幸が訪れようと、私たちは悲しみが喜びに変わる幸いを語れます。イエス様が永遠の平和をもたらす恵みを、私たちは体験できるからです。

「・・・私たちの父祖の神は、あなたをお選びになりました。あなたがみこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるためです。あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです。」(使徒22:14-15)



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2022年1月23日 (日)

キリストの「推し活」に全てをささげる

 「推し活」という言葉が、昨年の新語・流行語大賞にノミネートされたそうです。アイドルや俳優、アニメのキャラクター等、自分が好きな対象を熱心に応援する活動のことです。

 「推し」とは元々、アイドルグループの中で一推しのメンバーを意味する「推しメン」を、さらに省略した言葉とのこと。具体的には、こんな活動をするそうです。

1)推しに会う――ライブや舞台、イベントに参加する。

2)推しに触れる――動画鑑賞やSNSの閲覧をしたり、写真集を買ったりする。

3)推しに染まる――推しのグッズを身につけたり、推しのイメージカラーの物を揃えたりする。

4)推しを広める――周囲の人に推しの魅力を語る、「布教活動」を行う。

5)推しを感じる――一人静かに推しのことを思い、推しの存在を感謝する。

 推しの誕生日や記念日をお祝いしたり、ゆかりの地を訪問する「聖地巡礼」を行う人もいるそうです。

 「推し」がいると、まるで恋をしているかのように、毎日がキラキラ輝くと言う人もいます。推しの幸せを願い、推しの頑張りに励まされ、どんなに辛い時も前向きな気持ちになれるそうです。

 さらに、こんなことを言う人もいます。「舞台やライブのチケット代と休暇のため、仕事や勉強を頑張れるようになった。」「推しに見合う自分であろうと思い、勉強や仕事、美容の意識が高まった。」「推しのイメージダウンにならないよう、ファンとして言動に気をつけるようになった。」「推し活をしていたら、趣味の合う良い友だちができた。」

 まだ推しがいない人には、こんな見つけ方を提案する人もいます。1)推しがいる人の話を聞いてみる。2)ひとまず気になる作品に触れてみる。3)もっと深く調べてみる。4)推しになりそうな対象のため、先ずお金を使ってみる。(???)

 2年前のある調査によると、推し活関連の消費は6千億円以上にも及ぶそうです。でも、ある人はこう言ったとのこと――「これは『浪費』ではなく、『愛』なのです。」

 天地創造の神は、人類の長い歴史を通し、熱心なファンを増やして来られました。応援ではなく奉仕や礼賛という形で、唯一の神の「推し活」をする人が世界中に増え広がりました。

 この推し活の始まりは、メソポタミア出身のアブラハムからです。彼の出身地ウルの町では、「ナンナ」という名の神が祀られたそうです。月と暦を司る神とされていました。でもアブラハムは天地創造の神が推しとなり、その推しを感じ、広める活動を始めました。

 彼の子孫は、代々その推し活を受け継ぎました。先祖の言い伝えを通して推しに触れ、推しに染まりました。荒野にいたモーセはある日突然、推しに会いました。その後、彼はエジプトに行き、推しを広めました。

 そしてダビデ王はソロモンを通し、エルサレムに神殿を建てさせ、そこを彼らの推し活の本拠地にしたのです。

 イエス・キリストの弟子たちは推しに会い、人生が一変しました。彼らはエルサレムから世界中に遣わされ、推しを感じ、推しを広める活動を続けました。

 私たちは今、聖書のことばを通し、推しと出会い、推しに触れることができます。祈りや賛美を通し、推しを感じることができます。日々の生活を通し、推しに染まり、推しを広めることもできます。推しの励ましによる喜びがあり、どんな時も前向きに生きることができます。

 私たちがキリストの推し活に持てる物の全て、命さえささげたとしても・・・、それは「浪費ではなく愛」なのです。

「すると、パウロは答えた。『あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。』」(使徒21:13)

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2022年1月16日 (日)

神のことばを生涯の友とする

 親友のいない若者が増えているそうです。昨年、テレビ朝日が紹介したある調査によると、2001年の大学生の半数以上は、親友がおもな相談相手でした。ところが2020年には、その割合が39.7%に減ったそうです。親友ではなく、親に相談する人が増えたとのこと。コロナ禍の今は、大学で友人をつくるのも難しそうですね。

 2018年に行われた別の調査では、20~60代の男女1,348人に、親友と呼べる人の人数について聞きました。すると男女とも3割以上の人が、親友はいないと回答したそうです。

 親友とは、たいへん親しくて信頼できる友人のことです。何でも打ち解けて話ができ、どんな時も味方してくれる人です。自分の良き理解者で、的確な助言をしてくれる存在でもあります。一緒にいると安心感があり、前向きな気持ちになれる人でもあります。そんな人がいつもそばにいてくれたら、私たちは心強いですね。

