日記・コラム・つぶやき

2008年9月19日 (金)

引継ぎ

そろそろ、七飯でも引継ぎ作業を始めなければなりません。何を引き継ぐのかというのは、とりもなおさず、この10数年間、自分が牧師として何をしてきたのか、ということになります。これまでの歩みを振り返り、自分なりに採点してみることもできますね。

牧師として一番人目につく働きは、礼拝のメッセージ(説教)です。出張で留守にしていない限り、毎週土曜夜と日曜朝の2回、それぞれ30分ほどのお話をします。私の場合は、ほとんどが講解説教。つまり、聖書を毎週1章ずつ読み進み、その週の箇所について神様が教会に対して語られているように感じることをお話しします。

二つ目の働きは、賛美のリードです。礼拝では、7~8曲のワーシップソングを30分くらいかけてみんなで一緒に歌います。賛美のリーダーは、「合唱」する人々の心が神様の方向に向くよう、自ら歌いつつ、他の人たちの歌も導かなければなりません。この賛美リードを日曜日は月に2~3回、土曜日も月3回ほどしています。

メッセージ準備と賛美曲の選定、そして週報の原稿作成は金曜の昼頃までに終え、金曜午後は賛美の録音をしています。礼拝の時はOHP(まだプロジェクターではありません)で歌詞を映し出すのですが、盲目の人がいるので、選んだ曲を前もってテープに録音し、「予習」してきてもらうのです。ギター(とドラム)伴奏の練習も兼ねて、全曲をワンコーラスずつ録音します。

さらに定例会議の議案をまとめ、議事進行を務めます。毎月、役員会と小グループリーダーの会議がそれぞれ1回ずつ開催されます。役員会には前月の会計報告も提出するため、会計担当者の働きにも監督責任があります。教団に対しても、定められた様式の報告を毎月送るため、各集会の出席人数を確認しています。

この他、クリスマスやイースター、子どもたちのキャンプなど特別な集会が予定されている時は、その運営全体に責任を負っています。ゲスト・スピーカーやミッション・チームが来た時は、その応対もあります。会堂管理責任者としての役割も担っています。また結婚式の司式や翻訳など、教会外から仕事が舞い込むこともあります。

年1回の総会では、年次計画と予算・決算の審議をするため、そのための資料作成もします。

私は教団事務局の働きが多く、牧師としての仕事はかなりセーブしてきたように思いますが、それでもこのように書いてみると、いろいろやることがありますね。このほとんどを来春までに引き継がなくてはなりません。

創造主なる神様が、私たちのためが受け継ぐもの、引き継ぐべきものをすべて計画して下さっていることを感謝します。

「(創造)主は、私たちのためにお選びになる。私たちの受け継ぐ地を。」(詩篇47:4、新改訳第3版)

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2008年9月15日 (月)

中秋の名月

昨日、七飯ではきれいな月が見えました。土日は妻と二人で所沢に出張し、昨夜帰ってきました。JALだったのでANAのシステム障害のことは、何も知りませんでした。羽田ではターミナルも別になっているため、JALの方は特に混んでもいませんでしたね。土曜日の方が、連休初日でごった返していたように思います。

飛行機の上からは、美しい夕焼けが見えました。雲の上から見る夕暮れは、赤く燃える空が雲海の彼方に広がり、また特別な趣がありました。函館空港に到着したのは午後7時頃でしたが、その時はもうあたりは真っ暗でした。

帰宅して車を下りると、頭上にふと美しい月を発見しました。家には、月見饅頭がありました。何でも、七飯の教会員の人がくれたのだそうです。長女がそう言うまで、中秋だとは気づきませんでした。ウサギの絵が描いてあるすこし平べったい、こしあんの饅頭でした。夕食後に一口いただきました。美味しかったです。

月はきれいでしたが、七飯の夜は半袖姿ではもう肌寒く、月を見ながら食事というわけにはいきませんね。うちでも、ちょっと見て、「ああきれいだね」と言って、すぐに家の中に入りました。北海道では、外で観月会とはいかないようです。

創造主なる神様が、美しい月を造って下さったことを感謝します。

「主は季節のために月を造られました。太陽はその沈む所を知っています。」(詩篇104:19、新改訳第3版)

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2008年7月30日 (水)

元・仲人の遺志

先週土曜日、函館の親教会のK牧師が天に召されました。57歳でした。私とは10歳しか違いませんが、21年前の夏、妻との結婚式で仲人をお願いした方です。まだ当時は30代で、確か初めての仲人だったはずです。

