礼拝

2017年6月25日 (日)

あり得ない望みを抱く

 聖書には、あり得ない望みを抱いた人たちが、何人も登場します。アブラハムは神の約束を信じ、全世界の人々を祝福する望みを抱きました。その時、彼は75歳。今の日本では、後期高齢者です。若い頃と比べると、かなり体力が落ちていたはずです。もう引退して、どこかで静かに暮らしたいと思ってもおかしくありません。8年前のある調査によると、日本では65歳まで働きたいと考える人が41.5%とか。70歳までは27.1%。60歳までは11.8%。全部合わせると、90%以上の人が75歳までに引退を希望しているようです。その年齢になって外国の知らない土地に行き、新しいことを始める人は、ほとんどいないでしょう。ところがアブラハムは、75歳で新たな冒険旅行に乗り出しました。約束の地に向かい、全世界を祝福する旅です。神に示されたカナンの地に着くと、そこには住んでいる人たちがいました。にもかかわらず神は、その地をアブラハムとその子孫に与えると約束されました。全世界を祝福する国を造るためです。目の前の現実を見るなら、カナン全土の所有など、あり得ませんでした。そこに彼らの国ができるとは、全く思えない状況でした。それでもアブラハムは、望みを捨てませんでした。どんなにあり得なくても、神が必ず望みを実現して下さると信じたのです。

 モーセがあり得ない望みを抱いたのは、80歳の時です。彼は、エジプトの王女に拾われ、息子として育てられました。成人すると、王族としての公務も果たしたはずです。しかし40歳の時、ユダヤ人を虐待するエジプト人を殺してしまいました。それがエジプト王に伝わり、モーセは死刑にされそうでした。そこで彼は、エジプトから「高飛び」しました。40年間、ミデヤンの地で羊飼いをしました。おそらく彼は、最期までそこで静かに暮らすと考えていたでしょう。ところが神は、80歳のモーセにこう命じられました。「エジプト王と話をし、ユダヤ人奴隷を解放しなさい。」エジプトは超大国で、支配者の王は神とあがめられていました。一方のモーセはお尋ね者で、住所不定の放浪者です。エジプト王が、彼の言うことを聞くとは思えませんでした。それでもモーセは、神のみこころに従いました。数百万の奴隷を解放するという、あり得ない望みを抱いたのです。神は、その望みを実現させて下さいました。アブラハムの子孫に約束の地を与えられたのです。

 預言者ダニエルも、あり得ない望みを抱きました。長い間バビロニアとペルシャの王宮で働いた彼は、おそらく80代になっていたはずです。彼は、バビロン捕囚の生き残りでした。70年前、祖国が滅亡し、首都エルサレムは破壊されました。ダニエルたちは約束の地から連れ去られ、バビロニアで働かされました。しかしダニエルは、信仰を失いませんでした。何が起きても、神が必ず約束を守られると信じていました。ライオンのいる穴に投げ込まれても、彼の信仰は揺るぎませんでした。80歳を過ぎた頃、いよいよ約束の時が来たと彼は信じました。そして、エルサレムの復興を求めて祈ったのです。エルサレムは70年間、荒れ果てたままでした。現実を見れば、復興など考えられませんでした。それでもダニエルは、望みを抱きました。昔、与えられた予言が、必ず実現すると信じていたからです。ダニエルの望み通り、エルサレムは復興しました。アブラハムの子孫は、約束の地に戻れたのです。そしてイエス様が、その地に来て下さいました。

 イエス様も、あり得ない望みを抱かれました。全人類を罪の支配から解放し、永遠の約束の地に導くという望みです。イエス・キリストを信じる人は、アブラハムの後継者とされます。彼らと同じように、あり得ない望みを抱くことができます。望みを実現する神を信じることができます。イエス様とともに、不可能なミッションを可能にすることができるのです!

「彼は望みえないときに望みを抱いて信じました。それは、『あなたの子孫はこのようになる』と言われていたとおりに、彼があらゆる国の人々の父となるためでした。」(ローマ4:18)

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2017年6月18日 (日)

正しく生きる

 文部科学省のホームページには、学校における道徳教育について次のような説明があります。「児童生徒が,…善悪の判断などの…道徳性を身に付けることは,とても重要です。」この考え方に基づき、3年前から「私たちの道徳」という教材が小中学校で配布されているようです。この教材は学校だけでなく、家庭や地域での活用も期待されているとのこと。ホームページに掲載されているので、小学校1、2年生向けの「私たちの道徳」を見てみました。良いことがいろいろ書いてあります。例えば、こういう教えです。「自分でやらなければならないことを、しっかりとやろう。」「良いと思ったことは、どんなに小さなことでも進んでやろう。」してはならないことについても、書いてあります。「嘘をついてはいけません。」「悪口を言ってはいけません。」自分の生活を思い起こし、ちゃんとできたか書き込むページもあります。子供たちはこうした道徳性を身に付け、将来、立派な大人になってほしいですね。中には政治家や官僚など、国を指導する立場につく子もいるはずです。

