育児

2007年10月25日 (木)

学校

アメリカにいた頃、ホームスクーリングをしている家庭が多くありました。公立学校は反キリスト教的で荒れており、また私立学校は学費が高いため、クリスチャンの友人たちは、子どもたちを自宅で自ら教えていたのです。そのための教科書もカリキュラムも、しっかりしたものが整備されていたようです。

帰国した時、長女は小1でした。どのように育てるかについては、いくつか選択肢がありましたが、結局、近くの公立学校に通わせることにしました。聖書を土台とした価値観と人格形成については、家庭と教会が責任を負っています。「現代社会の基礎知識」と対人関係能力については、さまざまな子どもたちが集まる公教育の場で経験をつみ、習得した方が良いのではないかと考えたからです。

ある年の小学校の入学式で、学校関係の方が、このように言いました。「これまでは保護者の方々がお子さんたちを教え、育てて来られたわけですが、これからは私たちに任せて下さい。」たいへん申し訳ありませんが、私としては、先生方にすべてお任せするつもりはありませんでした。子どもの教育の責任は、親が負っているというのが、聖書的な原則だからです。

先生方が子どもたちに関わるのは、せいぜい数年間ですが、親は縁切りでもしない限り、一生です。一定期間、それも週日の日中だけ時間を過ごし、特定の限られた内容を学習したとしても、それが子どもたちが学ぶべきことのすべてではありません。何のために生きるのか、人生に意味があるのか、人はどこから来てどこに行くのか、世界はなぜ存在しているのか、については、国家主導による公教育は良くて口を閉ざし、悪ければ私たちの信じる聖書と違う内容を教えたりします。

幸い、うちの子どもたちが通ってきた公立学校は、ひどく荒れはせず、また先生方も私たちの信仰に理解を示してくださる、誠実な方々でした。子どもたちは、感謝なことに三人とも自らの意思で洗礼を受け、教会の集会に集い、朝は一言祈ってから学校に出かけます。「知識習得」以外にも、児童会書記局に選ばれたり、クラスや部活動でリーダーシップのあり方を学んできました。

いわば、家庭と拡大家族である教会をベースとして、「他流試合」か「武者修行」のために、学校に通わせて来たようなものかもしれません。しかし、あくまでも家庭と教会で教える聖書のことばが土台です。「主を恐れること」、つまり創造主なる神様を信じ、その教えに従うことが、人生の基本だからです。

子どもたちは、基本に忠実に歩み、神様の祝福をたくさん受けていってほしいですね。子どもたちのみならず、親である私たちも、子どもたちに良い模範を示していきたいものです。(冷汗)

「主を恐れることは知識の初めである。」(箴言1:7、新改訳第3版)

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2007年6月 7日 (木)

病院

ケガと同じく、病気も子どもにはつきものですね。日本でもアメリカでも、病院に行きましたが、所変わればなんとやらで、日米の大きな違いに驚かされたものです。

まずアメリカでは、きちんとした健康保険は民間企業が提供しており、保険によって行ける病院が違います。保険会社からもらった分厚い名簿で、近くのホームドクター(家庭医)をまず選びます。プライマリ・ケア(primary care)という考え方に基づき、どんな病気であっても、最初はホームドクターに診てもらい、その後、専門医を紹介してもらうのです。

制度だけでなく、同じ症状への対処の仕方も、ずいぶん異なりました。ラマーズ法のクラスに出ていた時、妻の足にむくみが来ました。看護師にそれを告げると、塩分を制限し、水を多く飲みなさいと指示されます。「日本では、水を飲むなと言われた」と妻が言うと、「足に水分がたまっているということは、胎児にはあまり行っていないということ。赤ちゃんに水をあげないでどうするのか。日本では、なぜそんなことを言うのか」と、逆に問われたそうです。

長女が風邪をひいて、病院につれて行った時、寒がっていたので、厚手のカーディガンを着せていきました。それを見た医師は、「熱がある時に、こんなものを着せたらダメだ」と、妻を叱ったそうです。熱がある時は、頭だけでなく、体全体を冷やすもの、というのが、米国での一般的な考え方だったようです。熱のある子には、冷たいシャワーを浴びせたら良いという話も聞きました。

水ぼうそう(chicken pox)にかかった長女を診てもらおうと、ある日、妻は病院に電話をかけます。ところが、娘が水ぼうそうだと言うと、予約受付の担当者は、「病院には来るな」と言います。他の人にうつるから、という理由です(笑)。薬もないそうで、来ても無駄だと言うのです。

「では、どうしたら良いのか」と妻がねばると、ドラッグストアで売っているオートミール入りの入浴剤を入れたお風呂に入れ、「カーマイン・ローション」を塗り、あとはただ大人しくしていなさい、ということでした。「カーマイン・ローション」は、日本では、日焼け後のほてりを取る化粧水だそうです(笑)。

結局、妻と私がたどりついた結論は、子どもに責任を負っているのは親なのだから、時代とともに変わる学説や周囲の意見に振り回されるのではなく、親の確信に基づいて看病し、育てていこうということでした。やはり、熱のある子には、冷たいシャワーは一度も浴びせませんでしたね(笑)。