K牧師は、高校生の頃イエス・キリストを信じ、東京の神学校を卒業した後、故郷・函館の母教会で伝道師(のちに協力牧師)として奉仕します。同時に、自ら事業を立ち上げ、ビジネスの世界でも「キリストの証人」として働き続けてきたようです。リーダーシップの才能に恵まれた、明るく元気な信仰の先達でした。

私が信仰を持って間もない頃、事業を手伝ってくれないかと誘われたことがあります。函館に「クリスチャン・センター」のような施設をつくりたいという話でした。お誘いは嬉しく思いましたが、私は牧師になる思いが与えられていたので申し訳なかったですがお断りし、ご期待に応えることはできませんでした。

その後、私は七飯の教会に牧師として赴任し、教団全体の事務局業務も兼任するようになります。K牧師は北海道・東北の教区長に選任され、ともに教団の働きの一端を担って来ました。持ち前のリーダーシップを十分に発揮され、難しい局面を打開されてきたように思います。

詳しい病状は知りませんでしたが、昨年頃から、会議で顔を合わせるたびにK牧師の体力が急激に落ちてきたように感じていました。肺に水が溜まり、呼吸困難に陥ったため、7月6日に緊急入院したと聞き、12日にお見舞いに伺いました。酸素吸入をし、息が苦しそうでした。それからちょうど2週間後、召天の知らせが私のもとに届きました。

一昨日と昨日、函館でとり行われた葬儀では、奥様からお見舞い感謝のことばをいただきました。ご主人は私のことを期待し、いつも奥様に話をしていたそうです。「だから、頑張って下さい」と、私の方が逆に励まされました。

ビジネスの方ではご期待にそえませんでしたが、牧師としての働きの面では、期待をもって見ていて下さったようで感謝します。故人の遺志を重く受け止め、神様から私に与えられた務めを十分果たし、その期待にぜひ応えていきたいと願っています。

「しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。」(2テモテ4:5、新改訳第3版)

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2008年5月12日 (月)

もう寝る時間だ!

読者の皆様、今日は残念ながら、礼拝メッセージのアップができませんでした。

午前中からたった今まで、目一杯仕事でした。(苦笑)

明日も一日会議ですが、夜に更新したいと思います。

祝福がありますように。

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2008年5月 1日 (木)

神のしもべのしもべ

昨日は、イエズス会で「神のしもべ」としての生き方が強調されており、その総長は「黒い教皇」と呼ばれると書きました。これに対して、「白い教皇」に相当するローマ教皇は、「神のしもべのしもべ」と呼ばれるそうです。まさにサーバント・リーダーシップですね。

キリストの十二弟子のリーダー的存在だった使徒ペテロは、皇帝ネロの迫害の時代、ローマにて殉教したと言われています。カトリック教会では、ペテロを初代教皇とし、その使徒職は代々のローマ教皇によって継承されて来たと考えます。教皇の紋章には、ペテロに与えられると約束された「天国の鍵」が描かれています。

プロテスタントがカトリックと袂を分かった宗教改革以降、カトリック教会は、プロテスタント教会の正統性に異議を唱えて来ました。ローマ教皇の使徒的権威から離れてしまったため、使徒たちの教えを正しく継承していないという主張です。

昨年7月には、教皇庁が「ローマ・カトリック教会は唯一の正統な教会である」という文書を公表。プロテスタント教会は、「使徒ペテロに始まる使徒的伝承をプロテスタント教会が壊し、叙階の秘跡(聖職者任命の儀式)を損なったために、『教会』と呼ぶことはできない」と、その中に書かれているそうです。

もし使徒がシモン・ペテロだけであり、「天国の鍵」もペテロとその正統な後継者だけに代々受け継がれるのだとしたら、カトリックの主張が正しいかもしれません。しかし、使徒はもちろんペテロだけでなく、「天国の鍵」も、主イエスがペテロ以外の使徒たちに対しても(ペテロを通してでなく)直接与えられたと考えるのが自然です。使徒パウロは、ペテロの後継者とは見なされませんが、「天国の鍵」を存分に使い、宣教活動を行っています。

多くのプロテスタント教会も、宗教改革の時代まで遡れば、もともとカトリック教会の改革運動から生み出されています。ですから、聖書の教えに忠実である限り、使徒の働きを継承していると言って良いのではないでしょうか。

