旅行・地域

2012年10月18日 (木)

スリランカのECFC大会

 5月にアメリカのフォースクエア大会に行った時、スリランカ教団代表でECFC議長のレスリー・キーグル牧師に会いました。レスリー牧師とは、もう20年以上のつながりになります。1990年に日本のフォースクエアが40周年大会を開いた時、ゲストの一人として来日しました。私が米国に留学した時は、神学校のクラスでばったりお会いしました。使徒的な賜物を与えられていて、しかもたいへん謙遜な素晴らしい牧師です。

 今年の米国大会はアリゾナ州フェニックスでしたが、ある夜の聖会が終わった後、会場からホテルに向かう路上でレスリー牧師と一緒になりました。すると、何か私に頼みたいことがあるとのこと。何だろうと思ったら、10月に開催されるECFC大会でメッセージをしてほしいと言うのです。私は最初、何かの間違いか冗談かと思いました。しかしレスリー牧師が言い間違った様子はないし、そんなことで冗談を言う人でもありません。この話は受けなくてはならないと感じ、私は意を決して「分かりました。私のためにお祈り下さい」と答えました。

 もちろんこれは、たいへん光栄な話です。ECFC大会というのは、アジア・南太平洋にあるフォースクエア教会の集まりです。ECFCとは、Eastern Council of Foursquare Churchesの略で、1979年に米国教団宣教本部と日本、韓国、香港、フィリピンのフォースクエア教会が中心になって始まったそうです。かつてはリーダーの集まり、女性の集まり、ユースの集まりが分かれていたのですが、それが1998年から一緒になり、2年ごとに開催されています。今年は10月2日から5日までスリランカのニゴンボ市で開催され、17ヶ国から370人ほどの参加者がありました。

 問題は英語でした。私はもう40年以上英語を勉強していますが、いまだに大勢の人の前で英語で話すことに苦手意識を持っています。会話をしたり、通訳をするのは(時々かなり誤訳をしてへこみますが)、まだ大丈夫です。ビジネスミーティングも(好きではありませんが 笑)多少慣れてきました。しかし、英語のメッセージはかなりハードルが高いです。たくさん喋らなければならないからですね(笑)。これまでいくつか苦い経験があり、また日本語のメッセージと比べればほとんど場数を踏んでいないせいもあるかもしれません。他の方々はいろいろと励まして下さいますが、自分としては納得できるレベルにまったく達していない感じがあります。

 10月3日の朝、ECFC大会会場に集まった各国リーダーたちを前に壇上に立つと、予想通り(苦笑)かなり緊張しました。今回も思ったようにはお話しできなかったですが、終わった後、何人もの方々から「良かった」と言っていただきました。中には「たいへん励まされた」と言う人もいました。それを聞いた私の方が、もっと励まされたように思います(笑)。互いに励まし合うことのできる「ファミリー」が世界中に存在していることを感謝します。

「ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。」(新約聖書・第一テサロニケ5:11、新改訳)

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2012年10月15日 (月)

