礼拝

2018年6月17日 (日)

荒野の真中で愛を叫ぶ

 最近は、「インスタ映え」する旅行が流行りのようです。インスタ映えとは、インスタグラムというネット上のサービスに写真を投稿した時、見栄えが良いことです。去年の流行語大賞に選ばれました。静岡県では今、インスタ映えする観光名所の一つとして、浜名湖を宣伝しています。浜名湖は遠浅で、海の水が混ざった湖です。そのため1日2回、潮が引くと、湖の真中に人が立てる浅瀬が現れるそうです。水の上に立ったように見えるロマンチックな場所で、とっておきの写真がとれるとPRしています。ツアーの名称は、「浜名湖の真ん中で愛を叫ぶ!」。参加者は、もれなく「浜名湖真ん中到達証明書」がプレゼントされるそうです。

 「愛を叫ぶ」イベントは、日本のあちこちで開催されています。群馬県の嬬恋村では毎年、「キャベツ畑の中心で妻に愛を叫ぶ」というイベントがあります。略称「キャベチュー」。福島県のスパリゾートでは、「ハワイアンズの中心で妻に愛を叫ぶ」というイベントがあります。略称「ハワチュー」。その他にも「東京湾の中心で愛を叫ぶ」や「日比谷公園の中心で妻に愛を叫ぶ」、鳥取では「砂丘の中心で愛を叫ぶ」というイベントもあったそうです。

 14年前、「世界の中心で愛を叫ぶ」という映画とTVドラマが大ヒットしました。当時は、映画の主題歌「瞳をとじて」もミリオンセラーになりました。「セカチュー」という略称も、流行語大賞のトップテンに入りました。ご存知の通り、白血病で死ぬ高校生アキとそのボーイフレンド・サクのラブストーリーです。サキは、自分の遺灰を豪州のウルル(エアーズロック)にまいてくれと遺言します。そこが世界のヘソ、中心と呼ばれることを知り、アキは一度行ってみたいと思っていました。死んで骨になっても、そこに辿り着きたいと思ったのかもしれません。サクはウルルに行き、アキの遺灰を握りしめて愛を叫びました。泣き崩れながら、彼女の名前を大声で叫んだのです。

 サクにとってウルルは、世界の中心と言うより、荒野のようでした。聖書の中で荒野は、苦しみを象徴する場所です。そこには水が十分ありません。食べ物もありません。スマホもネットもありません。インスタ映えする写真をアップできないし、誰も「いいね」と反応しません。自然の美しさはあります。静けさもあります。死を身近に感じる場所です。だからこそ、いのちの恵みを一層強く感じます。神は、荒野を訓練の場所として用いられます。エジプトを脱出したユダヤ人は40年間、荒野で訓練を受けました。神を信じ、その教えに従えば、全ての必要が満たされることを彼らは学びました。サウルの王宮を脱出したダビデも10年間、荒野で訓練を受けました。神が全ての危険から人を守り、約束を必ず果たされることを彼は学びました。王妃イゼベルの剣から逃れた預言者エリヤも、荒野で訓練を受けました。プランAがダメでもプランBがあると告げられ、彼は再び希望を見出したのです。(全知全能の神には、いくらでもプランがあります!)

 バプテスマのヨハネが大声で叫んだのも、荒野でした。そこは、いわば世界中の苦しみが集まるような場所です。病気の人。悪霊に悩む人。いじめられる人。貧しい人。絶望した人。多くの人が、今もそれぞれの荒野で苦しんでいます。ヨハネは、そのような人々に救いが来ると告げたのです。

 その救いを実現されたのが、イエス・キリストです。イエス様は全世界を治める王であり、世界の中心です。中心から遠く離れた、荒野のような私たちの世界に王が降臨し、神の愛を叫んで下さいました。その愛を信じる人は今、王の使者として全世界の荒野に遣わされています。荒野の真中で苦しむ人に神の愛を叫ぶためです。私たちが荒野で叫ぶ姿は、天の御国で「インスタ映え」しています。天使たちが写真を撮り、天国ネットにアップしてくれます。イエス様はそれを見て、「いいね」を押して下さるのです。