 道徳性とは、何が正しいかを判断し、正しく生きようとする心のこと。白と黒の違いを見分け、正しい方を選ぶ心です。この心を養うことは、16世紀にドイツで始まった宗教改革のテーマでもありました。当時、人々は上から正しいと言われたことにただ従っていました。カトリック教会のトップ(「最高レベル」)であるローマ教皇が、白か黒かを決めました。一般の人々には、白黒を判断する基準がなかったのです。彼らは、ラテン語の聖書を読めませんでした。教皇や教会の教えが聖書と一致しているかどうか、分かりませんでした。しかし修道士ルターは、聖書を自由に読むことができました。ローマ教皇や教会の教えが、聖書から大きくずれていると感じ、こう主張しました。「指導者たちも間違える可能性がある。だから、聖書を正しさの基準にすべきだ。」そして一般の人々も聖書を読み、独自に判断できるように、聖書をドイツ語に翻訳しました。それは、飛ぶように売れたそうです。人々は聖書に基づき、白か黒か判断できるようになりました。誰もが道徳性を身に付け、正しく生きられる条件が整ったのです。

 ただ、正しさの基準を知ったからといって、その通り生きられるとは限りません。人は間違いを犯しやすいことを、聖書は証言しています。エデンの園でアダムとエバは、神との約束を破りました。食べてはいけない木の実をとって食べました。自分の間違いを人のせいにもしました。人類共通の祖先は、道徳性に問題があったのです。シナイ山でユダヤ人たちは、モーセの律法を授けられました。律法は、道徳性の完璧な基準でした。ところがユダヤ人たちは、しばらくすると律法を無視して生きるようになりました。律法のない異邦人と変わらなくなりました。国の指導者たちは白を黒、黒を白と言いくるめるようになりました。そして、国は滅びました。人々は、諸外国に散らされました。自分たちがどこで間違ったのかを反省する時が与えられたのです。

 イエス様は、誰もが正しく生きられるよう、助けに来られました。私たちはアダムやエバと同じく、道徳性に問題を抱えています。ユダヤ人たちのように、間違いを犯すかもしれません。そんな私たちに、イエス様は新しい生き方を示されました。正しく生きるため、天の助けを求める生き方です。イエス・キリストを信じる人は、天の完璧な正しさが心に刻まれ、生き方が変えられます。自分の力によらず、学校教育によらず、天地創造の神により、私たちの道徳性は磨かれるのです。

「しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によってあかしされて、神の義が示されました。すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません。」(ローマ3:21-22)

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2017年6月 4日 (日)

聖霊の恵みを受ける

 今日は、ペンテコステの日です。キリスト教会の誕生日です。イエス様が天に昇られた後、エルサレムで祈っていた120人の弟子たちにこの日、聖霊が注がれました。その奇跡に驚いた人3000人が、新たに弟子に加わりました。聖霊の恵みにより、エルサレムに突然、大きな教会が生まれたのです。

 この日は、ユダヤ人が神から律法を授けられた記念日とも言われます。エジプトを後にしたユダヤ人たちは、3か月目にシナイ山のふもとに到着しました。モーセが以前、燃える柴を見た山です。彼はエジプトの王宮から逃げ、40年間、羊飼いをしていました。殺人犯で、身を隠していたのです。そのモーセに、神はこう命じられました。「エジプトに戻り、ユダヤ人たちをここに連れて来なさい。」「そんなことは無理です」とモーセは最初、断りました。しかし神様は、数々の驚くべき奇跡を成し遂げて下さいました。そしてモーセは、数百万人のユダヤ人とともに、シナイ山に戻って来たのです。その山で、モーセは律法の土台となる十戒を受け取りました。律法は、創造主なる神がアブラハムの子孫に与えた契約書でした。古代イスラエルの憲法でもありました。イスラエルの国はこの時、誕生したと言えます。この憲法記念の日に、教会も誕生しました。聖霊の恵みを受けた人々により、神の国の新たな国づくりが始まったのです。

