良心を保つ
北京五輪が開幕しました。日本選手の活躍が日々、報道されています。そこに参加できた選手たちや素晴らしい結果を残した選手たちは、大きな称賛に値します。
冬季五輪がどこで開催されようと、彼らのすることにおそらく大きな違いはなかったでしょう。本番で最高のパフォーマンスを発揮できるように、彼らは日々厳しい訓練を積み重ねて来たはずです。競技中はフェアプレーに徹し、勝利の栄冠を目指して全力を尽くします。それはアスリートとしての良心に従い、平和の実現を求めるオリンピック精神に沿った行動だと言えます。
創造主なる神は、彼らに飛び抜けた運動能力を与えられました。その力を十分に活かし、他の人の励ましになることを、神はきっと喜んで下さるでしょう。
ところが五輪開催地に何か問題があると、話は複雑です。今回の問題は、中国政府の人権抑圧です。
目に見える物しか認めない共産主義政権は、目に見えない存在を信じる人々を弾圧して来ました。仏教徒やクリスチャンへの迫害も継続中ですが、今はウイグル族の迫害等がクローズアップされています。彼らの多くはムスリムで、強制的に施設に収容され、共産主義や現政権に関する再教育が行われているようです。
人権抑圧に抗議し、北京五輪に政府関係者を派遣しない国々がありました。開催に抗議するデモも、世界各地で行われました。トルコ・イスタンブールのデモに参加したある女性は、8年前に子供4人を連れ、避難して来たそうです。夫や親族と今も音信不通の彼女は、涙ながらにこう語りました。「人々が良心に従うなら、五輪を阻まねばならない。開催を認めれば、虐殺を許すことになる。」
彼女の家族や親族を含め、抑圧された人々が解放され、中国でも信教の自由が認められるようにお祈りしています。
良心とは、善悪を判断し、正しく行動しようとする心のことです。この善悪判断のモノサシは本来、一人ひとりの心に備わっていると聖書は語っています。全ての人は、良心ある存在として造られているのです。
ところがエデンの園の大事件が、今なお人々の良心に暗い影を落としています。人類共通の祖先アダムとエバが、(リンゴではなく)善悪を知る知識の木の実を食べた事件です。それ以降、人類は神のみこころに関係なく、勝手に善悪を判断するようになりました。
人々の心は次第に神から離れ、善悪のモノサシが狂い始めました。ケンカや殺人を平気で行い、人を力でねじ伏せ、支配する人々も現れました。良心を全く持たないように見える人たちもいます。人々の善悪のモノサシは、正常に働かなくなってしまったのです。
イエス・キリストは、私たちの良心を回復させに来て下さいました。イエス様を信じる人は、良心の源である神との壊れた関係を修復することができます。神の完璧な基準に基づき、狂いが生じた善悪のモノサシを修正できます。人を押さえつけ、傷つけるのは悪いことだと、正しく判断できるのです。
全ての人は、神に造られた大切な存在です。神は私たち一人ひとりを愛し、それぞれの人生に素晴らしい祝福の計画をお持ちです。
私たち一人ひとりは、神からそれぞれ異なる力が与えられています。ある人は、運動能力に秀でています。別の人は、知的能力に優れています。音楽的な才能に恵まれた人もいます。いるだけで周りを和ませるような、柔和な人格を持つ人もいます。
それぞれ異なる私たちが良心を健やかに保ち、互いに平和な関係を築くことを、神は願っておられるのです。
「そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。」(使徒24:16)
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