「…荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意せよ。主の通られる道をまっすぐにせよ。すべての谷は埋められ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい道は平らになる。こうして、すべての者が神の救いを見る。』」(ルカ3:4-6)

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2018年5月27日 (日)

天からのギフトを受け取る

 贈り物が好きな人は、多いですね。日本では、1年を通してプレゼントを贈る習慣があります。1月は新年の挨拶のお土産やお年玉、成人式のお祝い。2月はバレンタインデー。3月は雛祭りのお祝いやホワイトデー、卒業祝や退職祝。4月は入学・進学・就職のお祝い。5月は子供の日や母の日。6月は父の日。7月はお中元。8月は帰省のお土産。9月は敬老の日のプレゼント。10月は私の誕生日(笑)。11月は七五三。12月はお歳暮やクリスマスプレゼント。この他にも結婚祝や出産祝、長寿のお祝いがあります。周りの人の誕生日や結婚記念日等もあります。贈り物をあげたり、もらったりするのは、私たちの生活の大切な一部分です。

 昨年のある調査では、日本国内で購入されるギフトを合わせると、1年間で約10兆円になるそうです。日本の国家予算の1/10ほどです。お中元やお歳暮、結婚祝等、儀礼的なギフトは減少傾向で、増えているのは身近な人へのカジュアルな贈り物とのこと。品物は、食品が圧倒的に多いそうです。母の日にも、花とスイーツのセットが人気だと聞きます。そう言えば私も今年、カーネーションと和菓子を一緒に買いました(笑)。贈る側と贈られる側が一緒に楽しむ「共有型ギフト」も、増えているそうです。例えば、母と娘とのランチや父の日のお取り寄せグルメ、敬老の日の温泉や写真撮影等。一緒に楽しめるなら、贈る側の人も一層楽しみですね。最近は、メールやLINE、Facebook等を通してプレゼントを贈る人も増えているようです。これらは、「ソーシャルギフト」と呼ばれるそうです。ネット時代の新しい形のギフトですね。

 聖書の時代には、ネットはありませんでした。でも人々は、天からたいへん貴重なギフトをいただきました。聖霊のギフトです。アブラハムは聖霊を通し、祝福のメッセージを受け取ったと言えます。「あなたの子孫を通し、全世界が祝福される」と聖霊は語られました。モーセには、聖霊による奇跡の力が注がれました。ユダヤ人奴隷をエジプトから解放するためです。シナイ山では聖霊を通し、神の教え(律法)が授けられました。荒野の40年間は、食品のギフトも欠かさずいただきました。モーセの後継者ヨシュアも、聖霊のギフトを頂戴しました。聖霊の導きにより、彼らは約束の地を拝領したのです。羊飼いの少年ダビデも、聖霊のギフトをいただきました。将来、イスラエルの王となるためのギフトです。聖霊が与えた信仰により、彼は巨人ゴリヤテとの戦いに勝利しました。ダビデには、イスラエル統一王国と首都エルサレムもプレゼントされました。そして彼は聖霊を通し、自分の子孫が永遠の王となるメッセージも受け取ったのです。

 イエス様はアブラハムの子孫、ダビデの子孫としてこの世に来られました。聖霊のギフトにより全世界を祝福する、永遠の王です。私たちは、伝統と文化の奴隷でした。罪と死の呪いに縛られていました。それらの呪縛から、イエス様は私たちを解放されました。十字架により、全ての人の罪を帳消しにされました。そして聖霊の力により、復活の奇跡を行われました。

 聖霊のギフトは今、イエス様を通し、世界中の人に贈られています。他にどんなギフトがあるのかも、聖霊は教えて下さいます――創造主なる神の恵み、救い主イエス、永遠のいのち、希望に輝く人生――。聖霊を通し、私たちは神が造られた世界を正しく理解することができます。自分自身を正しく理解することができます。神の愛の素晴らしさを正しく理解することができます。聖霊により私たちは、イエス様から始まった新しい時代にふさわしい生き方ができます。聖霊は、天から私たちに贈られた「共有型ギフト」です。贈る側の神も贈られる側の私たちも、一緒に楽しむことができます。お金で買えない価値がある、天からのギフトは、まさに「プライスレス」です。