3月のインドネシア訪問

 久しぶりにアップします。

 以前にも書きましたが私は子どもの時から作文が苦手で、なぜブログを始めたのか不思議なくらいです(笑)。自分の方から発信しなくても個人的には全然平気なのですが、どうもそれではいけないようです。語るべきことばが与えられるなら、語らなければなりませんね。
 今年は、春からいろいろな所に行かせていただきました。3月にはインドネシアのマナドで開催されたインドネシアフォースクエア教団(GPdI)の大会に参加しました。インドネシアというと一般的にはイスラム教のイメージが強いですが、マナドは90%の人がクリスチャンだそうです。インドネシアのフォースクエアは18,000教会ほどあるそうで、世界各国のフォースクエア教団の中で最大規模です。(昨年訪問したブラジルのフォースクエア教団も、同じくらいの教会数だと聞きました。)
 マナドの教団大会には5,000人の牧師が集まっていました。私は、ただ一参加者として出席したつもりでした。講師はほかに素晴らしい方々がいるので、前に出て話をすることはないだろうと気楽に考えていました。すると、あるセッションの直前にインドネシア教団代表の牧師が私のところに来て、日本の話をしてほしいとのこと。そういえば、去年ブラジルに行った時もそうだった(苦笑)。というわけで、数千人の前で大洗教会と震災支援の話をしてきました。日本語から通訳できる人がいなかったので、英語で語る私の話をインドネシア語に通訳していただきました。
 大会後の日曜日はジャカルタの教会でお話しする機会が与えられました。そこの教会も5,000人の教会です。礼拝は午前5時半、8時15分、11時、そして夕方5時頃(?)と4回あり、そのすべてでメッセージ(説教)しました。この時も英語で私が話すのを、牧師がインドネシア語に通訳してくれました。ネイティブの英語スピーカーの前で英語で話すよりはプレッシャーが少ないのですが、それでも4回メッセージすると、その日は十分にご奉仕させていただいたように感じました(笑)
 私は以前、日本の人たちに対して日本語で働きをすることしか考えていませんでした。しかし、神様には別の計画があったようです。神様から与えられることばをインドネシアの人たちにも語り、主の光を輝かせる働きをさせていただいていることを感謝します。
 「主は仰せられる。『ただ、あなたがわたしのしもべとなって、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのとどめられている者たちを帰らせるだけではない。わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。』」(イザヤ49:6、新改訳)
 

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2008年12月 4日 (木)

韓国訪問

Noodles081126 11月26日から12月1日まで、韓国に行って来ました。YWAMチームの皆さんが招待してくれたのです!

26日(水)朝、函館空港を出発し、羽田・成田経由で夕方、仁川(インチョン)空港に到着しました。以前、七飯に来たチームの2人が、出迎えてくれました。ソウル・新龍山(シンヨンサン)の宿に荷物を置いた後、明洞(ミョンドン)の有名なお店で、韓国風のうどん(?)と饅頭(マンドゥー)をいただきました。

27日(木)は、ソウル市内観光の予定でしたが雨だったため、国立中央博物館を訪問しました。昼食は博物館内のレストランで、プルコギ鍋。この後、仁寺洞(インサドン)で韓国風の不思議なお茶(霊芝茶?)と御餅をいただき、YWAMのキャンパス・ワーシップに出席しました。ソウル市内外の大学生5~600名が集まり、パワフルに賛美し、心にふれるメッセージを拝聴しました。また日本から来た牧師として紹介され、皆さんで祈ってくれました。夕食はまたミョンドンで、ピビンパブでした。

28日(金)は、デジョン(大田)にあるフォースクエアの神学校を訪れました。ソウルからKTX(韓国高速鉄道)で1時間ほどです。スタッフや学生の皆さんとご挨拶し、教区の牧師の方々と昼食(牡蠣のピビンパブ)、さらに近くのフォースクエア教会を見学することもできました。ミョンドンの小さな店で豆腐入りの麺を夕食にいただいた後、夜はYWAM北海道チームの皆さんと一緒に集まりました。メッセージをした後、彼らにも祈ってもらいました。

29日(土)は、今度の1月に来る新しいチームの人たちと、オンヌリ教会で昼食をいただきました。その日は寒かったですがきれいに晴れていたので、景福宮(キョンボックン)観光に出掛けました。そこは朝鮮王朝時代の正宮ですが、一緒に行ったチームの人たちが、ガイドのようにいろいろと説明してくれました。国立古宮博物館も見て、夕食に柔らかくゆでた豚肉とマンドゥー、そしてアサリ入りのうどん(?)をいただきました。

30日(日)は、サラン教会で礼拝。昼は、近くのレストランで海鮮鍋とチヂミをいただきました。教会前の書店でCDを購入し、南山公園内の安重根(アンジュングン)記念館を見た後、Nソウルタワーに上りました。夕食に豚骨付き肉の鍋を食べ、その後ヨンサン駅横の韓国風サウナに行き、たっぷり汗を流してきました。お米のジュース(シッケ?)もいただきました。

1日(月)は、チームの3人に見送られインチョン空港を後にし、夜、無事に七飯に帰着しました。たくさん歩き、南山にも登り、体力の衰えを実感しましたが(笑)、たいへん楽しい時を過ごさせていただきました。韓国料理もすべて、とても美味しかったです。チームの人たちには、良くしてもらいました。

