プレイズリポート

2009年6月18日 (木)

やっと一息!

みなさま、たいへんお久しぶりです(笑)

今年に入ってから、ドタバタしていてまったくブログ更新ができませんでした。

これまであったことをざっと振り返ってみると、

1月、七飯に韓国YWAMチーム来訪。その後、所沢出張。

2月、長男の高校受験のため、2週間、埼玉滞在。合格祝いで、ディズニーランドに付き合わされる!(入場料は息子持ち 笑)、教区の会議

3月、所沢出張、長男卒業式、七飯の新牧師就任式&我々の送別会、長男・次女の吹奏楽部コンサート、長男の高校説明会で所沢往復、その直後に引っ越し、車売却、その翌週京都に行って長女の引っ越し手伝い。

4月、大阪の教会開所式、長男の高校入学式、自分の高校クラス会、タイ・バンコック出張、再度の大阪出張。

5月、教団理事会、車購入、聖書学校講義、米国出張、教区の会議、所沢での就任式。

6月、聖書学校講義、前牧師送別会、子育てセミナー講師、高校の同窓会、教団大会(昨日まで函館にて)。

実にめまぐるしい半年間でした。

でも、神様がすべて守って下さったことを感謝します!

「私は、とこしえまでも、あなたに感謝します。あなたが、こうしてくださったのですから。」(詩編52:9、新改訳第3版) 

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2008年9月26日 (金)

学校祭

今日は、長男と次女の中学校の学校祭でした。聞くと長男は、開会式から閉会式までほとんど出づっぱりとのこと。私は最近、働きづくめで少々疲れ気味なので(笑)、今日は思い切って休みをとり、朝から妻と二人で学校祭を見に行くことにしました。

開会式は「クイズ!ヘキサゴン」仕立てで、長男は「羞恥心」の上地雄輔役。イメージカラーは黄色だそうで、黄色いTシャツの上に揃いの黒いジャケットを着て、他の二人と一緒に踊っていました(笑)。

その後、吹奏楽部の演奏では長男はユーフォニアム、次女はテナーサックスを吹きました。演奏に合わせて、今年4月から転任してきた先生方が自己紹介がてら(?)、ルパン3世と銭形警部、サザエさん、ゲゲゲの鬼太郎、ごくせんのヤンクミ(仲間由紀恵の役柄)、そして崖の上のポニョに扮して、歌を歌いました(笑)。恒例だそうです。

次は各学年ごとに寸劇、ダンスなどのパフォーマンスがありました。次女はダンスの後、「つまんねぇし」というセリフを一言(笑)。標準語のセリフをアドリブで七飯弁にしたそうです。長男は、修学旅行をテーマにした寸劇で中尊寺に登場する藤原清衡役。でも、なぜか今風の甚平を着て、100円ショップで買った刀を持っていました(笑)。

午後は、いよいよ合唱コンクール。次女も長男も指揮者です。次女のクラスは、「カリブ夢の旅」という曲で銀賞。長男のクラスは金賞で最優秀賞をいただきました。長男と伴奏者の女の子は3年間同じクラスだったのですが、なんとこのコンビで最優秀三連覇を成し遂げました! クラスメートの子たちも、強弱のメリハリをしっかりつけて、原爆をテーマにした「消えた八月」という悲しい曲を一生懸命歌っていました。

閉会式はサミットを題材にした寸劇で、長男は今度は某国大統領役。セリフも間違えなく言ったようで、無事に学校祭が終了しました。

子どもたちは、良い思い出ができて良かったですね。私たちも楽しませてもらいました。創造主なる神様に感謝します。

「わがたましいよ。(創造)主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。」(詩篇103:2、新改訳第3版)

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2008年8月22日 (金)

最後?のとうきび狩り

0808080817 先日の日曜日は、礼拝の後、夏恒例のとうきび(とうもろこし)狩りに出掛けました。(去年の記事は、こちら→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2007/08/post_65b3.html

七飯の教会が始まってから続けられて来たとうきび狩りは、もう10回以上になるでしょうか。今回は長女と長男が張り切って取り、家族で合わせて200本を超えたのではないかと思います。あまり取り過ぎると後がたいへんなので、私は2本だけにしておきました。(笑)

