パソコン・インターネット

2008年9月25日 (木)

パソコンクラブ

Img_15391 妻は最近、「パソコンクラブ」に通い始めました。所沢に行くことが決まってから、突然のことです。

聞いてみると、妻が最初にPCにふれたのは、なんと20年以上前に通った某新聞社主催のカルチャースクールとのこと。「これからはパソコンの時代だ」と思い、BASICを習ったそうです。

その後、函館の国際交流団体でPCを使うようになりました。確かNECの98シリーズで、最初は8インチのフロッピーディスクでした。使用したソフトは、ワープロの「松」とデータベースの「PC-PAL」。それらの使用法を彼女に教え、それが運命の出会いとなったのは、某塾から研修に来ていた「白馬の王子」ならぬこの私です(笑)。

結婚後、妻はほとんどPCを使う機会がありませんでした。最近までメールや文書作成などの必要がある時は、多くの場合、私が「キーパンチャー」として口述筆記、または妻の手書き文書をタイプして来ました。妻は携帯もないため他の人から「イエデン」に連絡が入りますが、家で仕事をしている私が出て取り次ぐことも多いです。「私設秘書」のようですね(笑)。

七飯の教会では、メールを使う必要もなかったため、これでも大丈夫でした。しかし、所沢へ行くとそうはいかないだろうと思ったようです。かつて教会の人が通っていた講習会について教育委員会に問い合わせると、「パソコンクラブ」を紹介されたそうです。

行ってみると女性ばかりで、妻が最年少! お孫さんがいらっしゃる方ばかりです。皆さんたいへんパワフルで、PCで作成した参加者名簿をくれたり、きれいな画像の入った葉書を送ってきたり。私が妻にメールアドレスをとってあげると、たびたびメールを下さる近所の方もいます。

昨日はデジカメ研修だとかで、妻は私の古いカメラを借りて、函館の「西部地区」で写真を撮ってきました。なかなかいい写真が撮れたようです。昼食は五島軒のランチ! お昼だけでも参加したかったなぁ(笑)。

私たちは、自分のできることを通して創造主なる神様に仕え、また互いに仕え合っていきたいものです。PCが使える人は、それが神様の栄光のために用いられていくと良いですね。

「語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。」(1ペテロ4:11、新改訳第3版)

(写真は、妻が撮影したハリストス正教会)

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2008年9月23日 (火)

ホームページの引越し

昨日は、教会ホームページの引越しをしました。これも、来春までの引継ぎ作業の一つです。

手元の資料を見ると、最初の教会ホームページは、4年ほど前に作成したようです。私のniftyのアカウントに、無料で作成できるスペースがあったので、せっかくだから利用することにしました。できるだけお金をかけずに作ろうと、手持ちのソフトとネットから手に入る無料ソフトを使用しました。

教会のチラシ作成用に使っていたMicrosoft Publisherで主なページを作成し、地図だけはエクセルを利用しました。ちょうど新聞の週末版に、エクセルを使った地図作りの特集記事が載っていたのです。各ページをリンクさせるように設定し、niftyのサイトと同期させるのはFFFTPというフリーソフトをダウンロードして使いました。

2年前に教会の10周年をお祝いした際、HPもリニューアルしようと思い、今度はホームページビルダーを購入。これで作り直そうと思いきや、Microsoft Office系のソフトとは使い勝手が少々異なり、あまり時間もなかったため、途中で挫折しました(笑)。

2年間そのままだったのですが、来春以降は私のniftyアカウントをそのまま使い続けるわけにもいきません。で今回、サーバーを引っ越すことにし、ついでにサイトもリニューアルしようと思いました。以前作りかけたファイルを再度開いてみると、なんともう半分くらい作ってあるではありませんか(笑)。そこで、もう一度ホームページビルダーに挑戦することにしました。

土曜日から月曜日にかけて新しいサイトを作成し、昨日めでたく公開。(ハレルヤ!)いつものようにやっつけ仕事ですが、なんとか完成して良かったです。来春には、また牧師情報を更新しなければなりません。これから引継ぎ作業を進めたいと思います。

創造主なる神様が、ホームページの引越しをも導いて下さっていることを感謝します。

「あなたを贖う(創造)主、イスラエルの聖なる方はこう仰せられる。『わたしは、あなたの神、主である。わたしは、あなたに益になることを教え、あなたの歩むべき道にあなたを導く。』」(イザヤ48:17、新改訳第3版)

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2008年9月11日 (木)

メール

以前にも書きましたが、メールを始めたのは92年の留学時です。その時はパソコン通信の「電子メール」で、「塾報」用の原稿を日本へ送るのにもっぱら使っていました。(以前の記事は、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/post_acd2.html

アパートの書斎には都合よくモジュラージャックがあったため、そこにパソコンのモデムを電話線でつなぎ、近隣のCompuServeのアクセスポイントにダイヤルアップで接続しました。外付けFDD内のフロッピーに保存した文書ファイルをパソコン通信で送ったのですから、当時としては、我ながらよくやったと思います。(笑)

95年に日本に帰ってきた3、4年後、今度は友人の牧師とひんぱんにメールのやりとりをするようになりました。その頃は、ニフティマネージャーとかいうソフトを使い、ずいぶん使い勝手がよくなりましたが、依然としてダイヤルアップ回線による文字だけのメールでした。