木曜夜に開かれた聖書箇所は、イザヤ55:8-13。神様は、私たちが思い描く以上に素晴らしいご計画を私たち一人ひとりに対してお持ちであるというメッセージ。日曜朝の聖書箇所は、第1列王記19章でエリヤが一時的に働きを休み、神様にふれられ、新たなミッションに遣わされようとする場面でした。

YWAMとの出会いは、まったく思いもよらない形で始まり、チームの大学生たちを通して七飯の教会はずいぶん励まされました。来春からの新しい歩みが始まる前に、このような休暇が与えられ、リフレッシュすることができたことを感謝します。

「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:9、新改訳第3版)

(写真は、最初の晩に食べた麺とマンドゥー)

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2008年9月 2日 (火)

三沢訪問

日曜夜は、青森県三沢市で行われた教会開所式に出席しました。七飯の礼拝が終わった後、子どもたちを家に送り、妻と二人でJR函館駅に向かいました。今回初めて、「パーク&トレイン」を利用してみましたが、駅のすぐ近くの駐車場が利用でき便利でした。

特急を2時間半ほど乗ると、三沢です。妻は青函トンネルを通るのが初めてで、ずっと起きていたようですが、私はたっぷり昼寝をしました。三沢駅に着くと教会の人が迎えに来てくれていて、車で会場に向かいました。

到着したのは、三沢市国際交流教育センターという立派な施設です。そこに集まった40~50人のほとんどがアメリカ人で、いきなり海外に来たような感覚にとらわれました。午後6時から始まった開所式では、賛美、召天者の記念式、献児式、ビデオ・プレゼンテーションの後メッセージと盛りだくさんで、終わったのが8時半。そしてその後、軽食と交わりの時間があり、夕食のお弁当を食べたのは10時頃でした。

翌日はマクドナルドで朝食をし、米軍三沢基地に入り、その中のアパートで昼食をご馳走になりました。奥さんたちはフィリピン出身の人が多かったようで、メニューもフィリピン料理。ロンググレインのお米に鶏肉や牛肉の煮込み料理、春雨に春巻き、そしてデザートにライスプディング(?)がつき、たいへん美味しかったです。

昼食後、ヒルソングのDVDを観賞し、みんなで少しお話しする時を持ち、また一緒に賛美もしました。私がギターで伴奏するおまけ(?)もつきました(笑)。午後4時半頃の特急で帰る頃はもうへとへとでしたが、楽しい「国際交流」の時を過ごすことができました。

新しくできた教会の名は、「All Nations Fellowship」と言います。アメリカ人、フィリピン人のみならず、近隣に住む日本人や各国から働きに来ている多くの人々に福音を伝えていきたいと願っているようです。その教会が、名前の通り、「すべての民の祈りの家」となっていってほしいですね。

「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。」(マルコ11:17、新改訳第3版)

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2008年8月20日 (水)

旭山動物園

Penguin0808 Lesserpanda0808夏休みツアーの中日、先週火曜日は、旭山動物園に行って来ました。朝9時頃、札幌のホテルを出て、高速をとばして1時間半ほどで到着。650台収容の一番大きい無料駐車場を目指していくと、何ともう満車とのこと。でも、空いていた有料駐車場は一日たった500円でした。

ナンバーを見ると、全国各地から車が集結しています。西門から中に入ってみると、ぺんぎん館、もうじゅう館、オオカミの森などの施設は、長い行列が出来ています。暑い夏の日に、こんなに人がたくさん集まっている動物園は、初めて見たような気がします。

混んでいる場所を適当にとばしながら、パンフレットの指示通り、反時計回りに見て歩きました。思ったより小さな動物園で、全国からこれだけの人が押し寄せてくるのは、たいへん不思議に感じました。

ただ、確かにいろいろな工夫がなされていました。ペンギンが空を飛ぶように泳いでいたり、キリンが首を伸ばして人の目の前にあるエサを食べていたり、レッサーパンダがいきなり空中のつり橋を散歩したり、アザラシが筒の中を通り抜けたり。動物たちが寝てばかりいる動物園よりは、見ていてずっと楽しいですね。