「その後、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、老人は夢を見、青年は幻を見る。その日わたしは、男奴隷にも女奴隷にも、わたしの霊を注ぐ。」(ヨエル2:28-29)

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2018年5月13日 (日)

風と共によみがえる

 先週ネットサーフィンをしていたら、新しい発見がありました。アンパンマンのキャラクター、ドキンちゃんのモデルは、映画「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラだと言うのです。昔は子供たちと一緒にアンパンマンのテレビを観たり、絵本を読んだりしました。長女は、ドキンちゃんのぬいぐるみも持っていました。アンパンマンのキャラクターの中で、唯一のぬいぐるみでした。ドキンちゃんを連れて、家族で都心にドライブに行ったこともあります。でもドキンちゃんにモデルがいた話は、先週まで知りませんでした。ドキンちゃんの声を担当していた声優の鶴ひろみさんは、昨年11月に急死されています。首都高で運転中に、大動脈解離という病気になったとのこと。高速道を吹き抜ける風と共に、突然この世を去られたようです。

 ドキンちゃんは、人気キャラクターの一つです。ありのままの子供のようだからかもしれません。カワイイけど、わがまま。時々素直で、優しいこともある。しょくぱんまんに恋心を抱く姿はけなげで、スカーレット・オハラのようです。やなせたかしさん作詞によるテーマソングも、先週発見しました。1番の歌詞は、こうです。「私はドキンちゃん。なるべく楽しく暮らしたい。お金はたくさんあるのがいい。おいしいものを食べたいし、遊んで毎日暮らしたい。」3番の歌詞も笑えます。「生まれた時から美人だし、頭の回転すばやいし、この世の終わりが来た時も、私一人は生き残る。」ドキンちゃん自身は、どんな風が吹いても関係なさそうですね。

 「風と共に去りぬ」という米国映画は、1939年の作品です。空前の大ヒットとなり、アカデミー賞9部門を獲得。米国映画ベスト100のランキングでは、今でも上位に名前が出て来る名作の一つです。ストーリーは、南部のお金持ちの家に生まれた自信家の美女スカーレットの話。南北戦争の嵐の中、彼女は友人も娘も夫も失い、絶望しそうになります。それでも彼女は、諦めませんでした。もう一度やり直そうと決意します。映画の最後のセリフは、背後のテーマ曲とともに実に印象的です。私もこのセリフに励まされました。「After all, tomorrow is another day.(結局、明日はまた来る。)」「風と共に去りぬ」というタイトルは、南北戦争の嵐と共に、米国南部の白人の上流社会が消え去ったという意味だそうです。スカーレットにとっては、家族や友人が去ったという意味もあったのでしょう。しかし彼女の心には、新たな希望の風が吹き込みました。その風を受けて、彼女は再び立ち上がることができたのです。

 聖書では、風は聖霊の象徴です。ヘブライ語では風と息、霊の3つが、同じ1つの単語で言い表されます。ルアーハという単語です。天地創造の時には神の風が吹き、あらゆる生き物に命が授けられました。人はこの風を受け、地上での命を保っています。ノアの時代には、神が風を吹かせると洪水の水が引きました。神の風により、地上の生活がよみがえったのです。モーセの時代には、約束の地の方向から強い風が吹き、海が二つに分かれました。その「神風」が、ユダヤ人たちの命を救いました。聖霊の風が、彼らに新たなよみがえりの人生を与えたのです。

 イエス様が来られる500年以上前、預言者エゼキエルはある幻を見ました。「神風」が吹くと、干からびた骨が生き返る幻です。イエス様はその幻を実現し、墓の中からよみがえられました。イエス・キリストを信じる人は、同じように復活のいのちを授かります。わがままな自分は去り、聖霊の風と共に生きる新しい自分を体験できます。どんなに絶望的な状況の中でも、神の風が希望で満たして下さいます。神が明日を与えられます。私たちは、風と共によみがえることができるのです。

「…これらの骨に預言せよ。『干からびた骨よ、主のことばを聞け。神である主はこれらの骨にこう言う。見よ。わたしがおまえたちに息を吹き入れるので、おまえたちは生き返る。』」(エゼキエル37:4-5)

