映画・テレビ

2008年7月 2日 (水)

番組収録

昨日は、あるクリスチャン番組の収録がありました。何ヶ月か前に、近くに住む宣教師の先生から電話があり、この番組に出てくれないかというお話がありました。しかし、私もちょこちょこ出張の予定が入るため、これまで2回はスケジュールが合いませんでした。

最初の収録はお断りし、2回目の時はうちの教会の協力牧師に代わりに出てもらいました。今回は、3度目です。「三顧の礼」ではありませんが、昨日はスケジュールも空いていたのでもうお断りする理由もありません(笑)。決死の覚悟で(?)、お受けすることにしました。

収録場所の教会は、函館市内の立派な3階建ての会堂で、木のベンチにパイプオルガンまであります。私は普段どおり、七飯の礼拝で着るようなカジュアルな格好をしていきましたが、ちょっと場違いな衣装だったかもしれません(苦笑)。

10分間のメッセージを3本お願いしますと、言われていました。いつもは集まった「家族」の表情を見ながら、時折、笑える話を交えたり、脱線しそうになったりしつつ、30分前後の話をしています。番組スタッフしかいない場所で、カメラのレンズを見ながら、まったく会ったことのない人たちに対して、きっちり10分間でまとまった話をするというのは、私にとって初めての経験でした。

1本目はさすがに緊張し、話のテンポが速すぎたようです。ディレクターの人から、もう少しゆっくり話して下さいとチェックが入りました。2本目と3本目は、間をとるように心掛けたつもりでしたが、やはりテンポが自然に速くなってしまいます。せっかちな性格のせいかもしれません。(苦笑)

そう言えば小学校の頃、放送部で、アナウンサーか何かをしたような記憶があります。よく覚えていませんが、私の行った小学校は、ちょうど校内のテレビ放送を始めた頃だったのではないでしょうか。放送の機器をいじったり、スタジオに入ったりするのが、楽しかったように思います。

昨日は番組収録後、胃が痛くなり、家に帰って疲れがドッと出ました(笑)。私の下手な話を誰も視聴しないでほしいような気もしますが、神様はきっと、どうしようもない話であったとしても何らかの形で用いて下さるのでしょう。番組を見た方が、少しでも励まされたり、教えられることがあれば感謝です。

「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」(2テモテ4:2、新改訳第3版)

P.S. 都合により、今週は明日からお休みします。また来週、お会いしましょう。読者の皆様の上に、神様の祝福が豊かにありますように。

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2007年8月10日 (金)

カーズ

昨晩は、ディズニー&ピクサーによる昨年夏公開のアニメ映画「カーズ(Cars)」を見ました。長女が借りたDVDを家族で鑑賞する、「夏休みシネマナイト」です! 全員で映画館に行けば1万円近くかかりますが、1年待てば180円です。「待てば甘露の日和あり」かな?(笑)

成功や名声を求めて出世街道を快走中のレースカー「ライトニング・マックィーン」は、カリフォルニアで開催されるレース会場に向かう途中、思いがけないトラブルから、ルート66(国道66号線)沿いにある、地図から消え去った古い町、ラジエター・スプリングスに迷い込みます。そこで過ごした数日間の経験が、自分だけの勝利しか考えていなかったマックィーンの生き方を、大きく変えることになります。

全編を通じて、出てくるのは車ばかりですが、「いかに生きるべきか」を考えさせる映画ですね。どんな手段を用いても、自分が勝ちさえすれば、周りがどうなろうといいんだという生き方は、弱肉強食の競争社会におけるサバイバル・レースで、頂点を目指すための必須条件かもしれません。

しかし、大歓声の中の孤独なスピードレースしか頭になかったマックィーンは、人々から忘れ去られた田舎町で、愛すべき仲間、家族、そしてコミュニティを見出します。成功や名声よりも、もっと大切なものに気づいた時、彼が目指すものは、変わりました。