園内のいたる所には、バイオトイレ(おがくずトイレ)が設置されていました。これも初めて見ましたが、北海道内で下水道がない観光地には、いいかもしれませんね。夏は臭わず、冬は凍結しないとのことです。

さまざまな動物を見るたび、創造主なる神様の独創性に感嘆せざるを得ません。世界中のすべての動物を造り、複雑な生態系を保持し、さらに動物たちとのふれ合いを通して私たちを楽しませて下さっている神様の偉大なみわざに感謝します。

「神は、種類にしたがって野の獣を、種類にしたがって家畜を、種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神はそれを見て良しとされた。」(創世記1:25、新改訳第3版)

(写真は、空を飛ぶように泳ぐペンギンとレッサーパンダの空中散歩。長女撮影)

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2008年8月19日 (火)

実家

母は今、札幌市南区に住んでいます。私が幼稚園から高校を卒業するまでは、中央区の同じ家に住んでいましたが、大学を出た1、2年後、両親は今の場所に引っ越しました。子どもが親元を離れてからどうして前より大きな家を建てるのかと思いましたが、父はずっと以前から家を新築したかったのだそうです。

引越し後、初めて帰省したある夜、新しい家に馴染めなかった私は、玄関においてあったママチャリに乗り、以前住んでいた家を見に行きました。少し様子は変わっていましたが、建物はそのまま建っています。しかし、もう別な人がそこに住んでいました。自分の帰る場所がなくなってしまったように感じました。

私の心の中で「故郷」の位置づけが変わったのは、ひょっとしたらあの時からかもしれません。中央区のもとの実家付近は、思い出のたくさん詰まった昔なじみの土地です。しかし、そこはもう帰るべき場所ではなく、新たな「実家」はただ両親が住んでいるというだけで、その近隣には何の思い出もありませんでした。

それからもう、20年以上経っています。子どもたちが小さい頃は家族連れで実家に泊まったこともありましたが、今は全員で泊まるスペースもなく、札幌ではホテル泊となります。札幌の実家は「帰る場所」というより、「訪れる場所」と言った方が実態に近いでしょう。

イエス・キリストを信じる私たちには、天の故郷に永遠の住まいが用意されています。父なる神のみもとに神の家族がそろって「帰郷」し、天上の祝福を喜び合う、「帰るべき実家」が新たに与えられていることを感謝します。私の父は、新築した家に10数年住んだ後、天に「帰郷」して行きました。今は、「天の実家」の方がずっと良いと言っているに違いありません。(笑)

「私は一つのことを(創造)主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」(詩篇27:4、新改訳第3版)

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2008年7月18日 (金)

和解の祈り

先週金曜夜は、中学校のプチ同期会でした。北海道と長野から1人ずつ、そして首都圏から3人の計5名が集まり、東京駅八重洲口の居酒屋で4時間ほど盛り上がりました。長野から来た友人が口走っていましたが、札幌の中学校の同期会が毎年のように東京で開かれるというのは、何とも不思議な感じがします。

私はいつものように、ずっとウーロン茶でしたが、他の人は最初ビールで、次は焼酎という流れです。とりとめのない話がしばらく続いた後、いきなり白熱した宗教談義となりました。かなり難しい質問が続いたので、一瞬私は、「しらふで良かった」と思いました。(笑)

その議論は、こういう質問から始まりました。「ユダヤ教とイスラム教が両方とも一神教だとすると、彼らが信じているのは同じ神なのか。もし同じ神なら、なぜ仲良くできないのか。」この質問が大学の授業やセミナー会場ではなく、同期会の酒席で出てきたというのは、私には驚きでした。(笑)

ユダヤ人もムスリムも、そしてクリスチャンも、確かに全知全能で天地万物を創造された唯一の神を信じているはずです。これらの人々はみな、メソポタミア・ウル出身のアブラハムの子孫と言えます。ですから互いの間に紛争があるとしたら、それは簡単に言うと、兄弟げんかということになるでしょう。

もちろんそこには、長年の不幸な歴史を背景とした不信感、妬みや憎しみ等、人間の罪の性質が深く関わっています。ただ、「いくらなんでも殺し合うことはないだろう」というのが、八重洲の酒席の一致した見解でした。