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2018年5月 6日 (日)

天の香油の香りを放つ

 暖かくなると、臭いを気にする人が増えるようです。花王株式会社は、汗の臭いを防ぐキャンペーンを始めました。臭いに関するツイートを、29,000以上集めたそうです。そのうち約3,900は自分が靴を脱いだ時の足汗の臭い。1,000以上はパートナーが帰って来た時の足汗の臭い。950以上はお座敷に上がる時の汗の臭いだそうです。花王ではアンケートに答えた人の中から1,000名に、消臭効果のある製品をプレゼントしてくれるとのこと。申込締切は5月17日!この製品をつけると1日中、汗の臭いが気にならないと宣伝しています。(ただしアマゾンのレビューを見ると、効果があるという人とほとんどないという人が両方いるようです。笑)

 昔の臭い対策は、良い匂いで嫌な臭いを打ち消すことでした。今のような香水が作られたのは、中世ヨーロッパの頃だそうです。十字軍がイスラム社会の技術を伝え、蒸留によりアルコールが作られたとのこと。香料をアルコールに溶かし、香水が作られました。ヨーロッパ、特にフランスでは、20世紀になるまでお風呂に入る習慣がなかったようです。理由の1つは、先ず十分に使えるきれいな水がなかったこと。2つ目は空気が乾燥し、汗をかいてもベタベタになりにくかったこと。3つ目は、水や湯を浴びると病気になると信じられていたこと。そのような背景があり、香水が発達したようです。

 香水の前にも、良い匂いの物はありました。その一つは、お香です。良い香りの木やその分泌物などを燃やし、煙を漂わせます。日本の線香もお香の一つです。古代エジプトにもお香があり、部屋を良い匂いで満たしました。良い匂いで神々を祀る信仰もあったそうです。ヨセフをエジプトに連れて行った商人も、奴隷以外にお香も売っていました。その一つは、乳香です。乳香は、ツタンカーメン王の墓からも発見されたそうです。お香はインド、中国を経て、日本にも伝えられました。伝えたのは仏教のお坊さんたちです。良い香りの香を焚くと心がきよめられると、彼らは信じました。モーセの幕屋でも毎日毎日、芳しい香りの香が焚かれました。それは、創造主なる神にささげる祈りの象徴でした。私たちの祈りも、良い香りのお香のように天に届くのです。

 香油も、古くから香水のように用いられました。アルコールではなく、オリーブ油等の油に香料を溶かしたものです。アルコールではないため、香りが長続きするそうです。香油も、古代エジプトの時代からありました。ユリウス・カエサルの心を射止めたクレオパトラも香油を愛用し、良い香りを放っていたようです。創造主なる神は、モーセに正式な香油の作り方を指導しました。没薬、シナモン、匂い菖蒲等がオリーブ油に溶かされました。その香りの良い油は、祭司たちの頭に注がれました。王や預言者たちにも注がれました。それは彼らが創造主なる神のしもべとして、大切な働きをするしるしでした。

 香油は、聖霊の象徴です。イエス様は、天からこの芳しい油の注ぎを受け、神のしもべ、全世界の王としての公務を全うされました。メシアとは、ヘブライ語で油注がれた王という意味です。ギリシア語では、キリストになります。イエス様は、祭司や預言者としての務めも同時に兼務されました。イエス・キリストを信じる人には、天から同じ香油が注がれます。神のしもべとして、天から重要なミッションを受け取ります。それは、聖霊の奇跡的な消臭力で嫌な臭いを元から絶つミッション、そしてイエス様と同じ芳しい香りで世界中を満たすミッションなのです。

「神である主の霊がわたしの上にある。貧しい人に良い知らせを伝えるため、心の傷ついた者を癒やすため、主はわたしに油を注ぎ、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年、われらの神の復讐の日を告げ、すべての嘆き悲しむ者を慰めるために。」(イザヤ61:1-2)

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2018年4月29日 (日)