米国大陸を横断する「ルート66(国道66号線)」ができたのは、1926年とのこと。私の卒業した聖書大学が創設され、フォースクエア教団がロサンゼルスに発足した頃になります。

第2次大戦でドイツのアウトバーンを目にしたアイゼンハワーは、1956年以降、アメリカにも高速道路網を建設しようと計画します。古い国道は次第に新しい高速に置き換えられ、1985年、とうとうルート66は廃線となりました。「ラジエター・スプリングス」は架空の町ですが、モデルになったゴーストタウン化した場所は、実際にあったようです。今は、歴史街道として復活し、観光名所のようになっているようですね。

私の住んでいるところは、ルート5(国道5号線)沿いの、北海道開拓期から歴史を持つ、のんびりとした田舎町です。今のところ、地図には載っていますが、どこかと合併してしまうと、地名はなくなってしまうかもしれませんね。建設中の新幹線や高速道路が完成したら、町の様子は一変するかもしれません。どんな地域になっていったとしても、神様に与えられた隣人たちを大切にする生き方をしていきたいですね。

「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。」(マタイ22:37-39、新改訳第3版)

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2007年8月 8日 (水)

プラダを着た悪魔

先日、DVDを借りてきて、家族で「プラダを着た悪魔(The Devil Wears Prada)」を見ました。昨年の公開作品で、かの大女優メリル・ストリープは、14回目のアカデミー賞候補となったとか。主演のアン・ハサウェイが数年前に出演した「プリティ・プリンセス」も、以前、子どもたちと一緒に見たことがあります。

名門大学を卒業したジャーナリスト志望の女の子アンディが、何百万人もの女性たちの憧れである世界的なファッション誌の編集部に就職し、「悪魔のような」編集長ミランダのアシスタントとして、徹底的にいじめられ、こき使われるというストーリーです。

最初、まったくファッションに関心がないアンディが、何の因果か、異次元の世界のような最新モードの業界にやってきて、服装も考え方も一人、浮いているという様子には、なんだか共感を覚えましたね(笑)。私にとっても、異次元の世界なので。

以下は、ネタバレ注意です。どこが「悪魔」なのかと、自分なりに考えてみました。携帯を通して24時間奴隷のように拘束する、横暴で自己中心な上司は、確かに「悪魔的」と言えるでしょう。アンディの生活は、すべてミランダ中心に動くようになり、個人的な生活が破壊され、考え方も行動様式も次第に影響されていきます。

しかし、私が一番、「悪魔的」だと感じたのは、映画の終盤、パリコレでの一騒動を治めた後、車の中でミランダがアンディに語るシーンです。たとえ友を裏切っても、最新ファッションの業界に君臨するミランダの生き方は、すべての人の憧れだ("Everybody wants to be us.")と彼女自身が語ります。その言葉は、アンディも当然、そのような生き方を選んでいくだろうという自信に満ち溢れていました。

アンディは結局、ミランダのような生き方を選択しませんでした。そしてミランダも、最後にはちょっといいところを見せ、根っからの「悪魔」ではないことが分かります。アメリカ映画らしく、ハッピーエンドでホッとしましたね。あれでアンディが「悪魔の誘惑」に乗り、ミランダと同じ生き方を選んだとしたら、ファッション業界の女帝に仕える女版アナキン・スカイウォーカーになるところでした(笑)。

私たちは、私たち自身が直面する「悪魔の誘惑」に、気をつけて生きていきたいですね。どんな手段を使っても、この世の栄華を手に入れようとする生き方への誘惑です。それは、イエス・キリストが公的な活動を始める前、荒野で勝利された誘惑でもありました。

「今度は悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。『もしひれ伏して私を拝むなら、これを全部あなたに差し上げましょう。』イエスは言われた。『引き下がれ、サタン。“あなたの神である主を拝み、主にだけ仕えよ”と書いてある。』」(マタイ4:8-10、新改訳第3版)

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