99年頃、札幌の父(故人)からソーテックのパソコンが送られてきました。「孫たちのため」ということでしたが、私の仕事用にしっかり使わせてもらいました。同年暮れ頃から教団の規約作りで忙しくなり、メールのやりとりも頻繁になりました。電話料金の請求が急に増えたため、定額のブロードバンドを導入します。ネット検索も、やっと時間と料金を気にしないでできるようになりました。

やはり99年頃から携帯をもつようになりましたが、両手での「タッチタイピング」に慣れていた私は、すぐに携帯メールをしたいとは思いませんでした。最初の携帯は、メールができない機種(か契約)だったように記憶しています。今は携帯メールにも少し慣れてきましたが、それでもキーボード入力の方が速くて好きですね。仕事上の長いメールは、PCオンリーです。

手紙、電報、電話、ファックスだけの時代から比べると、世の中便利になったものです。しかし創造主なる神様とのやりとりは、今でもメール経由でなく、直接の対話です。いつでもどこでも、パソコンも携帯もなかったとしても、神様が私たちとコミュニケーションをとって下さることを感謝します。

「先の事は、見よ、すでに起こった。新しい事を、わたしは告げよう。それが起こる前に、あなたがたに聞かせよう。」(イザヤ42:9、新改訳第3版)

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2006年10月20日 (金)

パソコン

80年代後半の書類作成は、「書院」や「文豪」等のワープロ専用機全盛時代でした。私のいたメーカーでは、当時、パソコンはもっぱら製造、販売、収支等の数値管理のみで、それ以外の文書は、ワープロ専用機で作成されました。専用機の方が、格段に見栄えのよい書類を作成できたからです。私の仕事上、パソコンはせいぜい、「日経テレコン」とか「帝国データバンク」等の情報を利用するため、時々、使ったくらいです。

パソコンに初めてさわったのは、確かその数年前、「塾」にいた時でした。(「塾」については、こちらhttp://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2006/09/post_376d.html

その頃、ある表計算ソフトがたいへん使いやすいということで、大ヒットとなり、一世を風靡(ふうび)した新進のパソコン・メーカーがありました。塾でもそのパソコンを購入し、私も名簿作りか何かで、利用させてもらったのです。

せっかくだから、塾生が社長さんにお話も伺いたいということで、講師として来ていただきました。当時、その企業の業績は絶好調でしたから、話にも勢いがあります。しかし、「私は、財閥を作りたい」と言われた時には、少々驚きました。「何のために財閥を作るのだろうか」、「だれがそれを応援するのだろうか」、「そんなことは、うまくいくだろうか」といろいろ考えましたが、特に質問もせず、黙っていました。

「栄枯盛衰は世の習い」と言います。「その会社は、どこまで成長するだろうか」、「本当に財閥を作れるだろうか」と、個人的に注目していました。すると残念なことに、表計算ソフトの次のヒットが生まれません。業績は次第に落ち込み、どうにもならない状況に追い込まれたようで、ついには旧財閥系の大手企業に吸収合併されてしまったのです。

「社長さんはどうしただろう」と思っていたら、その同じ企業で働くようになったという雑誌の記事を見つけました。写真を見る限り、塾でお会いした時よりは、穏やかで、すっきりとした表情をされているように見えたことを覚えています。

「富を得ようと苦労してはならない。自分の悟りによって、これをやめよ。あなたがこれに目を留めると、それはもうないではないか。富は必ず翼をつけて、鷲のように天へ飛んで行く。」(箴言23:4-5、新改訳第3版)

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2006年10月18日 (水)

タイプライター

小4の時だと思います。父がある日、タイプライターを買ってきました。仕事でコンピュータを使うため、キーボード入力の練習用だったようです。(父の専門は、最近いろいろと問題になった、建築物の構造計算でした。)無料講習券が4枚ついていましたが、父には行く時間がないため、「お前、行くか?」と聞かれました。新品のタイプライターに興味津々だった私は、面白そうだったので、行くと即答したのです。

一人でバスに乗り、札幌・大通にあったビル内の講習会場を訪れました。秘書か、その予備軍と思える「お姉さんたち」が何人もいて、私の持って行ったシンプルな手動タイプではなく、サイズも音もずっと大きな電動タイプライターを、軽快にバチバチと打ち続けています。「場違いな所に来てしまった」と思いつつも、4回分の講習券がもったいない気がしたので、タイピングの練習に通いました。

最初は、キーの位置を覚えるため、アルファベットの文字を一つずつ、打っていったと思います。少し慣れると、講師からローマ字書きの日本語原稿を渡され、この通り打ってみなさいと言われました。手動タイプを子どもの手で打つと、特に小指と薬指に力が入らず、文字の濃さにかなりのムラができました。お姉さんたちの機関銃のようなタイプ音の中、私の音だけがのんびりと、「パチリ、パチリ」と鳴っていました。

当時は何の役に立つか、まったく分からないようなタイピング練習でしたが、大学で、レポート作成のために電動タイプを打つようになった時は、指がキーの位置を覚えていました。その後、パソコンを動かすようになった時も、キーボード入力には、まったく苦労しませんでした。たった4回の無料講習が、ずいぶんと役に立ったものです。自分の子どもたちにもタイピングソフトを購入し、小学生のうちから、ブラインドタッチの練習をさせています。

「朝のうちにあなたの種を蒔け。夕方も手を放してはいけない。あなたは、あれか、これか、どこで成功するのか、知らないからだ。二つとも同じようにうまくいくかもわからない。」(伝道者の書11:6、新改訳第3版)

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