「ある日を、他の日に比べて、大事だと考える人もいますが、どの日も同じだと考える人もいます。それぞれ自分の心の中で確信を持ちなさい。」(ローマ14:5、新改訳第3版)

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2007年6月 6日 (水)

ケガ

次女は、運動会の休み時間に、転んで足をひねったようです。その他にも、2箇所、すり傷がありました。応急処置はしておきましたが、翌日、まだ腫れていて痛いようなので、近くの整形外科に連れて行きました。レントゲンを撮ったところ、骨には異常がないそうです。

子どもにケガはつきもので、私自身、ずいぶんケガしてきましたが、うちの子も何度も病院のお世話になりました。次女は、まだ1歳にならない頃、親がうっかりテーブルに置き忘れたガラスのコップを割り、薬指を切ってしまいます。深く切れていたので、時間外だったのですが、近くの外科に電話して診てもらいました。

長女は、小学生の頃、日曜の礼拝が終わり、教会の敷地で遊んでいる時、ひざに切り傷をつくりました。当時、教会員だったお医者さんにちょっと診てもらうと、傷が深いようで、病院できちんと処置した方が良いという話です。その日、救急当番だった函館市内の大きな病院まで連れて行きました。

一番、回数が多いのは、やはり男の子です。長男は、頭を3回ほど切り、それぞれ違う病院に連れて行かれました。最初は、冬にそりで遊んでいて、金網にぶつかり、何針か縫いました。2回目は、学校で友だちに突き飛ばされ、給食用に使っている金属製ワゴンに頭をぶつけ、この時も縫ったと思います。ただ遊んでいただけで、友だちに悪気はなかったようです。

3回目は、小4の頃ですね。私が教会堂にいる時、知らない方から電話がかかってきました。「お宅のお子さんが、頭から血を出して、今、救急車で運ばれました」と言うのです。確かに、教会の前を、救急車が通過していきました。私は、あわてて119番に電話をし、救急車の行き先を教えてもらい、病院に急行しました。

病院では、レントゲンの後、傷口をホッチキスの針でふさぎました。見るからに痛そうでしたね。話を聞くと、公園のブランコで格好よく着地した後、戻ってきたブランコの椅子が後頭部を直撃したとのこと(笑)。血が止まらなくなり、両親ともすぐ連絡がつかなかったため、公園の前に住む方が、親切に救急車を呼んで下さったそうです。

神様が、どんな傷であっても、いやして下さるお方であることを感謝します。

「主は心の打ち砕かれた者をいやし 彼らの傷を包む。」(詩篇147:3、新改訳第3版)

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2007年1月31日 (水)

自由研究

月曜日は、小5の末っ子が通う小学校にも行きました。冬休みの自由研究が展示されていて、その日が最終日だったためです。玄関を入ってすぐのホールに、所狭しと、思い思いの作品が並べられていました。工作や手芸品、書初め、ファイルや模造紙にまとめられたレポートなど、「自由な研究」の範囲は多岐にわたります。6年生のレポートには、映画で話題になった「硫黄島」の研究もありました。

今回、うちの子が提出したのは、先日、韓国から来たチームの人たちへのインタビュー報告です。一人ひとりの写真と名前、出身地、日本についてどう思っていたか、来てからの感想などを、クラスの友人と一緒に、四つ切の画用紙二枚にまとめました。もう一枚の画用紙には、韓国の地図を大きく書いて、一人ひとりの出身地を地図上に記入しました。身近な韓国研究と言えるかもしれません。

長女の小学校入学以来、12年間にわたって、子どもの自由研究の相談に乗ってきました。それも、あと1年、夏と冬の2回で終わりそうです。思い出に残る自由研究は、先ず、長女の支笏湖の研究。家族で支笏湖にキャンプしたことを利用し、世界の湖の種類や支笏湖の特徴などを、模造紙数枚にまとめました。次に長男の気温調査。調査しようと思った理由から、調査の方法と結果、考察や感想などを、これも模造紙にまとめました。ただ折れ線グラフを書いただけでなく、晴れた朝の方が、曇や雪の朝より冷え込むことを発見することもできました。

私が小学生の頃、特に印象に残っているのは、工作でモーターを作ったことと、模造紙に雲の研究をまとめたことです。モーターは、自分なりに工夫して、コイルを巻いて作ったのですが、まったく動きませんでした(笑)。もう時間もなかったので、そのまま持っていって、展示してもらいました。雲の研究は、ただ百科事典をまる写ししただけでしたが、廊下に大きく張ってもらい、たいへん嬉しかったです。妻の場合は、クワガタの観察をしていたところ、いつの間にか、虫かごから逃亡していたという経験もしたそうです(笑)。

自由研究とは、「身近なことから広い世界のことまで、自分で課題を設定し、それについて取り組む研究のこと」だそうです。自由に設定した課題を通して、一人ひとりが成長できると良いですね。子どもたちだけでなく、大人の私たちも、何が自分や周りの人たちにとって、本当に良いことであり、有益であるのかを考え、物事に取り組んで生きたいものです。