 「幸せな友人と一緒にいると幸福感が高まる」という研究結果もあるそうです。幸福感は伝染するようですね。確かに親しい友だちに良いことがあって、幸せそうに笑っていたら、自分も嬉しい気持ちになれそうです。

 それとは逆に、不幸な気持ちも伝染するようです。ネガティブな人の表情を見ていると、ストレスが増えるという研究があります。そんな人と一緒に過ごすと、顔の表情や姿勢、声の出し方、動作まで似てくるそうです。

 不幸を嘆く人のそばに寄り添い、慰め、励ますことは、もちろん大切です。でも自分もネガティブになり、一緒に不幸のどん底に沈まないように気をつけなければなりません。親しい友人が不幸な時は、別の誰かから幸福感をいただき、「お福分け」ができると良いですね。

 天地創造の神は私たちの親友となり、幸福感を高めて下さるお方です。神は、人類の代表だったアブラハムの生涯の友となって下さいました。故郷を離れ、父の家も出たアブラハムには、妻以外に親友と呼べる人はいませんでした。でも神が親友となり、常にアブラハムの味方をされたのです。奇跡的に生まれた子は老夫婦に幸せをもたらし、アブラハムは全世界に祝福のお福分けができました。

 モーセにとっても神は、親友になりました。彼は神と直接対面し、何でも打ち明けました。モーセの難しい立場を神は良く理解し、いつも彼の味方をされました。暗い過去から解放されたモーセは、不幸を嘆く奴隷たちの子を約束の地まで導きました。

 ダビデにとっても、神は親友のようでした。絶体絶命の時も、神はダビデの味方でした。ダビデが罪を犯した時も、神は預言者ナタンを遣わし、正しい道に連れ戻されました。ダビデを悔い改めに導き、世継ぎが生まれる幸せで満たして下さったのです。

 イエス・キリストは、この神ご自身であり、神のことばです。誰でもこのお方を信じる人は、イエス様が親友になって下さいます。どんな時もともにいて味方をして下さる、頼もしいお方です。

 私たちは、誰よりも良き理解者であるイエス様に何でも相談し、最高の助言をいただけます。このお方と一緒にいるなら、私たちは平安で満たされ、前に進む力が与えられます。どんなに厳しい逆境も、このお方の助けにより、勇気をもって乗り切れます。

 イエス様は、私たちを祝福で満たすことを喜びとしておられます。このお方が生涯の友であるなら、私たちは周りの人に永遠の祝福のお福分けができるのです。

「今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。」(使徒20:32)

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2022年1月 9日 (日)

異教の地でキリストを語る

 今年の初詣客は、昨年に比べ大幅に増加したそうです。コロナ感染が拡大した昨年の正月三が日の人出は、関東で人気の初詣スポットでは前年の3割程度でした。明治神宮や川崎大師、成田山新勝寺等の場所です。政府の要請等があり、鉄道の終夜運転がなかったことも影響したようです。

 でも今年の正月は感染者が減り、自粛要請も特になく、鉄道の終夜運転も行われました。すると多くの人が初詣に行き、明治神宮の人出は去年の1.9倍、川崎大師や成田山新勝寺では1.8倍だったそうです。

 コロナ流行前よりはかなり少ないようですが、それでもそれらの初詣スポットに、それぞれ百数十万人が集まったと思われます。消毒液やビニールカーテン等、コロナ対策もとられたそうですが、そんな中、寒い三が日にも初詣する人たちは、熱心な信者の群れのように見えました。

 明治神宮はその名の通り、明治天皇とその皇后だった昭憲皇太后を祀っています。実業家・渋沢栄一も、神宮創設を目指す有志委員会のメンバーだったそうです。明治神宮は亡き天皇皇后の霊を敬い、礼拝するための神殿ですが、商売繁盛や家内安全、試験合格や厄払い等の祈りもするようです。

 川崎大師は真言宗のお寺で、弘法大師・空海の像を本尊として祀っています。本来は空海を供養するお寺ですが、厄除けや交通安全、安産等の祈りもするそうです。

 成田山新勝寺も真言宗のお寺ですが、こちらの本尊は仏の一つである不動明王の像です。煩悩を抱える人々を力ずくで救うと言われています。新勝寺によると、祈れば必ず御利益があるとのこと。そんな御利益を期待して、多くの人が初詣に出掛けるのでしょう。

 その昔、エーゲ海岸の古代都市・エペソにあったアルテミス神殿も、似たような場所だったようです。今は原形をとどめていませんが、かつては古代世界の七不思議の一つに挙げられました。最初の神殿は紀元前700年頃建てられ、その後何回か建て直されたそうです。その神殿の巨大さは、見た人の度肝を抜くほどだったと記されています。

 アルテミスは、もともとギリシアの神話で純潔を守る狩人の女神でした。ところがエーゲ海の対岸にあるエペソでは別の神々と融合し、アルテミスは全く違った性格を持ちました。豊かな収穫やたくさんの子宝をもたらす女神と信じられたのです。多くの人はそんな御利益を求め、アルテミス神殿に集まったのでしょう。