今月初めには、札幌の祈りの祭典で、エルサレムの平和のために祈りが重要だと呼びかけられていました。今週日曜日には、函館の教会で開催された「イスラエル・セミナー」で、イスラエル建国当時のビデオを視聴し、またクリスチャンが経済的に困窮するユダヤ人たちを支援する働きについてプレゼンテーションがありました。

私たちは、世界情勢と密接に連動している「エルサレムの平和」のために祈り続けていかなければなりません。ユダヤ人とパレスチナ人、アラブ人、そしてクリスチャンたちの間に和解がもたらされ、平和な関係が築かれていくことを、いつも熱心に祈っていく必要があります。

アッシジのフランチェスコは、自分自身が「平和の道具」となり、憎しみのあるところに愛をもたらすことができるようにして下さいと祈りました。私たちも、和解のために祈り、平和をもたらす者となっていきたいですね。

「神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。」(2コリント5:18、新改訳第3版)

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2008年7月17日 (木)

雄飛の地

函館周辺には、スターバックスがありません(涙)。東京方面の出張の際には、コーヒー好きの妻のために、いつもスタバのコーヒー豆を買って帰ります。私自身も、出張先でよくお店に入ります。全席禁煙で、ゆっくりできる雰囲気がお気に入りです。

先日の所沢出張の時も、会議が始まる前のお昼をスタバで済ませました。平日の午後1時頃、所沢駅西口のお店のカウンター席で、外の人通りを見ながらサンドイッチをほおばっていると、駅前にある「航空発祥の地」と書かれた石碑がふと目に留まりました。そうです。所沢は、日本初の飛行場ができた「雄飛の地」なのです。

1903年に米国のライト兄弟が、人類初の有人動力飛行に成功したことは、世界中に衝撃を与えました。日本では1909年に臨時軍用気球研究会が設置され、翌年、所沢が日本発の飛行場建設地と決定されます。

この年の暮れ、フランス留学帰りの徳川好敏大尉(のちに陸軍中将・男爵)が代々木公園(代々木練兵場)で複葉飛行機(アンリ・ファルマン機)の初飛行を行い、翌1911年、所沢飛行場で初めて演習飛行がなされました。今の航空記念公園です。(ちなみに徳川大尉はいわゆる「御三卿」の一つ、清水徳川家の当主だったそうです。)

所沢飛行場ではその後、初期の飛行機や飛行船の製作、パイロットの訓練、テスト飛行などが行われ、1945年の終戦時まで日本の航空技術の発達に大きな役割を果たしたとのこと。陸軍の航空学校、飛行技術学校等も設立され、数多くの人材を育て、戦地へ送り出しました。「加藤隼戦闘隊」で有名な加藤建夫陸軍中佐(のち少将)は北海道・旭川出身ですが、所沢飛行学校を卒業し、同校の教官も勤めたそうです。

航空公園には、時間を見つけては、家族でよく遊びに行きました。長女をだっこして散歩する人たちに「お披露目」したり、よちよち歩かせたり、妻とバドミントンをしたり、正月に凧を揚げてみたり、そして満開の桜を見に行ったり。私たちがかつて住んでいた頃は、まだ「航空発祥記念館」はありませんでしたが、家族で楽しいひとときを過ごさせてもらいました。

創造主なる神様は、信じる人に新しい力を与えて下さいます。それは、鷲のごとく勇ましく飛翔するような力だと約束されています。私たちも、神様から新しい力をいただいてそれぞれの「霊の戦地」へと雄飛し、また新たなリーダーたちもみごとに飛躍できるよう育て、送り出していきたいですね。

「若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。しかし、(創造)主を待ち望む者は新しく力を得、鷲のように翼をかって上ることができる。走ってもたゆまず、歩いても疲れない。」(イザヤ40:30-31、新改訳第3版)

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2008年7月16日 (水)

水がめ

所沢周辺には、二つの貯水池があります。「狭山湖」と呼ばれる「山口貯水池」と、「多摩湖」と呼ばれる「村山貯水池」です。多摩湖は、「上貯水池」と「下貯水池」の二つに分かれているため、全部で三つの貯水池と数えることもできます。いずれも、首都・東京に水を供給するために建設された人造の「水がめ」です。