 ペンテコステの日は、小麦の収穫開始のお祝いでもあります。約束の地に入ったユダヤ人たちは、年に3回、収穫を祝いました。春は過越の祭り、初夏は七週(ペンテコステ)の祭り、そして秋は仮庵の祭りです。春の祭りでは大麦の収穫開始を祝い、ユダヤ人はパン種(イースト)を入れないパンを食べます。パン種は罪の象徴であり、種なしパンは罪のないお方=イエス様の象徴でした。イエス様が十字架につき、復活されたのは、この春の祭りの時です。ご自身は、人に永遠のいのちを与えるパンだと示して下さいました。一方、初夏のペンテコステには、パン種の入った小麦のパンが食べられます。それは、罪ある普通の人の象徴だと言えます。ペンテコステの日、祭司は2つのパンを天に向かって揺り動かし、神の恵みを感謝しました。この日誕生した教会は、律法を完璧に守る罪のない人の集まりではありません。罪ある普通の人が聖霊の恵みを受け、神の国の民とされました。2つのパンは、ユダヤ人と異邦人という人類の2つのグループを象徴すると考えられます。聖霊の恵みにより、ユダヤ人と異邦人がともに神の国の国民とされる時代が来たのです。

 聖霊は、父なる神や御子イエスとともに、全てを創造されました。イスラエルの国を造るため、指導者たちを導かれました。預言者を満たし、神のことばを語らせました。そして、みことばが人の心に記される時がいつか来ると約束されました。ペンテコステの日、その約束が実現したのです。聖霊が弟子たちを満たし、心のうちに住まわれるようになりました。ともにおられる聖霊は、いつでも神のことばを思い起こさせて下さいます。その恵みは、ごく一部の指導者だけのものではありません。イエス・キリストを信じる全ての人に、聖霊の恵みが与えられています。イエス様は聖霊に満たされ、新たな国づくりを始められました。弟子たちも聖霊に満たされ、世界中にその良い知らせを広めて来ました。私たちにも同じように、素晴らしい聖霊の恵みが分け与えられています。その恵みを心から喜び、ともにお祝いしましょう。喜ぶ私たちの姿を見て、神様も喜んで下さいます。

「外見上のユダヤ人がユダヤ人なのではなく、外見上のからだの割礼が割礼なのではありません。かえって人目に隠れたユダヤ人がユダヤ人であり、文字ではなく、御霊による、心の割礼こそ割礼です。その誉れは、人からではなく、神から来るものです。」(ローマ2:28-29)

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2017年5月14日 (日)

勝利者の人生を全うする

 今日は、神の民のアイデンティティ・シリーズ最終回です。これまでのテーマは神の作品、旅人、祭司、王族、証人、弟子でした。今回のテーマは勝利者です。イエス・キリストを信じる人は、人生の勝利者とされています。

 東京のあるお寺では毎月、死を体験するワークショップを開催しているそうです。2時間で3,000円。30人くらいの人がお坊さんの話を聞き、死を前にした時の自分を想像するそうです。もともとは米国のホスピスで始まった、スタッフ教育のプログラムだったとのこと。参加者はまず、自分にとって大切なものを紙に20個書き出し、机に並べます。お坊さんの話が進むにつれ、その中の一枚、あるいは何枚かを選びます。選んだ紙をまるめ、床に捨てます。最後に残る紙は何か確かめ、それが自分の人生にどんな意味を持つか考えます。多くの人は、「家族」と書いた紙が最後に残るそうです。「iPhone」や「歌を歌う」と書いた紙を残す人もいるようです。このワークショップは人気が高く、チケットは完売になるとか。参加者は、次のようなコメントを残しています。「最後に残したものは、自分でも想像しないものでした。」「こんなにも多くの好きな物事に囲まれていたのかと、幸せな気持ちになりました。」「自分の中でさまざまな感情が揺れ動いた時間でした。また参加してみたいです。」このお寺以外でも、死を体験するイベントが開かれています。棺おけの中で、お経や弔辞を聞く体験もあるそうです。

 最近は、「終活」という日本語をよく目にするようになりました。この言葉は、2009年に週刊朝日が造った造語だそうです。最初は、葬儀やお墓の準備を意味しました。しかし今は、もっと広い意味で使われます。「人生のエンディングを考え、自分を見つめ直すことにより、今をより良く、自分らしく生きる。」そのような意味です。60歳以上を対象にしたある調査では、終活をすでにしている人は8.9%。近いうちに始めようと思う人は8.5%。時期が来たら行いたい人は56.2%。合わせて74%の人が、終活に関心を持っています。別の調査では、終活として具体的に何をするか聞きました。第1位は、物の整理・片づけ。第2位は、保険等のお金の準備。第3位は、今の人生を楽しむことです。やり残したことをしたい人も多いようです。圧倒的に多いのが旅行で世界一周、海外旅行、夫婦で旅行など。私も先週、夫婦で函館に行って来ました。終活の一環と言えますね(笑)。