「すべてのことが私には許されたことです。しかし、すべてが益になるわけではありません。」(Iコリント6:12、新改訳第3版)

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2006年11月30日 (木)

優先順位

妻が長女を連れ、所沢に戻ってくると、たいへん忙しい毎日となりました。私の担当は、長女を毎晩、お風呂に入れること、寝かしつけること、土曜日に公園に連れて行くことであり、日曜日はもちろん、毎週家族で礼拝に行きました。男性の方が手が大きいから、片手で赤ちゃんの両耳をふさぐことができると言われ、お風呂は私が入れることになりましたが、最初は、なかなか上手くいきません。一度、お湯の中に赤ん坊を落としてしまい、「死んでしまっただろうか」と一瞬、ひやりとしたこともありました。

長女はなかなか簡単に寝ない子で、寝かしつけるのには苦労しました。抱っこして、賛美の子守唄を歌いつつ、心地よく感じられるよう揺らしてあげるのですが、やっと寝たと思って、ふとんに移そうとすると、すぐに目を覚まします。妻が台所で、食事の後片付けをしている間、いやその後も、私は6畳の寝室で、ずっとBGM付きの揺りかご状態でした。

私は、牧師になろうと思った時から、家庭を大切にしなければならないと感じてきました。村上龍さんのベストセラー・「13歳のハローワーク」は、子どもたちに数多くの職業を紹介している本ですが、その中に、「神父・牧師」という項目があります。牧師になるには、他の「牧師の推薦を受け、プロテスタントの神学校で学んで牧師になるのが一般的」と書かれています。確かに私も、「どうしたら牧師になれるのですか?」と聞かれた場合には、同じように答えます。

しかし、聖書が語る牧師の条件は、第一に「自分が牧師になることは神様の計画である」という「召命感」であり、次には、その人自身の人格とその人格が家庭の中でどのように現れているか、なのです。どの学校で何を学んだか、というのは、重要なポイントではありません。優先順位は、第一に神様との関係、第二に家族との関係、第三に教会との関係、第四にその他の関係、ということになるでしょうか。

会社で残業する人たちの白い目を感じつつも、せっせと定時に退社し、家庭サービスに努めました。それは、聖書に書かれる牧師(監督)の条件を、なんとかしてクリアしたいと願っていたからに他なりません。

「ですから、監督はこういう人でなければなりません。すなわち、非難されるところがなく、ひとりの妻の夫であり、自分を制し、慎み深く、品位があり、よくもてなし、教える能力があり、酒飲みでなく、暴力をふるわず、温和で、争わず、金銭に無欲で、自分の家庭をよく治め、十分な威厳をもって子どもを従わせている人です。──自分自身の家庭を治めることを知らない人が、どうして神の教会の世話をすることができるでしょう──」(Iテモテ3:2-5、新改訳第3版)

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2006年11月29日 (水)

第一子

最初に、妻から妊娠を告げられた時、ドラマのように、手放しで喜ぶことはできませんでした。私のとまどったような反応は、妻にとっては、ちょっと意外だったようです。私にはまだ、父親となる心の準備ができていませんでした。自分の父にはずいぶん反発してきた私でしたが、自ら父親になる番が来ると、責任の重さをずっしりと感じ、良い父親になれるかどうか、まったく自信がなかったのです。

つわりがひどくなかったことは感謝でしたが、7ヶ月目くらいに、お腹の子が順調に育っていないと言われた時には、たいへん困りました。自分ではどうすることもできず、ただ祈るしかありません。栄養状態を改善するため、かかりつけの病院に入院したところ、あまり環境がよくなかったので、妻は早めに、函館の実家に帰ることにしました。

88年の初夏、友人の結婚式に出席したある土曜日、式から帰ってくると、所沢のアパートに電話が入りました。「今日、生まれました」という、義母からの連絡です。予定日までまだ3週間あったため、突然の誕生にびっくりしました。その日、検診を受けると、胎児がいつもより元気だったので、急遽、帝王切開で生まれさせたと言うのです。思ったより早く、いきなり父親になってしまいました。

すぐに休暇をとって、函館に飛びました。妻は、立派な個室にいて、食事もよいようなので安心しましたが、長女は別な大きな病院の未熟児病棟に入院していました。無菌室のような部屋に入ると、インキュベーター(保育器)の中に、「箱入り娘」が寝かされていました。2253g、43cmと小さく、鼻には母乳を供給するためのチューブが挿入されていました。あまりに弱々しく見えたため、この子は元気に育つだろうか、と心配になりました。

早いもので、その子も今は、高校3年生です。母親よりも背が高く、ティーンエイジャーらしく、元気いっぱいです。親として一生懸命ではありましたが、初めての子は試行錯誤が多く、良い父親であったかどうか、よく分かりません。ただ、神様が愛をもって、ここまで育てて下さったことを感謝しています。

「父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。」(エペソ6:4、新改訳第3版)

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