スポーツ

2007年11月 2日 (金)

名古屋と「天下取り」

中日ドラゴンズが日本シリーズを制覇し、日本一に輝きましたね。ヒルマン監督と日本ハムを応援していた道産子としては残念でしたが、日ハムの選手たちも監督とGM交代のドタバタ劇の中、よく戦ってくれたのではないでしょうか。

かつて、「あいつに監督はできない」と陰口を叩かれながら、日本一の胴上げを受けるに至った落合博満監督。契約交渉に失敗し、入団テストからの再出発を図って、シリーズではみごとMVPに輝いた中村紀洋選手。今年の中日には、さまざまなドラマがあったように思います。

名古屋は、一度だけ行ったことがあります。8年ほど前、岐阜で開かれたクリスチャンの集会に出席した時、滞在しました。まあ何とかなるだろうと、よく調べもせずに訪れたところ、どの辺に何という町があり、何線に何駅があるのかもよく知らないため、電車一つ乗るにも右往左往したように記憶しています。(笑)

名古屋城を見に行った時だったでしょうか。何かに書いてあった、「天下」という言葉が心に残りました。信長も秀吉も家康も、この名古屋周辺で生まれ育ち、天下を取るに至ったと記されていたように思います。その一文には、「天下取り」への強い思いを感じました。金華山山頂にある岐阜城(稲葉山城)を山麓から見上げた時も、斎藤道三と織田信長の時代、そして「美濃を制するものは天下を制す」という言葉を思い起こしました。

「天下」とは、広い意味で世界のことですが、特に「天子(皇帝)の統治する地域」を指す古代中国の概念だそうです。日本では「天子」は天皇とされてきましたから、天下は「天皇の影響力が及ぶ範囲」ということになるのでしょうか。その範囲を治める武家のことは、「天子」とは区別して、「天下人」あるいは単に「天下(様)」と呼ぶようになったのでしょう。

聖書的に考えれば、「天」は創造主なる神様ご自身、そして神様がおられる場所を意味しています。全世界の「天下」を治める「天子」そして「天下人」は、十字架と復活によって「天下を取」られ、「天帝」として君臨しておられるイエス・キリストになりますね。

日本のプロ野球の世界で、約半世紀ぶりに「天下を取った」中日(旧称「名古屋軍」)は、大いに称賛に値します。もしそうなら、永遠にわたり、全世界の「天下を取った」イエス・キリストに対しては、「天下」の民による限りない賛美がふさわしいと言えるでしょう。

救い主イエスを、いつも心から賛美しつつ、歩んでいきたいですね。

「それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。」(ピリピ2:9-11、新改訳第3版)

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2007年10月30日 (火)

ボストン

ボストン・レッドソックスが、ワールドシリーズを制しました。昨秋の移籍交渉の頃からメディアに出突っ張りの松坂投手は、なかなか思うように活躍できず、苦しみぬいた1年のようでしたが、最後に優勝できて良かったですね。大車輪で登板したにも関わらず、「自分は影です」と言い続けた岡島投手とともに、良いコンビでした。

ボストンという街は、私にとっては、憧れの地の一つです。マサチューセッツという場所は、クラーク博士の出身地でもあり、新島襄や内村鑑三が学んだ地でもあります。ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)も、この地にあります。北海道とマサチューセッツ州は姉妹州であり、この州にあるコンコード町と七飯町は、姉妹都市になっています。ただ、松坂・岡島両選手が渡米するまで、こんなに熱心な野球ファンたちがいるとは知りませんでした。

もう20年以上前、北海道が主催した交流事業(?)で、ボストンの大学院生たちと一緒に、札幌で「北太平洋地域」に関するセミナーに出席する機会がありました。訪れた教授陣も学生たちも、みな良家出身のたいへん優秀な方々という印象でした。どこかの体育館で、バドミントンをして楽しんだのが、思い出として残っています。その時、ボストンの写真集をいただき、レンガ造りの美しい街並みを、いつか実際に見てみたいと思いましたが、未だに訪問機会がありませんね。

ボストンは、1630年、イギリスから移住したピューリタンたちによって開拓された土地です。「ピルグリム・ファーザーズ」がメイフラワー号で大西洋を渡ったのは、その10年前。信仰の自由を求める入植者たちが、次々と新大陸に渡ってきた時代でした。

マサチューセッツ湾植民地の初代総督、ジョン・ウィンスロップは、「クリスチャンの愛の模範」と題する説教をし、「ボストンは、神様から選ばれた特別な町だ」と語りました。イエス・キリストの山上の説教に基づき、ボストンは神様の栄光を輝かせ、世界中の模範となるべき「山の上にある町」だと主張したのです。