 終活でほとんど語られないのは、死後の行き先です。あまり考えたくない人が多いのかもしれません。あるいは、自分の「信仰」を脅かされたくないのかもしれません。ある人たちは、死後の世界はないと信じています。死んだら全て無になるという考えです。別の人たちは、違う世界に生まれ変わると信じています。遺族がお経を唱えたら、より良い世界に行けると教えられています。さらに他の人たちは、死んだら自動的に天国だと信じています。みんな天国なら、そこに行くため必要なことは何もありません。これらの「信仰」は、どれかが正しいと言えるのでしょうか。もし死後の行き先を間違ったら、せっかくの終活も残念な結果に終わってしまいます。

 創造主の約束を記す聖書は、死後の行き先について明確に証言しています。イエス・キリストを信じる人は、永遠の天の御国にゴールインできます。輝かしいゴールを楽しみに、今を存分に生きることができます。イエス様とともに生きることこそが、最高の終活です。栄光に輝く勝利者として、私たちは、昨日も今日もいつまでも生きることができるのです。

「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現れを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」(Ⅰテモテ4:7-8)

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2017年5月 7日 (日)

弟子として成長する

 今日は、神の民のアイデンティティ・シリーズ第6回です。これまでのテーマは神の作品、旅人、祭司、王族、証人でした。今回のテーマは弟子です。イエス・キリストを信じる人は、キリストの弟子と呼ばれます。

 毎週木曜日に、プレバトというバラエティー番組が放映されています。「プレッシャーバトル」を略して、「プレバト」と言うようです。人気芸能人は本当に才能があるのか、全ての人の前でテストする番組です。テスト科目は俳句、生け花、水彩画など。彼らの作品を専門家が見て、3段階で評価します。才能アリか、凡人か、才能ナシかです。プレッシャーがかかりますね。何度も才能アリと評価されると、特待生に昇格します。さらに良い成績を続けると、名人になります。名人の上の師範になると、専門家と同じ立場で解説できるそうです。特に注目されているのは、俳句コーナーです。夏井いつきという先生が、出演者の俳句を評価します。この先生の解説と添削は、実に見事です。上手な人はほめ、下手な人は相手が誰であろうとはっきり「ダメ」と言います。ところがダメな作品も、先生が赤を入れ添削すると、美しい俳句に生まれ変わります。その痛快さと絶妙さがウケて、番組は何年も続き、高い視聴率を維持しているようです。

 夏井いつきさんは、1957年愛媛県生まれ。京都の大学卒業後、愛媛に戻り、中学校の国語教師になりました。ある日、雑誌に掲載された黒田杏子さんの俳句を見て、衝撃を受けたそうです。その瞬間、「私はこの人の弟子になる」と決めました。それから真剣に俳句を作り始め、雑誌にも投稿しました。投稿した俳句が入選すると、選者の黒田杏子さんから直筆の葉書が届きました。本当にうれしくて、弟子入りできたような気持ちになったそうです。その後、師匠と直接会う機会も得ました。そんな時は、耳にした師匠の言葉を自分なりに解釈し、自らの栄養として来たそうです。夏井さんは黒田さんに指導され、弟子として成長できました。偉大な師匠を持てた自分は、「果報者」だと言っています。そして今は、果報者のネットワークを広げています。俳句に興味を持つ人を増やすため、日本各地で俳句教室を開催して来ました。テレビやラジオを通し、弟子となる人を増やしています。夏井さんに添削され、怒られたい人が増えているそうです。

 旧約聖書には、弟子という言葉はほとんど出て来ません。弟子づくりは、基本的に家庭中心だったためかもしれません。アブラハムはイサクに信仰を伝え、イサクはヤコブに伝えました。ヤコブの信仰は、イスラエルの12部族に受け継がれました。モーセは、人々にこう命じました。「神のことばをあなたの子供たちによく教え込みなさい。」子供は親の弟子として成長し、受け継いだ教えを自分の子供たちに伝えました。時には、親子以外の師弟関係も生まれました。モーセは、ヨシュアを弟子として育てました。40年の訓練を経て、ヨシュアはイスラエルの偉大な指導者に成長しました。預言者エリヤは、エリシャを弟子として育てました。師匠から多くを吸収したエリシャは、立派な預言者として活躍しました。

 イエス様は、血縁関係によらない弟子づくりを積極的に始められました。神の選びの民を新たに造るように、12人の弟子を育成しました。彼らは、イエス様と3年半行動を共にしました。師匠の姿を間近で見ました。いつどんなことばを語り、どんな行動をとったのか、しっかり心に刻み込みました。神の国について、多くの教えを賜りました。イエス様の指導により、弟子たちは成長しました。ペンテコステの日以降、彼らは優れた指導者として、新たな弟子たちを育てるようになりました。イエス・キリストを信じる人は、彼らと同じようにイエス様の弟子として成長することができます。時には、ダメ出しされるかもしれません。(でも、「才能ナシ」とは言われないはずです!)聖霊を通して神の御子イエスの指導を受けられる人は、この上ない果報者です。