今年も品種は、ゴールドラッシュ。取って来たとうきびを選別し、大きくてしっかり実が入っているものを10本くらいずつレジ袋に詰め、近所に配ります。小さいのはうちで消費することにし、作業の合間に妻がゆでたとうきびを食べると、今年も甘くて美味しかったです。実をすり下ろして作ったコーンスープも、極上の味でした。

夏休み最後の日曜日だったので、夕方から5人で揃って妻の実家に出掛けました。大きな袋にお土産のとうきびをたくさん詰め、夜もとうきび三昧です。この日は毎年、函館・湯の川の花火大会を見ていたのですが、予算削減で土曜日だけとなったのか、残念ながら花火を見ることはできませんでした。それでも、家族全員で義母を訪ねることができ良かったです。夏休みの宿題のメドが、何とか立ったからでした。(ハレルヤ!)

とうきび狩りをさせて下さった教会員の農家の方は、「今年が最後だね」と長女に言ったそうです。確かに、私たち家族がこのような形で自由にとうきびを取る機会は、もうないかもしれません。これまで、存分にとうきび狩りを楽しめたことを感謝します。

来年以降は、別の形の収穫を喜んで行きたいですね。創造主なる神様が計画されている新たな収穫を信じ、期待します。

「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」(詩篇126:5-6、新改訳第3版)

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2007年6月 5日 (火)

運動会

日曜日は、次女の小学校の運動会でした。弁当作りのため、妻が朝5時に起きると、私も珍しく5時に目が覚めます。PCを立ち上げ、メールボックスを開くと、土曜の夜遅くに、翻訳依頼の急ぎの原稿が送られて来ていました。運動会後は、疲れ果てていそうだったので、日本語原稿をすぐ英語に訳して、送信してしまいます。日曜早朝から仕事をするのも、珍しいことです(笑)。

6時に花火が上がり、6時半頃、場所取りに出かけます。家に戻って朝食を食べると、義父母が函館市内から到着しました。弁当の準備が整った8時過ぎ、足の弱った義父たちを車に乗せ、小学校まで送ります。駐車場は一杯なので、また家に戻り、今度は徒歩でグラウンドに向かい、開会式と赤組・白組の応援合戦を見ました。

午前中の次女の競技は、見られそうになかったので、私はそこで家に帰り、礼拝に行きました。礼拝終了後、急いで小学校に行くと、なんとか昼食に間に合います。チラシ寿司、イカ飯、唐揚げ、エビフライ、エビチリ、昆布巻き、卵焼きなどがきれいに並んだ、豪華なお弁当でした。

聞くと次女は、午前中の「運命走」で、1位になったとのこと。実際に見られなかったのは、残念でしたね。後で、妻が撮影したビデオを見ました。午後の6年生の競技は、「スタンツ(組み体操)」と「騎馬戦」です。こちらはしっかりと応援し、私自身がビデオカメラに撮影しました。

開会式は、児童会会長の挨拶があったのですが、閉会式で挨拶するのは、児童会副会長です。次女が最後に立派な挨拶をした(親バカ? 笑)のを、デジカメとビデオに収め、無事に運動会は終了しました。長女の時から数えると、今回が12回目の運動会だったそうです。これ以外にも、幼稚園の運動会が4回ありました。保護者として参加する運動会は、すっかりベテランになりましたね(笑)。

12回の運動会では、実にさまざまなことがありました。就学前の長男がグラウンドに乱入したり、突然の大雨があったり、徹夜明けや急な来客があったり、教会の子どもが骨を折ったり、ハプニングには事欠きません。今年は長女は京都に行き、長男は部活でいませんでした。次女は、休み時間中に転んで軽いケガをしましたが、今回の運動会が、一番のんびりできたような気がします。

神様が、12回の運動会すべてを守って下さり、楽しいひと時を過ごさせて下さったことを感謝します。

「主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。」(詩篇57:9-10、新改訳第3版)

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2007年5月15日 (火)

タラ

先週土曜日、ご近所から、タラを2匹いただきました。そちらの奥様は、趣味が海釣りのようで、今、釣って帰ってきたばかりだというのです。いただいたのは、一番小さいという話でしたが、2匹とも体長50センチくらいあったでしょうか。海から直接、わが家まで泳いできたかのような、そのままの雄姿です。