このメッセージは、純粋なキリスト信仰を求め、新天地に新たなコミュニティを建設しようとするピューリタンたちの心に、大きな影響を与えました。後には、ケネディ大統領やレーガン大統領の演説にも、引用されたとのことです。松坂選手や岡島選手が、この話を知っているかどうか分かりませんが、メディアに出る頻度が多い人たちですから、良いロールモデルとなっていってほしいですね。家庭円満のようすは、見ていて、ちょっとホッとします。

私たちも、一人ひとり、神様の光を輝かせるような生き方をしていきたいですね。

「あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。」(マタイ5:14、新改訳第3版)

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2007年1月26日 (金)

スケート

スケートを初めてしたのは、小6の頃だったでしょうか。従兄が持っていたスピードスケート用の靴をお下がりでもらったのが、きっかけです。ヒモの結び方からエッジの手入れの仕方まで教えてもらい、最初は、自宅前の道路でちょっと練習しました。あの頃は、車通りが少なかったので、道路は遊び場みたいなものでしたね。

なんとなく雰囲気が分かってから、一人でバスに乗って、真駒内の屋外スケート場に行きました。前年に開催された札幌オリンピックの会場となったリンクです。寒い中、開会式を見に行った場所でした。スピードスケート競技では、オランダのアルト・シェンクという人が、1500m、5000m、10000mで三冠王を達成しました。ふとももの太さが、印象に残っています(笑)。

リンクに出ると、家の前のデコボコの雪道とはまったく違い、鏡のような氷に感動しました。特に、製氷車がきれいに氷を整えてくれた後のリンクは、すばらしいコンディションでした。もちろん、最初からすいすい滑ったわけではなく、ヨロヨロと歩き、何度も転びながら、少しずつコツをつかんでいったように思います。何度か通っているうち、エッジを切り替えて、カーブもそれなりに曲がれるようになっていきました。

どうやって滑り方を覚えたかと言えば、最初にちょっと従兄に教えてもらった以外は、自分で実際に滑ってみて、さらに他の滑っている人たちの真似をしたわけですね。このパターンは、私たちの生き方にも、共通しているような気がします。教えてもらい、実践し、模範を見て修正していくというサイクルです。

そういえば以前、メーカーに勤めている時は、PDCAサイクルという言葉を教えてもらいました。事業を行っていく上で、計画(Plan)、実行(Do)、検証(Check)、改善(Action)の流れを、次の計画に生かしていくという考え方です。これにも、ちょっと似たところがありますね。

イエス・キリストは、人がどのように生きるべきかを教え、生き方の模範を示されました。私たちは、その教えを受け取り、実践し、模範にならうことができることを感謝します。

「キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」(Iペテロ2:21、新改訳第3版)

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2007年1月25日 (木)

スキー

「雪国」で山の近くに住んでいたせいか、スキーは、物心ついた頃からやっていたように思います。最初は、小さな子ども用の、長靴でつっかけるタイプのものですね。最近のは、プラスチック製のスキーをプラスチック製のベルトで、靴にしっかり固定する方式ですが、私が子どもの頃は、木製のスキーに皮のベルトが一枚ついていて、ただサンダルのように履いただけでした。つっかけているだけですから、簡単にぬげてしまいます。

小学校の頃は、合板スキーにカンダハーという締め具がついていました。カンダハーというのは、靴のつま先を金具にあて、バネ式のワイヤーをかかとにまわし、前方に締めて固定するものです。私のストックはスチール製でしたが、父の持っているストックは竹製でした。靴は、革製だったかどうか、よく覚えていませんが、すべてヒモを結ぶタイプでしたね。

中学では、父の転勤で1シーズンのブランクがありましたが、札幌に帰ると、友人たちの持つスキー用品が一変していたのに驚きました。スキーはグラスファイバーやメタルが主流となり、ビンディングはステップイン式で、安全性を考慮し、つま先やかかとに圧力がかかると外れるものになっていました。外れた後、スキーだけが滑っていかないよう、「流れ止め」もつけられました。ストックは、アルミ合金(ジュラルミン)製に変わり、靴はプラスチック製でバックルを締めるタイプになりました。

最近、子どもたちがはいているのは、カービングスキーという短く、ターンのしやすいスキーです。スキー用品だけをとってみても、日進月歩で、移り変わりが激しいものです。目に見えるすべては、変化していきます。神様も、日々、新しいことをされています。しかし、激動の現代社会にあっても、神様の愛は、いつまでも変わることがありません。下の詩篇の作者が創造主に対して語っているように、私たちをいつも変わらず愛し、支えて下さっている神様を、つねに見失わずに生きていきたいですね。