「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(エペソ4:13)

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2017年4月30日 (日)

証人として語る

 今日は、神の民のアイデンティティシリーズ第5回です。これまでのテーマは神の作品、旅人、祭司、王族でした。今回のテーマは証人です。イエス・キリストを信じる人は、キリストの証人とされています。

 先月、肥田舜太郎という方が亡くなられました。100歳でした。広島出身の医師で、28歳の時に原爆に被爆しました。それ以来、被爆者の治療に携わり続けました。当初は、それが反米活動とみなされました。原爆投下直後、日本を占領したのは米国軍でした。彼らは、原爆の影響に関する情報を軍事機密にしたのです。占領期間が終わる時、日本は米国と安全保障条約を結びました。米国の「核の傘」の下に入りました。そのため日本政府は、広島や長崎の原爆被害について、その後も詳しい調査を行わなかったようです。被爆者たちは、ほったらかしにされました。結婚や就職などで、差別を受けるようにもなりました。被爆者だと名乗り出るのが難しくなりました。

 肥田氏は引退するまで64年間、6,000人を超える被爆患者を診療しました。占領軍に3回逮捕されましたが、ひるみませんでした。診察した多くの人が、原因も治療法も分からず死んで行きました。その状況を見て、怒りがこみ上げて来たそうです。無力さも感じました。ほとんどの医者が、逃げてしまったそうです。でも肥田氏は、逃げませんでした。目の前の被爆患者たちを放っておけなかったのです。2011年の原発事故の後は、内部被爆の危険性を訴え続けました。過去の過ちを繰り返さないよう、政府や東京電力に徹底した情報公開を求め続けました。最期まで、被爆の証人として語り続けた生涯だったようです。

 肥田氏が亡くなった日、私は大阪で娘の結婚式に出席していました。そしてその2日後、何も知らずに妻と二人で広島を訪問しました。広島は初めてでした。いつか平和記念公園に行きたいと思っていましたが、やっとその時が来ました。大阪に行くので、思い切って広島までの旅行にしたのです。目の前で見る原爆ドームは、圧倒的な存在感がありました。原爆は、ドームの真上600メートルで爆発したそうです。20万人以上が死亡し、半径2キロの市街地が廃墟となりました。原爆ドームは、1996年に世界遺産に登録されました。看板には、ドームについてこういう説明がありました。「人類史上初めて使用された核兵器の惨禍を伝える歴史の証人」。公園内にある慰霊碑や資料館も見学しました。公園全体が、原爆被害の悲惨さを証言し、過ちを繰り返してはならないと強く訴えているようでした。

 創造主なる神は、全人類の中から証人を選ばれました。神から離れる悲惨さを証言し、過ちを繰り返してはならないと訴える人々です。選ばれたのは、アブラハムとその子孫たち。彼らは、アダムとエバの過ちを証言しました。ノアの時代の人たちの過ちも証言しました。バベルに塔を建てた人々の過ちも証言しました。自分たちの過ちも証言しました。そして彼らは同時に、悔い改めた人に対して神がどんなに恵み深かったかも証言しました。自分たちに不利な証言であっても、彼らは記録を廃棄しませんでした。自動的に消去するシステムもありませんでした。過ちを繰り返さないよう、全世界に情報を公開したのです。

 イエス・キリストを信じる人は、アブラハムの子孫とされています。どんな過ちを犯した人でも、心から悔い改めて赦しを請うなら、神の恵み深さを体験できます。不利な情報も隠ぺいする必要はありません。私たちは、神の素晴らしい恵みの証人とされるのです。

「あなたがたはわたしの証人、──主の御告げ──わたしが選んだわたしのしもべである。これは、あなたがたが知って、わたしを信じ、わたしがその者であることを悟るためだ。わたしより先に造られた神はなく、わたしより後にもない。わたし、このわたしが、主であって、わたしのほかに救い主はいない。」(イザヤ43:10-11)

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2017年4月23日 (日)

王族の特権を喜ぶ

 今日は、神の民のアイデンティティ・シリーズ第4回です。第1回のテーマは神の作品、第2回は旅人、第3回は祭司でした。今日のテーマは、王族です。王族とは、王の一族のこと。イエス・キリストを信じる人は、天の王族の身分が与えられています。

