復活した「リーダー養成所」
アメリカの神学校で教会増殖運動について学んだ時、七飯での教会開拓について詳細な企画書をまとめました。(宿題の一つでした。)日本に帰ってからその要旨を翻訳し、函館の親教会に提出。正式な手続きを経て承認を受け、1996年夏から七飯シオン教会は、一つの教会として本格的にスタートします。
最初から教会増殖を視野に入れた開拓でしたから、企画書段階からリーダー育成が一つの柱でした。新たなリーダーが育たなければ、新たな教会も生み出せないからです。リーダー育成は勉強中心ではなく、ミニチャーチ(小グループ)を活用した現場での実地訓練と師弟関係(メンタリング、コーチング)によって行うというのが、七飯開拓の肝でした。
教会が始まってまもなく、函館の親教会から移ってきた人から、マクノートン宣教師の思い出話を聞きました。最初の七飯会堂が建った1960年代、同宣教師は、この地に神学校建設のビジョンを抱いていたというのです。次代を担うリーダー育成という点では、奇しくも方向性が共通しており、私はたいへん感銘を受けました。
七飯の教会は、「死んでよみがえった」教会です。函館で新会堂建設計画が持ち上がった時、七飯伝道にビジョンのなかった当時の牧師が、旧七飯会堂の土地建物を売却してしまいました。ところがその後、函館の新会堂建設が牧師交代等のさまざまな事情から、大幅に延期されます。
時はバブルの最盛期。銀行に預けておいた新会堂建設資金は、利子が大きく膨らみます。函館の新会堂は、元金だけで建設が可能でした。七飯会堂がなくなってしまったことに心を痛めていた古くからの教会員たちもおり、利息は七飯の新会堂建設のために用いられることになったのです。こうして1993年に会堂が建ち、七飯の伝道拠点がよみがえりました。
そこに一組の夫婦が遣わされます。ご主人は札幌の聖書学校に学び、伝道師となって一度札幌の教会をまかされますが、すぐに函館教会の一スタッフに転任します。その後、ブライダルの働きが中心となり、七飯開拓が始まった頃は、函館の牧会スタッフからも外れていました。
この夫婦は、忠実に七飯の働きを支えて来ました。いくつかのミニチャーチのリーダーを務め、礼拝賛美のリードと奏楽を担い、またあちこちに出かけて人々に福音を伝えて来ました。ご主人は、教団で新たに採択された規約に基づき2002年に教団教師と認定され、七飯シオン教会の正式な協力牧師となりました。来春から私が所沢に異動するにあたり、今度は彼が七飯教会の主任牧師に任命されることになります。
神様は、確かに七飯の教会を「リーダー養成所」として復活させ、用いて下さいました。私がこの七飯の地に遣わされたのは、ひょっとしたらマクノートン宣教師の「仕事の整理」をし、長老(牧師)を任命するためだったのかもしれませんね。創造主なる神様の「深謀遠慮」に感謝します。
「私があなたをクレテに残したのは、あなたが残っている仕事の整理をし、また、私が指図したように、町ごとに長老たちを任命するためでした。」(テトス1:5、新改訳第3版)
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