「あなたははるか以前に地の基を据えられました。天も、あなたの御手のわざです。…すべてのものは衣のようにすり切れます。あなたが着物のように取り替えられると、それらは変わってしまいます。しかし、あなたは変わることがなく、あなたの年は尽きることがありません。」(詩篇102:25-27、新改訳第3版)

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2007年1月23日 (火)

スノーボード

昨日は、近くのスキー場に、スノーボードをしに行きました。今シーズン初です。スノーボードは、数年前、中学の頃から使っていたスキーを盗まれた後に始めました。加入していた火災保険に盗難補償も付いていたので、いただいた保険金で安いボードのセットを購入したのです。当時は、教会員の中にスノーボードを教えてほしい、という人がいたので、それを口実に、危険だと反対していた妻の了解を、やっと得ることができました。

できるだけコストをおさえようと、インターネット(もちろん無料サイト)で滑り方を勉強し、丁寧にワックスを塗って、車で30分くらいのゲレンデに出かけました。一番ゆるやかなスロープから始めたのですが、スキーとは全く違うスピード感に、ひどく戸惑いました。当たり前の話ですが、スキーが体の正面方向に進むのに対し、スノーボードは横方向(通常、左方向)に進みます。スキーは、左右の体重移動で曲がるわけですが、スノーボードは、前後(つまさき方向とかかと方向)の体重移動で曲がります。言葉にすれば、ただこれだけの違いなのですが、すぐに体がついていきません。

横方向のスピードに慣れないと、どうしても遠くを見るべき視線が、足元を見てしまい、体重移動もままならず、バランスをくずして転んでしまいます。第一日目は、数え切れないほど転倒し、おしりにアザをつくり、繰り返された転倒による衝撃で、体がボロボロになって帰宅しました。疲れ果てた体は、ウィルスの餌食だったようで、その後、高熱を出して寝込んでしまいました(笑)。それでもメゲずに、何回か続けて行くと、だんだんスピードと体重移動に慣れてきました。今では、スキーとは違うスピード感を、楽しめるようになっています。

昨日は、雪が少ないワリには、雪面の状態は良かったです。きれいな青空の下、駒ケ岳と海(内浦湾?)が一望できました。月曜日で、すいていたため、6人乗りのゴンドラに、1人で乗ったりもしました。1人なら、大きな声で祈ることもできます。私は、月曜日に休みをとることが多いのですが、昨日は、素晴らしい気分転換の時が与えられたことを感謝します。

「安息日は人間のために設けられたのです。」(マルコ2:27、新改訳第3版)

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2006年10月27日 (金)

祝福

北海道日本ハムファイターズが、日本シリーズを制し、とうとう日本一になりました! 選手と関係者の皆様、そして、私を含めて応援していたファンの皆様、おめでとうございます。北海道に生まれ育った道産子としては、冬のハンデがある野球というスポーツで、北海道から強いチームが生まれるなんて、かつては全く考えられませんでした。2年前に駒大苫小牧が甲子園で優勝し、日ハムがプレーオフに進出した時も、「シンジラレナーイ」と思いましたが、今年の日ハム優勝も、本当に「シンジラレナイ」ような出来事です。

昨日の試合は、感動的でした。今シーズン限りで引退を表明している新庄選手が、試合終了前からずっと涙を流し続け、周りももらい泣きし、優勝インタビューのアナウンサーまで涙声でした。監督批判でプレーオフに出れなかった金村投手が謝罪して復帰し、みごとに勝利を飾った一昨日の試合後のインタビューも感動的でした。人々の記憶に残る、素晴らしい試合を見せてくれたことを感謝しています。

トレイ・ヒルマン監督は、クリスチャンだそうです。こちら(http://www.heartlanders.org/candycane/japanese/testimony.html)のPCサイトに、その証しの言葉が掲載されています。2年前の11月のファン感謝デーには、キリストの愛を伝えようと、キャンディーケインを配ったそうです。キャンディーケインは、今はクリスマスの飾り物のようになっていますが、もともとは米国インディアナ州の飴屋さんが、救い主イエスを伝えようと作ったもののようです。羊飼いの杖の形は、イエス様が良い羊飼いであることを示し、逆さにするとジーザスの「J」になります。白い色は、イエス様の聖さを、赤い色は、十字架で流された血潮を表しているそうです。

優勝インタビューの中で、ヒルマン監督は、「このような選手たちの指揮ができたことは、祝福(blessing)でした」と語っています。「祝福」という言葉は、一般になじみが薄いせいか、日本語には通訳されていませんでした。祝福とは、神様が愛をもって与えて下さるプレゼントと言って良いでしょう。4万人の大観衆とテレビを見ていた多くの人々の前で、ヒルマン監督は、すばらしい恵みを与えて下さった神様に、感謝をささげていたのかもしれません。