妻は最近、手首の調子が良くないので、私が包丁を入れることにしました。私も、魚をさばくなど初めてなので、妻の指示に従い、まず頭を切り落とそうとします。出刃包丁はないので、普通の家庭用包丁で切ろうとするのですが、タラの表面がぬるぬるとすべり、なかなかうまく切れません。包丁も、切れが悪かったようですが、タラも最後の粘りを見せたのでしょうか(笑)。

「頭」と格闘している最中、うっかり口の中に指を入れ、小指を「噛まれて」しまいました。土曜夜と日曜朝の礼拝で、ギターを弾かなければならなかったので、作業が終わった後、しっかりと消毒し、止血しておきました。これも、タラの「粘り」だったかな(笑)。何年か前に、生きているホタテを初めていただいた時も、殻から身を取り出す際に、うっかり爪を傷めたことがあります。下手くそでも、一応ギター奏者なので、気をつけなければなりませんね。

頭は、妻がすぐ煮物にして、土曜夜と日曜昼にいただきました。日曜夜は、タラのクリームシチューです。たらこスパゲッティもついたので、「親子ディナー」でした。残った身は、味噌漬けにしたり、冷凍したようです。そう言えば、京都に行った長女も最近、味噌仕立ての「タラ汁」を作ったと言っていました。近頃、タラとご縁があるようですね。

私も東京で一人暮らしを始めた頃、タラのムニエルを作ったことがあります。「ムニエル」が何なのかもよく知りませんでしたが、料理の本に出ていたので、その通り作ってみました。その時のタラも、美味しかったですが、釣ってきたばかりのタラには、もちろんかないませんね。

聖霊なる神様は、いのちの水の川に例えられています。神様は、私たちにいのちを与え、成長する環境を整え、養い育てて下さいます。その水にたくさん群がる魚たちは、祝福の象徴なのでしょう。いただいたタラを通しても、私たちを祝福して下さった神様に感謝します。

「この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。この水が入ると、そこの水が良くなるからである。この川が入る所では、すべてのものが生きる。」(エゼキエル47:9、新改訳第3版)

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2007年5月 8日 (火)

1年生を迎える会

今朝は、妻と2人で、小学校の「1年生を迎える会」に行ってきました。わが家に小1の子がいるわけではなく、小6の次女が、迎える側で挨拶をし、ピアノ伴奏をする役にあたっていたからです。

桜がきれいに咲いているグラウンドを遠目に眺めながら、校舎に入ると、ちょうど1年生が体育館に入場するところでした。次女は、児童会副会長として、前の方に座っています。妻は娘に、見に行くことを告げていましたが、私は急に行くことに決めたので、何も知らせていません。変に緊張しないようにと、人陰に隠れつつ、見ていました。(バレたかな? 笑)

学年ごとに歌ったり、踊ったり、6月の運動会の紹介をしてみたり、工夫を凝らした内容でした。今回、見に行って、このイベントがなぜ4月ではなく、5月に行われるのかが、よく分かりました。新しい学年になってから、練習期間が必要なのですね。

次女は、挨拶も無事にこなし、6年生の発表の「サザエさん」の器楽演奏や、全校の合唱曲の伴奏も、特に大きなミスはなかったようです。聴いている親の方が、ちょっと緊張していたかもしれません(笑)。1年間、全校集会で歌われ続けたその合唱曲は、いつも家では伴奏しか聞くことがありませんでした。全校で歌っても、やはりピアノの音を中心に聴いていましたね(笑)。

前回、「1年生を迎える会」を見に行ったのは、長男が新入生の時で、長女が児童会会長として挨拶したように思います。次女が小学校で弾くピアノ伴奏も、今回が最後のようです。この1年間の小学校のイベントは、わが家にとって一つひとつが、「最後」になります。うれしいような、ちょっと寂しいような、ですね。

神の国が、私たちの思いをはるかに超えて広がっていくのと同じように、子どもたちも神様に守られ、いつの間にか成長していることに感謝します。

「神の国は、人が地に種を蒔くようなもので、夜は寝て、朝は起き、そうこうしているうちに、種は芽を出して育ちます。どのようにしてか、人は知りません。」(マルコ4:26-27、新改訳第3版)

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2007年5月 4日 (金)

お花見

Img_09131 Img_09192 昨日は、家族でお花見ツアーに行って来ました。函館に住む妻の両親をピックアップし、まずトラピスチヌ修道院を見学、その隣にできた「市民の森」でお弁当を食べます。トラピスチヌ修道院は、長男と次女は初めてだったようです。修道院の辺りは、少し高台になっていて気温が低いのか、桜はまだでしたね。