 この女神信仰の本拠地にも、イエス・キリストの福音を喜んだ人々がいました。イエス様は、世界中の人をあらゆる偶像の束縛から解放しに来られたからです。

 バベルの地から世界中に散った人々は、天地創造の神に背を向け、さまざまな偶像を拝みました。アルテミスや不動明王のように、神話の神々を拝む人たちがいました。弘法大師や明治天皇のように、特別な権威を持った人間を拝む人たちもいました。動植物や太陽、山、岩等を拝む人たちもいました。でもそれらの偶像を拝む行為は全て間違いだと、聖書は断言しています。

 多くの人は偶像礼拝の因習にとらわれ、本当の神が分からなくなっています。イエス・キリストは、そんな因習から私たちを救いに来られました。

 このお方を信じる人は、天地創造の神を礼拝する神殿の一部とされます。その人は、異教の地でもキリストの素晴らしい恵みを語れるようになるのです。

「こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった。」(使徒19:20)



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2022年1月 2日 (日)

天来のビジョンに導かれる

 「人生100年時代」が到来すると言われています。もともとは、ロンドンビジネススクールの2人の教授が提唱した言葉だそうです。リンダ・グラットンとアンドリュー・スコットという先生方です。

 彼らの予測では今後、世界で長寿化が急激に進み、将来的には先進国の半数の人が100歳を超えて生きるようになるそうです。そうなると、これまでとは異なる新しい人生設計が必要になるかもしれません。

 これまでの人生設計は、3段階が一般的だったそうです。「20年学び、40年働き、20年休む」というパターンです。ところが多くの人が100歳まで生きるようになると、年齢による区切りがなくなるとのこと。学び直しや転職、長期の休暇など、人生の選択肢の多様化が予想されるそうです。

 グラットン博士は、日本に向けてこうも語っています。「世界でいち早く長寿化が進む日本は、他の国々のお手本になれます。」

 でも今のところ、日本で人生100年のビジョンを思い描く人は、それほど多くなさそうです。株式会社オレンジページは、「人生100年時代」について日本に住む20歳以上の女性1,400人に聞きました。100歳まで長生きしたいと思う人は、全体の13.2%でした。65.3%の人は、100年も長生きしたいと思わないそうです。

 例えば、こんな理由が挙げられています。「100歳まで健康でいられそうにない。」「あまり長生きすると、家族に迷惑をかけそうだ。」「お金に不安がある。」「そんなに長く生きて、何をしたら良いか分からない。」(笑)

 コロナ禍をきっかけに、老後の健康不安を以前より強く感じる人も増えたようです。

 一方、「100歳まで長生きしたい」と回答した人は、幸せを感じるため特に2つのことを重視しています。一つは家族との関係で、もう一つは友人との関係です。周りの人との良い関係は、100年間幸せに生きる秘訣の一つなのかもしれません。

 聖書の中には、長生きした人が大勢登場します。ノアの時代以前には、900年以上生きた人がたくさんいました。その人たち全てに900年間の長期ビジョンがあったかというと、大いに疑問です。

 バベルの大事件後、人類の代表に選ばれたアブラハムの寿命は175年でした。彼の大きな転機は75歳の時、神の導きに従い、約束の地を目指したことでした。その時までは、75歳以降の祝福の人生は全く想像もつかなかったに違いありません。

 モーセの生涯は、120年でした。彼は80歳の時、神から「ミッション・インポッシブル=不可能な任務」を仰せつかりました。ユダヤ人をエジプトから解放し、約束の地に導くミッションです。人生最後の40年にそんな大きな使命が用意されていることなど、モーセは全く思いも寄らなかったでしょう。神が彼の人生に描かれたビジョンは、モーセ自身の思いを遙かに超えた、素晴らしい祝福に満ちていたのです。

 私たちも、自分の人生全体に明確なビジョンを描くのは難しい部分があります。私たち自身より、私たちの全てを完璧にご存知なのは、全知全能の神です。

 神は一人ひとりの人生について、素晴らしい祝福に満ちたビジョンをお持ちです。さまざまな方法を通し、神は私たちに語りかけ、進むべき道を示して下さいます。このお方と良い関係を築き、天来のビジョンに導かれる人は、幸いな人生を生きることができます。周りの人々との関係も祝福されます。

 この祝福は、100年どころの話ではありません。イエス・キリストを信じる人には、「人生永遠時代」が到来します。最高に幸せな人生が、永遠に続きます。天来のビジョンに導かれ、私たちは「人生永遠時代」の生きたお手本になれるのです。

「ある夜、主は幻によってパウロに言われた。『恐れないで、語り続けなさい。黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるので、あなたを襲って危害を加える者はいない。この町には、わたしの民がたくさんいるのだから。』」(使徒18:9-10)

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