 童話の中には、身分の低い主人公が王族になる話があります。最も有名な話の一つは、シンデレラですね。シンデレラは、継母や姉たちにいじめられていました。お城の舞踏会があっても、ドレスを用意してもらえませんでした。しかし不思議な助けがあり、舞踏会に出席します。シンデレラと会った王子は、一目ぼれしました。ガラスの靴を手掛かりに彼女を探し出し、結婚します。シンデレラは、こうして王族の仲間入りをしました。そして二人はいつまでも幸せに暮らしましたとさ、めでたしめでたし。この話が、いわゆる「シンデレラ・ストーリー」という言葉の由来です。ごく普通の人が、驚くばかりの成功や幸せをつかみ取った時のことを言います。女性だけでなく、男性の場合にも使われます。日本語にも、似たような意味で「玉の輿に乗る」という表現があります。この表現は普通、女性の場合に使われます。男性の場合は「逆玉」と言ったりします。シンデレラは玉の輿ですが、アラジンは逆玉ですね。

 シンデレラは王子と結婚し、王族としての特権を手に入れました。特権の一つは、愛する王子とともにお城に住むことです。ディズニーランドにあるシンデレラ城のようだったかもしれません。お城の生活は、慣れないことが多かったはずです。しかし彼女は、継母や姉たちに十分鍛えられていました。どんな困難も、きっと乗り越えることができたに違いありません。特権の二つ目は、豊かな暮らしです。食べ物はもちろん、着るドレスにも困らなかったはずです。どんな舞踏会にも、誰もが心を奪われるような美しい姿で登場することができました。午前0時を過ぎても、見すぼらしい姿にはなりません。特権の三つ目は、王族としての公務です。国王の代理としてさまざまな場所に出掛け、人々を励ますことができました。彼女は多くの人々から愛され、人気が高かったはずです。シンデレラはこれらの特権を十分に活用し、幸せな生涯を送ったと想像できます。

 旧約聖書の時代には、エステルという「シンデレラ」が実在しました。彼女は、捕囚のユダヤ人でした。王妃を探していたペルシア王に見初められ、結婚しました。ペルシアの王族となり、王宮に住むようになりました。食卓には毎日、美味しい食事が並んだはずです。最高のメイクをし、美しいドレスを着て、目もくらむようなジュエリーを身に着けました。王妃主催のパーティーを開き、大切なゲストをもてなすこともしました。彼女がした最も重要な公務は、帝国内にいたユダヤ人を大虐殺から救ったことです。彼女の勇気ある行動は、多くの人を励まし、人々の模範となりました。

 イエス様は、天の御国の王子として王妃を捜しに来られました。イエス・キリストを信じる人は、誰もがシンデレラです。キリストの花嫁として、天の王族に加えられます。王に即位したイエス様が住む、永遠の王宮に迎え入れられます。まばゆいばかりに光り輝く、純白のドレスを身に着けます。あらゆる必要が満たされた、豊かな暮らしを満喫できます。王族として公務も行います。天の御国のシンデレラは、このような素晴らしい特権を手にし、喜ぶことができるのです。

「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(ヨハネ1:12)

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2017年4月16日 (日)

良いスタートを決める

 先日、近くのイオンに行ったら、なんとイースターの歌が流れていました。きゃりーぱみゅぱみゅさんの新曲です。歌の後にナレーションが入り、「イオンで始めよう、イースターパーティー」とか言っています。今日4月16日までのセールの案内も、店内のあちこちに貼ってありました。「とうとう、イオンもイースターか」と驚きました。店内のスピーカーでは歌詞がよく聞き取れなかったので、帰宅してすぐネットで調べました。キャッチフレーズは「日本初のイースターパーティーソング」。でも歌詞は「イースター」ではなく、「いいスタート」と歌っていました。春は、新しい場所で新たな戦いを始める季節。だから「いいスタートを決める」という歌でした。ミュージックビデオも見ました。「不思議の国のアリス」のようでした。きゃりーは卵の王国の王女で、新たに旅立つところ。その彼女を、大勢の卵たちが盛大なパレードで送り出すというストーリーです。その後、テレビのCMも見ました。こちらの映像は卵の王国ではなく、地球上のようでした。田舎ののどかな場所で、きゃりーと子供たちが野外のパーティーを楽しんでいました。王女は卵の王国から地球に来て、新しい生活を始めたのかもしれません。

 イオンのCMもミュージックビデオも、イースターがキリスト復活のお祝いだと一言も言っていません。イオンのホームページには、こう書かれていました。「春の訪れを喜びお祝いする祭典、それがイースター。あたたかい太陽の日差しと清々しい風が自然と気分をウキウキさせてくれる。そんなウキウキする気分を、家族や気の合う仲間と分かち合う。ただ、それだけでいい。」イオンのCMで、きゃりーが演じるキャラクターは「春の女神エオストレ」という名前です。ある人によると、エオストレとはキリスト教が広まる前、ヨーロッパで信じられていた女神だそうです。春の温もりをもたらすこの女神に感謝をささげ、春分の頃に祭りをしたとか。女神の名前にちなみ、祭りはイースターと呼ばれたという話。日本にはクリスチャンが少ないので、イースターは馴染みがありません。そこでイオンは女神エオストレを持ち出し、「イースターパーティーをしましょう」と呼びかけたのでしょう。