お昼ごはんの後、空港付近にある牛乳工場を訪問しました。最近、ソフトクリーム屋さんができたとのことで、行ってみると、観光バスまで乗り付けるたいへんな賑わいです。すぐ近くで乳牛を育てている知り合いの農家が、無人の販売所に野菜を出していたので、ニンジンとジャガイモを買い、妻はお手紙まで書いて置いてきました。(夜、この農家の方から、「家にも寄ってくれれば良かったのに」と電話がかかってきました。)

それから湯の川にある老舗のお団子屋さんで、串団子を買い、五稜郭に桜を見に行きます。五稜郭公園付近は、函館ではたいへん珍しく、渋滞していました。九分咲きくらいだったでしょうか。みごとに咲いた桜の下、大勢の人がお花見をしていました。駐車場近辺は、車が少しも動く気配がなかったので、私たちは、少しずつ進む車の列の中から、桜を見つつ、「花見団子」をいただきました。

その後、「桜ヶ丘通り」の桜を見に行きました。800メートルほどの直線道路に、100本の桜が植えてあるそうです。普段は閑静な住宅街なのですが、ここも昨日は渋滞していました。札幌から来た観光バスからも、お客さんが降りて、ぞろぞろと歩いていました。こちらは、満開のようでしたね。穴場だと思っていたのですが、観光の人気スポットのようです。

義父母も子どもたちも、年中行事を終え、満足してくれたようで良かったです。神様が、今年も、素晴らしい桜の花を見せて下さったことを感謝します。運転しながら食べたお団子も、美味しかったですね。

「栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。」(マタイ6:29、新改訳第3版)

(写真は、五稜郭公園と桜ヶ丘通り)

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2007年5月 3日 (木)

遺品

GW後半に行われた葬儀は、市内の葬祭場を借り、執り行われました。札幌の教会の牧師が司式をし、教会員の方々が奉仕をして下さいました。私は、それまで多くの葬儀をお手伝いしてきましたが、遺族(しかも名ばかりの「施主」)として出席したのは、初めてです。連休中にも関わらず、皆さん、快くご協力して下さり、たいへん立派な葬儀となりました。

葬儀がすべて終わった後、ふと見ると、実家に紺色の「Baby-G」を発見します。確か、長女が5年生くらいの時だったでしょうか。父は、孫娘の腕時計が壊れているのを知り、突然、新品の時計を送ってきます。CASIOの白いBaby-Gでした。どうやらこの時、自分もお揃いを買ったらしく、色違いの腕時計が実家にあったのです。

私が高校の時に買ってもらったデジタル腕時計も、確かCASIOでした。デジタル・ウォッチが出始めの頃で、分厚く重かった記憶があります。Baby-Gも、ちょっと雰囲気が似ていました。そこで、これを形見にもらってきました。

大学生になった長女は、さすがにもうBaby-Gは使っていないようですが、私は、6年経った今でも使用しています。キャンプの時はタフであり、海外出張の際は、モードを切り替えるだけで時差調整ができるので、たいへん便利です。

私が使っているのを見て、同じようなデジタル・ウォッチがほしくなったのか、今、中2の長男はG-Shock、小6の次女はBaby-Gを使っています。名探偵コナンの時計と違い、懐中電灯代わりになったり、麻酔銃で「毛利のオッチャン」を眠らせたりは、できませんけどね(笑)。

しかし、考えてみると、父の第一の遺品は、他ならぬ私自身と弟、そして孫たちなのでしょう。「遺品」は、大切にしていかなければなりませんね。

「あなたがたが互いに愛し合うこと、これが、わたしのあなたがたに与える戒めです。」(ヨハネ15:17、新改訳第3版)

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2007年5月 2日 (水)

送別の祈り

父が肝臓がんで、もう手術ができない状態だということは、少し前から知らされていました。子どもたちが春休みの3月、「おじいちゃん」がまた入院したと聞いたので、家族でお見舞いに行くことにします。定山渓のホテルに泊まり、翌日、病院に行くと案外、元気なようすでした。

父自身はただ、自分の死期が迫っていると感じていたのか、入院中に「自分史」を書き上げていました。ラップトップを購入し、ベッドの上で、キーボードを打ち続けたようです。こっそりと病院を抜け出して、近くの書店に辞書を買いに行った日もあったとのこと。後から母が、「あれでいのちを縮めたよね」と苦笑していました。