「忠実な人は多くの祝福を得る。」(箴言28:20、新改訳第3版)

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2006年9月29日 (金)

球技大会

もう一つ、自転車で思い出しました。中3の夏休みのことです。休み明けに、球技大会が予定されていて、私はバレーボールに出場することになっていました。同じクラスのメンバーと一緒に、夏休みに練習することを決め、真駒内の「アイスアリーナ」に通いました。同アリーナは、72年の札幌オリンピックの時に建設され、あのジャネット・リンが銅メダルを獲得した屋内スケート場です。(これも、若い人には分かりませんね。)五輪後は市民に開放され、冬はスケート場、夏は体育館として利用されていました。

受験勉強もろくにせず、ほとんど毎日、自転車で練習に出かけました。他の人は、ひょっとしたら「夏期講習」とかに行っていたかもしれませんが、ただのんびりしていた私だけでなく、そういう人たちも無理やり巻き込もうとしたのですから、人迷惑な話です。国道は路線バスが走っていましたが、時には、ペダルを必死にこいで競争したりもしました。バスは、停留所ごとにお客さんが乗り降りするので、その間に追いつき、追い越しました。若かったですね。

一緒にいつも練習につきあってくれた友人は、岩崎宏美の大ファンで、いつもロッカールームで、「あなたお願いよ~♪」と、当時のヒット曲(「ロマンス」)を口ずさんでいたことを覚えています。練習の甲斐あって、球技大会では、優勝することができました。そればかりか、それをネタにして、校内の弁論大会に出て優勝し、さらに、同じネタを使いまわして、札幌市の英語弁論大会にまで出場してしまいました。残念ながら、英語弁論大会では入賞すらできませんでしたが、良い思い出として残っています。

(ちなみにその時、優勝して姉妹都市のポートランド行きをゲットした才媛は、高1でクラスメートになりました。今はお医者さんで、かつジャズ・ピアニストのようです。天は時には、二物も三物も与えるようですね。)

もう30年もたってしまったなんて、信じられないような気がします。神様が、その時期にだけ咲く貴重な花を、開かせて下さったのでしょう。

「人の日は、草のよう。野の花のように咲く。」(詩篇103:15、新改訳第3版)

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2006年9月21日 (木)

バレーボール

中2から高3までは、部活でバレーボールをしました。小学校の頃は、「巨人の星」の影響で野球をやっていましたが、ミュンヘンオリンピックで男子バレーが金メダルをとってから、バレーボールをやってみたいと思っていました。松平康隆監督率いる日本男子チームを題材としたアニメドキュメント、「ミュンヘンへの道」という番組も見ました。ずいぶん、テレビに影響されやすかったですね。

中学の頃は、指導してくれる先生もなく、チームもバラバラで、一勝もしたことがありませんでした。不完全燃焼だった私は、高校に入ってもバレーを続けることにしました。高校のバレー部は、顧問の先生も熱心であり、また何年か前に全道2位となって、全国大会に行った時の先輩たちが時折、指導に来ていました。

本当はアタッカーになりたかったのですが、身長が足りず、セッターをすることになりました。しかし、他の高校のセッターたちのようには、なかなか良いトスを上げられません。本業のトスまわしではなく、ブロックやレシーブで好プレーをしたことしか覚えていないので、やはり出来の良くないセッターだったのでしょう。

高3の高体連、最後の試合では、肉体的、精神的な疲れから、集中力を切らしていました。すでに受験勉強を始めていたので、そちらの気がかりもあったのです。以前は負けることのなかった相手に敗北し、札幌市で4位となり、全道大会に進めませんでした。悔しがるチームメイトの姿が目に焼きつき、その後は挫折感が残りました。

大学でバレーをしなかったのは、時間を自由に使って、本をたくさん読みたかったという理由もありましたが、この挫折感が大きかったと思います。ネットがさらに高くなるため、体力的にも自信がありませんでした。しかし、高校のバレー部で毎日毎日、体を鍛えたことは、トラックの仕事をする上で、確かに役に立ったようです。実際、重い荷物を手積み手降ろしする日々は、体力的にも結構、ハードでした。

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。」(ローマ8:28、新改訳第3版)

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2006年8月21日 (月)

駒大苫小牧

駒大苫小牧が、今年もいい試合を見せてくれました。

決勝戦再試合で早実に4-3で敗れ、惜しくも3連覇は逃しましたが、最後まであきらめない、素晴らしい戦いぶりでした。

私たちも、最後まであきらめない、しぶとい生き方をしていきたいですね。

「私が世を去る時はすでに来ました。私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。」(Ⅱテモテ4:6-8、新改訳第3版)

こう語った、使徒パウロのような生き方をしたいと、願っています。

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