 イスラエルでも、旧約聖書の時代から春の祭りがお祝いされて来ました。「過越の祭り」と呼ばれています。エジプトで奴隷だったユダヤ人たちの解放を記念する祭りです。長い冬のような奴隷生活を耐え忍んだユダヤ人たちに、春がやって来ました。彼らに春をもたらしたのは、女神エオストレではありません。全世界を造られ、季節の移り変わり全てをコントロールしている唯一の神様です。ユダヤ人たちは、その神から遣わされた指導者モーセに率いられ、エジプトから約束の地へ旅立ちました。唯一の神とともに進む新たな生活をスタートさせました。ユダヤ人は今でも毎年この祭りを祝い、各家庭でホームパーティーを行っています。

 イエス様は、この祭りに秘められた深い意味を明らかにされました。この祭りは、創造主なる神が救い主を遣わし、全人類を奴隷状態から解放することを象徴していたのです。イエス様は十字架の上で死に、三日目によみがえられました。長い間、全人類を支配していた死に勝利されました。イエス・キリストを信じる人は、このよみがえりのいのちが与えられます。永遠の天の御国に向かい、創造主とともに歩む新たな人生がスタートします。旅立ちを祝うパーティーも楽しめます。イエス様が、全人類に春をもたらして下さいました。イースターは、この祝福をお祝いする日です。きゃりーぱみゅぱみゅさんもイオンの人たちも、永遠の祝福に向かって良いスタートを決められるといいですね。

「しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。というのは、死がひとりの人を通して来たように、死者の復活もひとりの人を通して来たからです。すなわち、アダムにあってすべての人が死んでいるように、キリストによってすべての人が生かされるからです。」(Ⅰコリント15:20-22、新改訳)

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2017年4月 2日 (日)

祭司の務めを果たす

 今日は、「神の民のアイデンティティ」シリーズ第3回です。今日のテーマは、祭司です。祭司とは、目に見えない霊的存在と人間との間の架け橋となり、信仰に基づく行いをする人です。日本の多くの人に馴染みがある祭司は、神主かお坊さんでしょう。日本では、おおよそ神道と仏教の棲み分けがなされています。多くの場合、結婚式等のお祝い事は神主、葬儀等のお悔やみ事は僧侶が担当します。神道に基づく結婚式では、神主は神々に新郎新婦の結婚を報告します。ふたりの身の汚れをはらい、幸せを祈願します。仏教に基づく葬儀では、死者が極楽浄土にたどり着けるよう、僧侶が念仏を唱えます。いずれにせよ神主やお坊さんは、神々や仏等の霊的存在と人間の間を橋渡しします。それぞれの信仰に基づき、結婚式や葬儀等の儀式を執り行います。

 聖書では、初めに3人の異邦人祭司が登場します。一人目は、メルキゼデクです。彼はシャレムの王で、いと高き神の祭司でした。いと高き神とは、創造主です。メルキゼデクは創造主なる神の御前に立ち、アブラハムの祝福を祈りました。二人目は、エジプトの太陽神の祭司ポティ・フェラです。彼の娘は、パロの命令によりヨセフと結婚しました。ポティ・フェラがヨセフの神を心から信じたかどうかは、分かりません。しかし義理の息子の働きを通し、少なくともヨセフが信じる神の偉大さは理解したはずです。娘の幸せについても、ヨセフの神に祈り求めたかもしれません。三人目は、ミデヤンの祭司イテロです。彼の娘チッポラは、モーセと結婚しました。ミデヤン人は、アブラハムの子孫です。サラの死後、アブラハムは再婚し、彼らの先祖が生まれました。しかしミデヤン人は、偶像の神々を拝むようになりました。イテロも偶像の神の祭司だったようです。ところが彼は、驚くべき出来事を目にしました。エジプトの親戚に会いに行った娘婿が、数々の奇跡の末、何百万人ものユダヤ人を連れ帰って来たのです。イテロは、イスラエルの神が全ての神々にまさって偉大だと理解しました。その神にいけにえもささげました。祭司イテロはその後、イスラエルの神だけを拝んだかもしれません。

 出エジプトの後、神様はユダヤ人に特別な使命を授けられました。彼らが「祭司の王国」となる使命です。世界中のほとんどの人が、創造主なる神から離れていました。偶像の神々を拝んでいました。そのような世界で、ユダヤ人は真の神と異邦人との架け橋になったのです。創造主なる神を信じ、その命令を行う特別な人々に選ばれました。その中で特に中心的な役割を担ったのが、モーセの兄アロンとその子孫たちです。彼らは、祭司の王国の祭司に任命されました。国全体が全世界の祭司として活躍するため、アロンの子孫は霊的リーダーシップを十分に発揮するよう期待されました。しかし残念ながら、そうなりませんでした。ユダヤ人たちは、神から与えられた特別な使命を忘れ、他の神々を拝むようになったのです。こうして祭司の王国は、滅亡しました。