先月、アメリカを訪問したローマ教皇ベネディクト16世は、「神のしもべのしもべ」として大統領と会談し、数万人参加のミサを執り行い、国連本部で人権尊重と信教の自由を訴え、ユダヤ教のシナゴーグを訪問し、9・11の現場である「グラウンド・ゼロ」にひざまずき、祈りをささげました。

また、カトリック以外のクリスチャンたち250人が参加する会議に出席し、「福音の真理とその道徳的教えに根ざしたキリスト者たちの確かな証しだけが、世俗化の拡大など急速に変容する世界の挑戦に答えていくことができる。世界はこうしたキリスト者たちのメッセージを待っている」と語ったそうです。

ローマ教皇が本当に「神のしもべのしもべ」なら、全世界に大きな影響力をもつリーダーの一人として、良い霊的模範を示していってほしいですね。昨年の教皇庁の文書は残念な内容でしたが、ローマ教皇の今回の米国訪問は、素晴らしかったように思えます。

私たちも、イエス・キリストから与えられる「天国の鍵」をしっかりと握り、福音の真理を証しすることにより、人々を天につなげる働きを担っていきたいですね。

「…あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデス(冥界)の門もそれには打ち勝てません。わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイ16:18-19、新改訳第3版)

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2008年4月30日 (水)

神のしもべ

昨日の朝日新聞に、イエズス会第30代総長に選出されたアドルフォ・ニコラス神父が紹介されていました。同氏は、1936年スペイン生まれ。60年代の来日から2004年まで、通算35年余りの日本滞在歴を持ち、日本語に堪能だそうです。

日本では上智大学神学部で教鞭をとり、またイエズス会日本管区長も務めたとのこと。総長に選出された後、ローマ教皇(法王)ベネディクト16世に謁見すると、教皇は日本について言及し、文化との対話や日本の若者へ福音を伝えることの大切さなどを強調。日本のイエズス会の「使徒職」の中で、上智大学が最も大切なものの一つだと語ったそうです。

上智大学は、イエズス会が1913年に設立しました。日本のカトリック教会の文化的基盤となる大学を設立してほしいという強い要請が、信者の方々からなされたそうです。カトリックは、キリシタン時代にコレジオやセミナリオを設立していた歴史があり、また明治維新以降、プロテスタント系の学校が次々に設立されていたという背景もあったのでしょう。

イエズス会は、今でもイグナチオ・デ・ロヨラの著した「霊操(心霊修業)」を教本とし、司祭に叙階される前後にそれぞれ30日間の黙想を行うそうです。(ロヨラと「霊操」については、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_5b58.html

黙想は、先ず自らの生活と罪、次に「神の国」をテーマとし、最後には、キリストの十字架をともに担い、貧しくなったキリストとともに貧しくなる生き方への決意に至るようです。そのような決意は、当然、彼らの設立する学校の教育方針にも反映されますね。上智大学も、社会に奉仕する人間づくりを重視しているようです。

貧しい者たちに仕える「神のしもべ」としての生き方は、イエズス会総長就任直後のニコラス神父による「感謝のミサ」メッセージでも強調されています。

「新聞や雑誌は、『黒い教皇、白い教皇、その権力』といった決まり文句を掲げているが、それらは政治好きな人々への話の種に過ぎず、我々向けのものではない。我々の使命は、主イエスにならい、神のしもべとして貧しい人々に救いの喜びをもたらすことである」というのが、ニコラス神父のメッセージでした。(ちなみに「黒い教皇」とは、イエズス会総長のニックネームで、衣の色に由来するそうです。)

私たちも一人ひとり、「神のしもべ」として、それぞれ遣わされた場所で人々に仕える生き方をしていきたいですね。

「主は仰せられる。『ただ、あなたがわたしのしもべとなって、ヤコブの諸部族を立たせ、イスラエルのとどめられている者たちを帰らせるだけではない。わたしはあなたを諸国の民の光とし、地の果てにまでわたしの救いをもたらす者とする。』」(イザヤ49:6、新改訳第3版)

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2008年3月 4日 (火)

会議

今日は一日、会議でした。牧師の世界にも、会議はつきものです。

教会組織には、多くの場合、月に1回の役員会と年に1回の教会員総会があります。総会では、1年間の行事と予算、決算の各案を承認します。役員会では、毎月の行動計画を確認し、運営状況をチェックしています。

