天命を果たす
私がクリスチャンになったのは37年前、24歳の時です。函館の教会で洗礼を受けましたが、その時、神にこう言われたように感じていました。
「洗礼を受けて、わたしのことばを語りなさい。」
私が果たすべき天命は、牧師になり、聖書の教えを語ることだと思いました。すぐ神学校に行くつもりでしたが、当時の牧師から別の提案がありました。教会の働きの実際をまだ知らないだろうから、しばらく奉仕を手伝ったらどうかという提案です。
そこで私は函館の教会に住み込み、1年数ヶ月にわたり「丁稚奉公」のように訓練を受けました。その後数年間、所沢で教会開拓のお手伝いをしたのも、訓練の続きでした。それは、天命成就への準備期間だったのです。
途中でさまざまな問題が発生し、何度もくじけそうになりました。でもその都度、神は私を助け、導きを与えて下さいました。最高の同志で、同労者である妻も与えられました。
思ったより時間がかかり、牧師になるのに結局10年かかりました。函館の北隣にある七飯町の教会に赴任し、10数年間そこで神のみことばを語りました。私はその町を愛し、ずっとそこで暮らすつもりでした。でも神は、思いも寄らぬ計画を持っておられました。妻と私は、再び所沢の教会に導かれたのです。
その教会は、私たちが以前いた頃と全く様変わりしていました。初めて会う異文化の人ばかりで、分からないことだらけでした。そんな中、私はただ天命に従い、みことばを語って来たつもりです。
失敗や足りない点は、多々あったかと思います。それでも、所沢の教会に集った皆さんがそれぞれ天命を果たせるよう、少しでもお役に立てたなら感謝です。
創造主なる神は、私たち一人ひとりに果たすべき天命を用意しておられます。ノアの天命は、箱舟を造ることでした。彼はその天命に従い、あらゆる生き物と彼の家族の命を救いました。彼らが生き延び、それぞれの天命を果たすお手伝いをノアはしたのです。
アブラハムの天命は、神の示す地へ行くことでした。彼はその天命を全うし、全世界の祝福となりました。世界中の人がその信仰にならい、天命を果たすお手本にもなりました。
モーセの天命は、ユダヤ人をエジプトから解放し、約束の地に導くことでした。彼はその天命に従い、40年間荒野でキャンプしました。神の律法を語り、ユダヤ人たちに天命成就への道しるべも与えました。
ダビデの天命は、統一王国となったイスラエルの基礎固めをすることでした。彼はその天命を果たし、神を中心とした国づくりを進めました。国民が神に忠誠を尽くし、天命を果たせる環境を整えたのです。
イエス・キリストは、救い主としての天命を果たしに来られました。全ての人の罪を帳消しにし、神と和解する道を開かれました。死者の中からよみがえり、永遠のいのちへの道を示されました。そして天に昇り、全能の権威をもって今も世界を治めておられます。
時が来たら、イエス様は再び地上に来られ、その後、永遠の神の国を完成されます。地上に今ある全ての悪は、いずれ葬り去って下さいます。
使徒パウロの天命は、このビッグニュースを異邦人に伝えることでした。世界中の人が救い主を信じ、天命を全うするお手伝いを彼はしたのです。
神は、私たちにもそれぞれ果たすべき天命を用意しておられます。私たちが自らの天命を全うすれば、それは他の人が天命を果たすためのお手伝いにもなるのです。
「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。・・・」(Ⅱテモテ4:7-8)
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