3月のお見舞い時には、その「自分史」が刷り上っていて、父は満足そうでした。自分の足で歩き回り、洗濯もし、アイスクリームもカステラも自由に食べています。母は、医師から「5月までもたない」と言われていたようですが、そんな言葉がまったく信じられないほど、元気に見えました。

私は、4月の教会総会の後、5月末には教団の総会が予定されていました。教団の「書記局長」になって初めての総会であり、資料準備に大わらわでした。父は、4月に入ってから急に容態が悪化したようでしたが、3月の元気なようすが目に焼きついている私には、母から電話で病状を伝えられても、あまり実感がわきません。ですから、弟から電話があった時も、半信半疑でした。

仕事の区切りを付け、2001年5月2日の朝、高速バスで札幌に向かいます。父は、もう意識がなく、血色も悪く、1ヶ月ほど前とは、まるで違っていました。少し状態が落ち着いていたので、家族を連れてくることにします。夕方のバスでとんぼ返りし、翌朝6時半頃、車で七飯を出発しました。すると7時過ぎ、八雲のあたりだったでしょうか、携帯に弟から電話が入ります。私が帰った後、前夜遅く、父は天に召されたとの知らせでした。

クリスチャンのお見舞いに行く時は、最後に必ず一言、祈ります。父の場合も、そうでした。祈っている時、感じたのは、もう別れの時が「カウントダウン」され、間近に迫っていることでした。しかし、父は救い主イエスを信じ、「天国のいのち」がすでに与えられていたので、私は平安のうちに、神様にすべてをゆだねる祈りをすることができました。思えばあれが、主のみもとに送り出す「送別の祈り」だったのでしょう。父も少し、祈りに反応したかのように見えました。

神様が、イエス・キリストを信じるすべての人を、天国に招き入れて下さっていることを感謝します。

「イエスは、彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。』」(ルカ23:43、新改訳第3版)

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2007年3月15日 (木)

サバイバル・イングリッシュ

留学した時、4歳だった長女は、教会の敷地内にあったプリスクール(保育園)に行くことになりました。一人で時間をもてあましていたことと、英語習得のためです。親はもちろん、日本の学校でしっかりと英語を勉強し、単語と文法、そして慣用表現を頭に叩き込んでからアメリカに来ました。しかし、娘は、基礎知識ほとんどゼロの状態で、いきなり英語の環境に飛び込んだのです。

留学前、ある年配の女性が、私たち夫婦にこう言いました。「あなたたちはいいけれど、子どもがちょっと、かわいそうね。」小さな子は、外国語習得が早いから大丈夫だろうと、タカをくくっていました。すると、ある晩、長女が風邪で高熱を出して寝ている時、寝言を言います。「コトバがわからないの…。」起きている時には、そんなことは一言も言いませんでした。胸が痛みました。

意味不明の「音」をしばらく喋った後、長女が初めて口にした、英語の「文」は、「Don't touch me(私にさわらないで)!」でした。食事をしている時、突然、そう言ったので、妻は驚いたようです。プリスクールでは、アジア系の黒いストレートヘアの女の子は、珍しかったのかもしれません。小さな子どもたちは、さわるにも、遠慮などないですからね。これこそ、サバイバル・イングリッシュ(「生き残りの英語」?)だと思いました。

長女は、その後、教会付属の幼稚園と小学校1年生を修了し、日本に帰ることになります。帰国の直前には、私たちとの会話もほとんど英語になり、親の発音を直すまでになりました。帰国後は、英語を忘れないよう妻がいろいろと気を遣った結果、力を維持することができ、中学や高校では、地域のスピーチコンテストにも出場させてもらいました。海外からお客さんが来た時も、英語で会話し、簡単な通訳もこなしています。

先日受験した一つの大学に、今朝、合格が決まりました。神様の恵みに感謝します。英語力をさらに伸ばしていきたいというのが、本人の希望のようです。主なる神様が計画して下さっている最善の道を歩み続け、その愛によって成長し、神様の豊かな祝福を自ら体験して、周りの人にもその恵みを分かち合っていくような生き方をしていってほしいと、願っています。

「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。」(詩篇37:5、新改訳第3版)

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