教会が何らかの上位団体に加盟している場合には、その上位団体の会議もあります。私たちの教会は、日本フォースクエア福音教団に属しており、教団として、やはり年1回の教団総会と年数回の責任役員会(理事会)があります。その他、各教区の牧師会が、最低年4回あります。今日の会議は、これでした。

教団が、さらに上位団体に加盟している場合もあります。私たちの教団は、日本国内にある複数の超教派の団体に加わっています。また、全世界に広がるフォースクエア教団とのつながりもあります。それぞれの団体で、各種の会議があります。これらの会議にも、私に出席して下さいとお願いされることが、時折あります。

こう考えると、一年を通して、ずいぶんたくさんの会議に出ていますね。それだけ時間を使っているわけですから、有意義な会議としたいものです。

初代教会で有名な会議は、新約聖書・使徒15章に出てくる「エルサレム会議」です。この会議では、その後のキリスト教会の発展につながる、重要な決定がなされました。「イエス・キリストを信じる人は、ユダヤ人か異邦人(ユダヤ人以外の人)かに関わらず、すべて救われており、神の国の民である」ということが、確認されたのです。

この決定により、割礼を受けてユダヤ人になることに抵抗感のあった異邦人クリスチャンたちは、大いに励まされました。そして、ますます神の国の福音が、ローマ帝国内において力強く伝えられていったのです。現代の私たちも、このように大きな意味のある会議を行っていきたいですね。

このエルサレム会議の決定には、出席者の他に、聖霊が関わっていたと記されています。聖霊なる神様によって、いつも会議が導かれ、私たちの口が守られ、また良き知恵が与えられて、正しい決定を下していきたいと願っています。

「聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。」(使徒15:28、新改訳第3版)

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2007年8月 2日 (木)

帰卿

京都に住む長女が、夏休みで帰ってきました。何日か前から、帰る前にすべきことを打ち合わせたり、飛行機の発着時間を確かめたり、路線検索で何時に出発したら良いか確認したり、本人だけでなく、家族も大騒ぎです。

祖父母の家に泊まりに行っていた次女を途中で拾い、到着予定時刻寸前に函館空港にすべり込むと、もう関西便は到着していました。札幌便の到着が大幅に遅れたせいか、預け荷物が流れてくるコンベヤー周辺は、2機の乗客で人だかりになっています。夏休み旅行の子どもや帰省する学生、観光ツアーの旅行客を迎える人たちも、大勢です。

たくさんの見知らぬ顔の一番奥に、長女の顔を発見しました。向こうもすぐ気がついたようで、手を振って合図します。数日前、風邪をひいて熱を出していたようだったので、心配していました。少しやせたようでしたが、元気そうな顔を見て、安心しました。

以前は、もっぱら送り出され、迎え入れられる側でした。しかし、今度は、こちらが送り出し、帰ってくる子を迎える側です。春に送り出してから、4ヶ月ほど経ちました。長女は、実家に到着すると、「小旅行から帰って来たようだ」と言います。いささか長い「小旅行」でしたね。

アダムとエバがエデンの園を去ることになった時、神様は彼らを、罪や苦難に満ちた地上の世界に送り出されました。その措置には、禁断の木の実を食べるという罪を犯し、神様と断絶した状態のまま、二人が永遠に生きないようにという配慮がありました。と同時に、今や自ら善と悪を判断するようになった人間が、強制されてではなく、自らの意思で善を求め、「天の故郷」におられる神様のもとに帰ることを期待されたから、と言うこともできます。

神様は、家を飛び出した「放蕩息子」が帰郷するのを心待ちにする父親のように、私たちが帰るのを待っておられます。イエス・キリストは、帰郷するための道を示して下さいました。地上の人生の旅人である私たちは、神様のみこころに反する「罪」(肉の欲)を避け、天の父のもとにまっすぐ進んでいきたいですね。

子どもたちの帰郷を待ちわびる天の父なる神様の気持ちが、前よりも少し、分かったような気がします。

「愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を遠ざけなさい。」(第Iペテロ2:11、新改訳第3版)

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2007年8月 1日 (水)

ミートソース

夏休みになると、子どもたちの宿題に、親も関わることになります。親はある意味、コーチのような存在で、子どもの健康管理や生活習慣、計画と実行のプロセス、ペース配分などに心を配るのが仕事です。親もそれぞれ家事や仕事があり、子どもが3人とも違う学校に行っていると、頭がパンクしそうになります。しかし、子どもの成長の監督者として、親が手を抜くわけにはいきませんね。