 イエス・キリストは、この祭司の王国をよみがえらせて下さいました。ユダヤ人だけでなく、異邦人も祭司になる道を開いて下さいました。血筋に関係なく、信じる人は全て創造主なる神の祭司とされます。「万人祭司」です。神主もお坊さんも、信じるなら真の神の祭司になれます。神様と直接お話しできます。周りの人の祝福を祈ることができます。創造主の素晴らしさを伝えることもできます。神様は今、私たちにこの特別な務めを委ねておられるのです。

「しかし、あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分の驚くべき光の中に招いてくださった方のすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。」(第一ペテロ2:9)

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2017年3月26日 (日)

旅人の人生を満喫する

 先々週から、私たちのアイデンティティについて考えるシリーズが始まりました。前回は、神の作品がテーマでした。私たちは、神様に造られた高価な作品です。自分自身や周りの人を価値ある芸術品として大切にしなければなりません。今回のテーマは、旅人です。イエス・キリストを信じる人は、天の都を目指す旅人とされています。天の都は、私たちの永遠の住まいです。地上は一時的な滞在地であり、通過点です。私たちは今、旅先にいます。この世界には永遠に留まりません。今日は、私たちの旅について考えてみましょう。

 辞書によると、旅とは「住んでいる所を離れて、よその土地を訪ねること」です。旅には5つほど良いことがあります。1)日常生活から離れ、いつもと違う体験ができます。2)普段抱えているストレスから解放されます。3)普段目にしない光景や人々の生活を見て、新しい発見があります。4)いつもの生活を新しい視点から見直すことができます。5)気分を新たにして、また日常生活に戻ることができます。

 多くの人は、旅が好きなようです。「今後、生活のどのような面に力を入れたいか」というアンケート調査で、「レジャー・余暇活動」と答えた人は、ここ30年以上最も多いそうです。余暇活動のトップは、5年連続で国内観光旅行という調査結果もあります。2015年に日本国内の宿泊施設を利用した旅行者は、外国人を含め、のべ5億人以上とのこと。同じ年、海外旅行をした日本人は1,600万人以上。日本に来た外国人は、約2,000万人。国内の旅先ですることは、1位が温泉を楽しむ。2位が食を楽しむ。3位が自然の風景や花見を楽しむ。そして4位が歴史や文化的な名所を訪れる。私も先週、大阪での娘の結婚式の後、姫路や広島で世界遺産を見て来ました。桜はまだでしたが、温泉や食事を楽しんで来ました。旅を満喫できたことを感謝しています。

 「可愛い子には旅をさせろ」ということわざがあります。ある芸人が、こう言ったそうです。「ブスも旅をさせて。可愛い子限定じゃ不公平だ。」わざとボケたのでしょうが、そういう意味じゃないですね。「可愛い」というのは、見た目ではありません。親が子を愛する思いのことです。ことわざの意味は、こうです。「子供を愛し大切に思うなら、いつまでも親元に置いて甘やかさない方が良い。親元から離して苦労させ、成長する機会を与えなさい。」今は交通機関が発達し、気軽に旅行できます。ネットで何でも調べられるし、普段と違う体験を楽しむこともできます。しかし昔は、どこに行くにも自分の足で歩かなければなりませんでした。スマホもネットもありません。サバイバルゲームのようです。そういう試練を乗り越えるなら、子供はたくましく成長したのでしょう。

 神様は人類を愛し、長い旅に送り出されました。エデンから新しいエルサレムに向かう旅です。旅には試練がありました。箱舟の日々があり、放浪生活もありました。奴隷の日々があり、荒野の生活もありました。数々の戦争や捕囚の生活もありました。試練の連続でしたが、神様は可愛い子供たちの旅を助けられました。試練に打ち勝つ力を与えられました。希望と喜びで、彼らの心を満たされました。イエス・キリストを信じる人は、このツアーに参加することができます。永遠の都である天のエルサレムを目指すことができます。ツアーでは、多くの試練が待ち受けているかもしれません。しかし私たちは、どんな試練にも打ち勝つことができます。史上最強のツアーガイドであるイエス様が、導いておられるからです。ストレスからの解放もあります。新しい発見や新しい視点も与えられます。温泉や花見の時もあるかもしれません。私たちは、旅人の人生を満喫することができるのです。

「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。」(ヘブル11:13)

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