愛をもって真実を語る

 ゴールデンウィークが始まりました。今年も、劇場版「名探偵コナン」の最新作が公開されています。昔は、家族揃って映画館に観に行きました。子供たちは毎週テレビ放送も見て、コミック版も買って読んでいました。子供同士で詳しい話が始まると、私はついて行けませんでした。でも何度も繰り返される決まり文句は、覚えることができました。その一つは、これです。「真実はいつも一つ。」主人公の江戸川コナンは小学1年生の探偵で、難事件を次々と解決します。大人の誰にも分からない真実をみごとに説き明かすのです。今年の映画では、東京サミットのため建設された施設が爆破されるそうです。その容疑者として、私立探偵・毛利小五郎が逮捕されます。コナンは隠された真実を明らかにし、毛利小五郎の無実を証明しようとします。真実を知りたい人はたくさんいるようで、公開から2週間で観客動員数247万人、興行収入32億円、映画観客動員ランキングは2週連続第1位だそうです。現実の世界にも、コナン君のような名探偵がいたら良いですね。霞ヶ関や永田町の真実を全て明らかにし、難事件を速やかに解決してほしいと思います。

 旧約聖書の預言者たちも、真実を明らかにました。多くの預言者たちは、指導者の罪を暴きました。モーセは、超大国エジプトの王・ファラオのパワハラをスクープしました。ユダヤ人奴隷を虐待し、手放そうとしなかったのです(録音はなかったと思います 笑)。モーセが神からの警告を伝えても、ファラオは無視しました。そのためエジプトの国は、数々の災害に見舞われました。預言者サムエルは、イスラエルで初めて王になったサウルの罪を暴きました。サウル王は神の命令を無視し、私腹を肥やしたのです。正しさよりも、自分とお友達の利益を優先しました。その時、預言者サムエルは、神からのメッセージを官邸の最高レベルに伝えました。「退陣の時が来た」というメッセージです。預言者ナタンは、ダビデ王の不倫殺人を明らかにしました。家臣の妻を奪い、その夫を殺したのです。ナタンは、ダビデに災いが来ると告げました。罪がどれほど厳しい結果をもたらすか、真実をナタンは語ったのです。その他にも、イスラエルには多くの預言者が現れ、神に告げられた真実を語りました。迫害を受け、死を覚悟せざるを得ない時でさえ、彼らは口を閉ざしませんでした。

 預言者たちはなぜ、そうまでして真実を語ったのでしょうか。名探偵コナンが真実を暴くのは、おそらく正義を愛するからでしょう。社会から悪を取り除くため、できる限りのことをしたいという思いが、人一倍強そうです。自分の愛する人たちが事件に巻き込まれたら、なんとか救い出したいという熱い思いも、コナンは持っています。聖霊に満たされた預言者たちも、正義を愛していました。彼らの国から不正が除かれ、神の正義が行われることを強く願いました。愛する人々が不正に巻き込まれたら、救い出したいとも願いました。預言者たちが真実を語ったのは、心から神を愛し、人を愛するがゆえだったのです。その愛がなければ、迫害を受けてまで真実を語りはしません。口を閉ざし、見て見ぬふりをするだけです。実際、聖霊に導かれない偽預言者たちは、指導者の思いを忖度するようなゴマすりの言葉ばかり語りました。

 イエス様は私たちを深く愛し、真実を伝えに来られました。そのために命を懸けられました。イエス様が伝えた真実は、これです。「どんな人も完璧ではない。知らずに罪を犯している。しかし神は私たちを愛し、その罪から離れる道を与えられた。わたしイエス・キリストが、その道である。」聖霊を通し、私たちはこの真実を知り、他の人にも愛をもって伝えることができます。見て見ぬふりをしない愛と、迫害も恐れず語る勇気を、聖霊は私たちに与えて下さいます。

「こうして、私たちはもはや子どもではなく、人の悪巧みや人を欺く悪賢い策略から出た、どんな教えの風にも、吹き回されたり、もてあそばれたりすることがなく、むしろ、愛をもって真理を語り、あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長するのです。」(エペソ4:14-15)

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2018年4月22日 (日)