昨日は、中2の長男が、スパゲッティ・ミートソースを作りました。家庭科の宿題だそうです。長男が作った料理を食べるようになるとは、思いませんでしたね。急に、子どもに食べさせてもらう「お爺ちゃん」になったような気分がしました(笑)。50年近く生きていると、ずいぶん舌が肥え、味にうるさくなりましたが、昨日のスパゲッティは、たいへん美味しかったです。

スパゲッティ・ミートソースは、もともとは「ボロネーゼ」と呼ばれ、イタリア北部の都市ボローニャが発祥の地とのこと。ウィキペディアによれば、ある貴族がフランス料理風に、セロリ、ニンジン、玉ねぎ、肉を煮込んで作らせたのが始まりだそうです。うちのスパゲッティには、セロリは入りませんが、缶詰のトマトとローリエの葉が追加されるようです。

ボローニャにある大学は、西洋最古の歴史を持つそうで、創設は1088年とのこと。ローマ・カトリック教会と東方正教会が分裂し、神聖ローマ帝国が力を持ち、聖職者の叙任権をめぐって皇帝と教皇の主導権争いが起こり、聖地エルサレムをイスラム教国から奪還しようとした十字軍がまさに始まろうとしていた頃です。中世真っ只中でしたね。ボローニャ大学では、ダンテやガリレオ、コペルニクスも学んだそうです。

最近、モンゴルでサッカーをしていた中田英寿選手も一時、ボローニャのサッカーチームにレンタル移籍したとのこと。一度、行ってみたいような気持ちになりますが、ここしばらくは、スパゲッティを食べて、想像力をふくらませるくらいでしょうね(笑)。「がばいばあちゃん」ではありませんが、想像するだけなら、タダです(爆)。

神様が、私たちに食べるものを与え、必要なものすべてを備えて下さっていることを感謝します。

「…あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。」(詩篇23:5、新改訳第3版)

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2007年7月31日 (火)

ラジオ体操

先週土曜日の早朝、ラジオ体操に行って来ました。NHKラジオの公開生放送が、なんと七飯町にやって来たのです。町制50周年記念事業の一環だそうです。ラジオ体操の公開放送に立ち会うなど、一生に一度あるかどうか分からないと、家族4人で参加することにしました(笑)。

前日から、小学校のグラウンドにグランドピアノが運び込まれ、「夏期巡回ラジオ体操」という大きな横断幕が掲げられていたようです。晴れてくれれば良いがと思っていましたが、天気予報は最初、午後から一時雨、その後、午前中雨という予報に変わり、なんだかちょっと怪しげだなぁと思っていました。

朝4時頃、目が覚めた時、雨の音が聞こえ、雷まで鳴っていました。後から聞くと、もうその頃には、「大雨警報」が発令されていたとのこと。会場は、小学校体育館に変更されました。

雷が鳴り響くどしゃ降りの雨となり、ちょっとひるみましたが、せっかくの機会なので、車で体育館近くまで乗りつけることにしました。大雨にもかかわらず、おそらく数百人ほどの参加者が集まり、少し遅れて来た人たちは、体育館に入りきれませんでした。

話を聞くまで、まったく知りませんでしたが、ラジオ体操というのは、1928年(昭和3年)に逓信省(現在の日本郵政公社)簡易保険局が制定し、昭和天皇の御大典(即位式)記念事業の一環として、放送を開始したとのこと。来年で80年になりますから、長い歴史ですね。

私が小学校の頃は、学校でもラジオ体操を覚え、夏休みには必ず、公園にハンコをもらいに通いました。今の小学生は、あまりラジオ体操はしないようですが、土曜日には子どもたちもたくさん集まっていました。「昔の子どもたち」も、負けず劣らず、大勢いましたが(笑)。

一度も言いよどんだり、かんだりせず、みごとな語りで生放送をリードされた指導者の方は、今日だけではなく、ぜひ毎日、しっかりと体操して下さいと勧められていました。確かに、運動不足になりがちな私のような者にとって、体を動かすことは大切です。

しかし、同時に、「心の鍛錬」にも力を尽くしていきたいですね。神様に喜んでいただけるような「敬虔な生き方」を、いつも求めていきたいものです。

「…敬虔のために自分を鍛練しなさい。肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。」(Iテモテ4:7-8、新改訳第3版)

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