人の励ましとなる
先日の冬季五輪では、励ましのシーンを繰り返し見たように感じます。スキージャンプ混合団体で高梨沙羅選手は、1回目失格になりました。スーツの規定違反と言われ、彼女は泣き崩れました。するとそばにいたドイツチームのスタッフが肩に手を添え、慰めの言葉をかけました。ポケットからティッシュを取り出し、差し出しました。「沙羅が一日でも早く回復し、元気になることを願っています」と、メッセージも残したそうです。
スピードスケート女子パシュートの決勝では、高木奈那選手が最後のカーブで転倒しました。泣きじゃくり、崩れ落ちる奈那選手をチームメートが抱きかかえ、励ましました。
カーリング女子日本代表は、点差が開いても一投ごとに大声で励まし合いました。笑顔を絶やさぬ彼女らの姿勢はチームメートを勇気づけただけでなく、対戦チームからも称賛されました。そうした映像を見て励まされた人も、多かったかもしれません。私もその一人です。
多くの人は、励ましを必要としています。人生は、上手くいくことばかりではないからです。自分のするあらゆることが報われ、いつも表彰台の真ん中に立つような日々だったら、人生は全てバラ色かもしれません。でも実際には、そんな人生はありません。時には灰色や暗黒、そしてブルーな日がある――それが、私たちの人生の現実です。
人から理不尽な扱いを受け、絶望感を味わう時があるかもしれません。思わぬアクシデントで周りに迷惑をかけ、残念な思いに満たされる瞬間もあるかもしれません。思うように力を出せず、悔しい思いを持つ時もあるかもしれません。
そんな時の温かい慰めや励ましは、私たちの心に染みます。新たな力が注がれ、私たちが再び前に進むきっかけにもなり得ます。
聖書は、そんな励ましのエピソードに満ちています。天地創造の神は、励ましのエキスパートなのです。アブラハムの家から追い出されたハガルには、深い絶望感がありました。息子とともに荒野をさまよい、飲み水もなくなった彼女は、座り込んで泣くしかありませんでした。そんな彼女を神は励まし、井戸のありかも教えて下さいました。
夫や息子たちを失ったナオミも、お先真っ暗でした。たった一人で故郷に帰り、どん底の老後を送ろうとしていました。でも神は彼女に最高の励まし手を遣わし、財産を回復させ、孫まで与えられたのです。
ツァレファテに住むシングルマザーは、息子とともに餓死寸前でした。食料が底をつき、手に入る見込みもなかったのです。神はその家に預言者エリヤを送り、彼女を励まされました。食材は尽きないと約束し、その約束を守って下さったのです。
イエス・キリストは、全ての人に励ましを与えて下さいます。愛する弟子の一人にイエス様は裏切られ、敵対者たちに捕えられました。理不尽な裁判の末、何の罪もないのに十字架につけられました。天地創造の神なのに人として死に、墓に葬られました。でも、その絶望的な状況を打ち破る奇跡が起こりました。墓からよみがえられたのです。
イエス・キリストを信じる人は、神の驚くべき奇跡を体験できます。どんなに厳しい状況に陥っても、私たちには不滅の希望があります。イエス様は御自身のいのちを犠牲にするほど、私たち一人ひとりを深く愛しておられます。どんな困難の中でも私たちを支え、励まして下さいます。
使徒パウロはイエス様から励ましを頂き、周りの人たちを励ましました。私たちも同じように人の励ましのため、イエス様が用いて下さるのです。
「ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。」(使徒27:25)
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