私はまったく覚えていませんが、妻の話によると、私たちが結婚して所沢に移り住んだ87年の秋、教会の人たちと狭山湖(たぶん)にピクニックに行ったそうです。北海道から来たばかりのその夏は、たいへん暑く感じられ、しかも水不足で取水制限がありました。狭山湖に行った9月半ばは、やっと気温が下がって来た頃で、妻は「所沢も涼しくなるんだ」とホッとしたそうです。(笑)

いま私たちが住む七飯町は、水の豊かな地で、人口が急激に増加しない限り、取水制限はまず考えられません。上水道は、道南の最高峰・横津岳(1167m)山系からの地下水(湧水や井戸)を水源としています。「七飯(ななえ)」という町名は、七重村と飯田村が合併して出来たものですが、もともとはアイヌ語の「ナムナイ(冷たい川)」に由来するようです。「いのちの水の郷」という私たちの教会のビジョンは、水の豊かな七飯町のイメージとも重なっています。

(「いのちの水の郷」については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/post_6808.html

所沢の牧師から二つの「水がめ」の話を聞き、いのちの水を所沢、東京、そして世界中の人々に運んでいくビジョンを耳にした時、それは七飯の教会とつながる部分があることを感じました。神様は、私たちにいのちの水を与えて下さっています。それは、ただ私たちが飲むだけではなく、水が不足し死にかけている多くの人々のもとに届けるためでもあるのです。

私たちは、神様が与えて下さるいのちの水を感謝し、その恵みをさらに多くの人々と分かち合っていきたいですね。

「…私が『どうか水を飲ませてください』と言うと、急いで水がめを降ろし、『お飲みください。あなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言われたので、私は飲みました。らくだにも水を飲ませてくださいました。」(創世記24:45-46、新改訳第3版)

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2008年7月15日 (火)

働きの季節

先週は、また会議で所沢に行って来ました。所沢は、87年に教会開拓チームの一員として移り住み、5年間を過ごした地ですが、留学し帰国した後は北海道の教会に赴任したため、教団の用事でこんなに頻繁に訪問するようになるとは思いませんでした。

以前記した通り、所沢の牧師はハワイから招聘された夫妻です。彼らも日本で長年、牧師をするようになるとは、おそらく思っていなかったでしょう。神様のご計画は、実に不思議です。(招聘の経緯については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_1b7d.html

ハワイ出身の牧師が日本に来た時は、新婚ほやほやで、実に微笑ましい限りでした(笑)。私たちの目の前でキスをすると、まだ3、4歳だった長女が目を丸くし、「チューした」と母親に訴えていたことを思い出します。当時の写真を見ても、お互いに30代前半で若かったですね。

所沢に招かれた時は、「1年から3年ほど手伝ってほしい」という話だったそうです。早いもので、もうそれから16年。彼らの忠実な働きにより、当初問題だらけだった教会は新しく生まれ変わり、今はこれまでで一番健全な状態にあるとのこと。神様が、彼らの働きを豊かに祝福して下さったことを感謝します。

ハワイから牧師が来日した頃、教会のある人に幻が与えられました。「海外から日本に来る人によって、日本のフォースクエアが変えられる」という内容です。確かに、所沢に赴任した牧師は、私たちの教団が刷新されるために大いに活躍してくれました。

神様は、私たちの人生に祝福の計画を用意し、一つひとつの働きのための「季節」を備えておられます。私たちが予期しない時に、突然、恵みの雨が降ったり、新たな収穫のために畑に出て行きなさいと言われることもあります。神様の計画と定められた「季節」に信頼し、その導きに従って、忠実に働きをする者となっていきたいですね。

「もし、私が、きょう、あなたがたに命じる命令に、あなたがたがよく聞き従って、あなたがたの神、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして仕えるなら、『わたしは季節にしたがって、あなたがたの地に雨、先の雨と後の雨を与えよう。あなたは、あなたの穀物と新しいぶどう酒と油を集めよう。』」(申命記11:13-14、新改訳第3版)

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