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2022年3月

2022年3月20日 (日)

天命を果たす

 私がクリスチャンになったのは37年前、24歳の時です。函館の教会で洗礼を受けましたが、その時、神にこう言われたように感じていました。

「洗礼を受けて、わたしのことばを語りなさい。」

 私が果たすべき天命は、牧師になり、聖書の教えを語ることだと思いました。すぐ神学校に行くつもりでしたが、当時の牧師から別の提案がありました。教会の働きの実際をまだ知らないだろうから、しばらく奉仕を手伝ったらどうかという提案です。

 そこで私は函館の教会に住み込み、1年数ヶ月にわたり「丁稚奉公」のように訓練を受けました。その後数年間、所沢で教会開拓のお手伝いをしたのも、訓練の続きでした。それは、天命成就への準備期間だったのです。

 途中でさまざまな問題が発生し、何度もくじけそうになりました。でもその都度、神は私を助け、導きを与えて下さいました。最高の同志で、同労者である妻も与えられました。

 思ったより時間がかかり、牧師になるのに結局10年かかりました。函館の北隣にある七飯町の教会に赴任し、10数年間そこで神のみことばを語りました。私はその町を愛し、ずっとそこで暮らすつもりでした。でも神は、思いも寄らぬ計画を持っておられました。妻と私は、再び所沢の教会に導かれたのです。

 その教会は、私たちが以前いた頃と全く様変わりしていました。初めて会う異文化の人ばかりで、分からないことだらけでした。そんな中、私はただ天命に従い、みことばを語って来たつもりです。

 失敗や足りない点は、多々あったかと思います。それでも、所沢の教会に集った皆さんがそれぞれ天命を果たせるよう、少しでもお役に立てたなら感謝です。

 創造主なる神は、私たち一人ひとりに果たすべき天命を用意しておられます。ノアの天命は、箱舟を造ることでした。彼はその天命に従い、あらゆる生き物と彼の家族の命を救いました。彼らが生き延び、それぞれの天命を果たすお手伝いをノアはしたのです。

 アブラハムの天命は、神の示す地へ行くことでした。彼はその天命を全うし、全世界の祝福となりました。世界中の人がその信仰にならい、天命を果たすお手本にもなりました。

 モーセの天命は、ユダヤ人をエジプトから解放し、約束の地に導くことでした。彼はその天命に従い、40年間荒野でキャンプしました。神の律法を語り、ユダヤ人たちに天命成就への道しるべも与えました。

 ダビデの天命は、統一王国となったイスラエルの基礎固めをすることでした。彼はその天命を果たし、神を中心とした国づくりを進めました。国民が神に忠誠を尽くし、天命を果たせる環境を整えたのです。

 イエス・キリストは、救い主としての天命を果たしに来られました。全ての人の罪を帳消しにし、神と和解する道を開かれました。死者の中からよみがえり、永遠のいのちへの道を示されました。そして天に昇り、全能の権威をもって今も世界を治めておられます。

 時が来たら、イエス様は再び地上に来られ、その後、永遠の神の国を完成されます。地上に今ある全ての悪は、いずれ葬り去って下さいます。

 使徒パウロの天命は、このビッグニュースを異邦人に伝えることでした。世界中の人が救い主を信じ、天命を全うするお手伝いを彼はしたのです。

 神は、私たちにもそれぞれ果たすべき天命を用意しておられます。私たちが自らの天命を全うすれば、それは他の人が天命を果たすためのお手伝いにもなるのです。

「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。・・・」(Ⅱテモテ4:7-8)

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2022年3月13日 (日)

王道を歩む

 ウクライナで捕虜になったロシア兵士たちの告白が先日報道されましたが、衝撃的でした。多くの兵士や将校たちが戦争の目的を知らず、訓練だと思って進軍したようです。ロシア人捕虜たちは、こう言っていました。

――「ロシア軍は、悪いことを何もしていない人たちを殺している。」「負傷した味方の兵士も殺している。」「プーチン大統領は何が起きているのか知らせたくないので、戦死者の遺体を持って行こうとしない。」「ロシアの人々は・・・プーチン大統領の話に耳を貸さないようにしてほしい。」「ロシア国民が蜂起して、プーチン大統領を打倒しなければならない。」――

 ロシアの国営テレビは、捕虜の情報は「フェイクニュース」だと主張しているようです。ロシア政府はSNSへの接続を遮断し、情報統制を始めました。政権が「虚偽」とみなす情報を広めると、最大で懲役15年だそうです。ロシアの独裁政権は、混迷の度合いを深めているように見えます。

 ふと私は、昔学んだ儒教の教えを思い出しました。ご存知の通り、儒教は孔子から始まった教えで、指導者のあるべき姿について多く語っています。

 孔子に次いで重要な儒学者とされる孟子は、紀元前4~3世紀頃に生きた人でした。その頃の中国は戦国時代で、自ら王と名乗る指導者たちが武力によって他の国を従わせ、天下を取ろうとしていました。孟子は、そんな指導者たちにこう説いて回ったそうです。

――「武力や策略によって支配しても、民衆の心は離れ、国は滅びる。領土や軍隊の大きさではなく、愛によって人の心をつかむことが、天下を治める道だ。」――

 孟子は、このような指導者のあり方を「王道」と呼びました。その逆は「覇道」です。報道やSNS等の情報から判断する限り、今回のロシアによるウクライナ侵攻は王道ではなく、覇道のようです。

 天下を造り、治めている神は長い年月をかけ、ご自身の王道のあり方を示して来られました。神の限りない愛は、多くの人の心をわしづかみにしました。

――年老いたアブラハムは跡継ぎの子を授かり、経済的にも豊かに祝福されました。奴隷として売られたヨセフは大国の指導者とされ、彼の家族は飢饉から救われました。人殺しだったモーセはやり直しのチャンスが与えられ、彼の仲間は強制労働から救われました。難民だったユダヤ人は相続地を受け取り、移住先が決まりました。ユダヤ人が神を何度裏切っても、悔い改めれば必要な助けが送られました。イスラエルの王たちが王道を歩まず、国が滅んだ後も、神は捕虜になった人々を救い出されました。――

 天地創造の神は、王道に基づき天下を治めて来られたのです。

 イエス・キリストは、神の国の王道を全世界に示しに来られました。イエス様の愛を知った人は、心が変えられます。力づくや悪巧みにより人を操るのは無益だと、悟るようになります。イエス様が歩んだ王道を自分も辿りたいと、願うようになります。もしそうならず、覇道を歩み続ける人がいたら、どこかで道を見失い、迷子になっているのかもしれません。

 使徒パウロは神の国の敵対者たちに捕えられ、捕虜となりました。それでも彼は、イエス様が王道を歩まれたことを決して疑いはしませんでした。そして、キリストの道を辿ることを人に勧め続けたのです。

 イエス様に付き従い、王道を歩む人は、王とともに天下を治める特権を授かります。私たちはこの名誉ある生き方を感謝し、人にもお勧めできるのです。

「さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。」(エペソ4:1)

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2022年3月 6日 (日)

キリストの平和を待望する

 ウクライナの子供たちが描いた平和を訴える巨大絵画5枚が、今日3月6日まで富士山麓の広場に掲げられているそうです。これらの絵は、キッズゲルニカという国際プロジェクトの一環で、5年前に描かれました。ロシア軍が侵攻したウクライナ東部や北部、そして首都キエフ等にいた子供たちの作品です。パブロ・ピカソが制作した「ゲルニカ」と同じ縦3.5メートル、横7.8メートルの大きさです。虹や笑顔の子供たち、色とりどりの花、世界の国の景色等が描かれているそうです。

 今回の展示を企画した渡辺実さんは、5年前ウクライナに行きました。子供たちがその絵を描く様子を見た渡辺さんは、こう語っています。「とても楽しそうに絵を描いていたあの子どもたちが今どのように過ごしているかを考えると、胸が締め付けられる思いです。・・・平和への願いを届けていきたいと思います。」

 ピカソがゲルニカを描いたのは、1937年です。スペイン北部の小さな町ゲルニカへの無差別爆撃が、そのテーマでした。焼夷弾が本格的に使われた世界初の空襲で、多くの一般市民が命を落としました。

 ゲルニカはバスクの文化的伝統の中心地で、自由と独立を象徴する町だったそうです。全体主義国家を目指すスペインの反乱軍と、彼らに協力したナチスドイツは、その町を格好の標的としました。ゲルニカはヨーロッパでは珍しく木材を使う家が多かったため、火が燃え広がるのが早かったそうです。多くの人が苦しんだ末に亡くなり、町は廃墟となりました。この空襲の悲惨さを、ピカソは絵画を通して訴えたのです。

 第2次大戦後、この絵画と同じ図柄のタペストリーが3つ作成され、その一つは国連の安全保障理事会議場前に展示されています。先日はそのタペストリーの前でEUの国連大使らが青と黄色2色の国旗を掲げ、ウクライナへの連帯を示したそうです。

 ご存知の通り、国際連合は第2次大戦直後に設立されました。国際平和と安全の維持が、目的の一つです。ニューヨークの国連広場には、旧約の預言者イザヤのことばが記された通称「イザヤの壁」があるそうです。イザヤ書2章4節の引用で、こんなことばです。

「彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。」

 国連を設立した人々は、国家間の協調による世界平和実現を願い、このことばを壁に刻んだのかもしれません。ただこのイザヤの預言は、人々の努力による平和の実現を予告してはいません。そうではなく、世の終わりにキリストがもたらす平和を預言したことばです。「イザヤの壁」の引用箇所の直前には、全世界を治める救い主について聖書にこう記されています。

「主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。」

 イエス・キリストは、世界に平和をもたらしに来られました。十字架の身代わりにより、天地創造の神との平和を回復する道を私たちに開かれました。その平和を土台とし、私たちは互いに平和な関係を築けるようになったのです。

 今のところ、この世はまだ罪と悪に満ちています。地球上から戦いや争いが根絶されてはいません。天におられるイエス様は、そんな苦しみの中で平和を願い求める私たちの祈りに耳を傾けておられます。ですから最善の時に最善の解決が与えられることを、私たちは期待できます。

 そしてイエス様は、いつか再びこの世に戻って来られます。その後、永遠の平和が完成します。私たちは祈りつつ、その時を待ち望むことができます。使徒パウロがしたように、その希望を人に伝えることもできるのです。

「パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」(使徒28:30-31)



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