天の助けを受ける

 昨年秋、私の良く知っていたある人が自殺しました。60代の男性です。最初に知らせを受けた時、私は「まさか」と思いました。自殺することなど、全く予期していなかったからです。その夏、私は本人に会いました。少し元気がなさそうでしたが、そこまで思い詰めているとは思いませんでした。何年か前、本人から悩みの相談を受けたこともあります。アドバイスもしました。しかし亡くなる直前は、残念ながら何の連絡もありませんでした。その人がどんなに深く悩んでいたのか、知ることができませんでした。葬儀の後しばらくして、奥様や他の知り合いの人々に話を伺いました。最期の2週間で、状態が急変したそうです。自殺をほのめかす発言もあったようです。ただ事態があまりにも急に進んだため、病院で診断を受ける間もなかったそうです。私が訪問した時、奥様は思ったより元気そうに見えました。ただ突然ご主人を亡くした現実を、まだ受け入れられない様子でした。ご遺族や近しかった人たちの傷ついた心を神様が癒して下さるよう、お祈りしています。

 自殺を防ぐには、どうしたら良いのでしょう。1つの方法は、自殺防止の相談窓口に電話することです。ネット上に、うつ病を患うある人の体験談が載っていました。勇気をもって電話すると、優しそうな女性が悩みを聞いてくれました。問題の解決には至りませんでした。でも、聞いてもらうだけで否定的な思いから解放され、心が少し軽くなったそうです。自殺を考える人は、視野が狭くなっている傾向があると聞きます。孤独や絶望を感じ、生きる意味がないと思うようです。心の中に激しい恨みや怒りを抱える人も多いそうです。例えば、こんな思いです。「なぜ自分がこんな目に遭うのか。」「なぜ自分は上手くやれないのか。」そんな思いを誰かに言うことができれば、危機を乗り越えられるそうです。最近は電話だけでなく、インターネットによる相談もあります。自殺を思いとどまった人が、「死なないで良かった」と後で思うケースも多いとのこと。日本で「いのちの電話」を始めた斎藤友紀雄牧師は、こう言っています。「自殺には、これをやればOKという決め手がない。医者は地道に治療し、宗教家は訪れた人と対話し、支えるしかない。社会全体で日常的に地道にやって、住みよい地域を作って行くしかない。」

 旧約の預言者エリヤも、人生の半ばで死を願いました。彼には、大きな挫折感がありました。自分が精一杯行った働きは大成功したのに、彼が期待したような変化は何も起きませんでした。イスラエルの国は、依然として偶像礼拝を推進する王と王妃が治めていました。うつ状態に陥ったエリヤの視野は、非常に狭くなっていました。孤独や絶望を感じ、生きる意味がないと考えました。「なぜ自分はこんな目に遭うのか。」「なぜ自分は上手くやれないのか。」そう思いました。荒野の木陰で休んだ時、彼の手にはガラケーもスマホもありませんでした。電話もネット相談もできません。そこで彼は、いつでもどこでも24時間対応する、天の相談窓口に連絡しました。エリヤは神に悩みを聞いてもらい、完璧なアドバイスをもらいました。そして彼は、人生後半の新たなミッションに向かうことができたのです。

 イエス様は父なる神を通し、私たちに聖霊を遣わされました。イエス・キリストを信じる人は、預言者エリヤと同じように、神の霊による助けが受けられます。天の相談窓口は、どんなトラブルでも24時間対応です。聖霊は私たちの悩みを聞き、的確なアドバイスを下さいます。緊急駆け付けサービスもあります。悩んでいる人のところに聖霊が誰かを遣わし、助けて下さるのです。疲れ果て、自分で相談できなくなった人を日常的に地道に支える仲間も、聖霊が与えて下さいます。聖霊は、私たちにとって最高の助け主であり、慰め主です。私たちは、「天の助けがあるよ」と、いつでも互いに励まし合うことができるのです。

「そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。」(ヨハネ14:16)

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2018年4月15日 (日)

創造主の霊をほめたたえる

 先月、英国の物理学者スティーブン・ホーキング博士が亡くなりました。76歳でした。相対性理論と量子力学を組み合わせた宇宙物理学の先駆者だそうです。宇宙はビッグバンで始まり、ブラックホールで終わると考えました。一般向けに書かれた本は、世界中でベストセラーになりました。テレビ番組にも本人がよく登場したそうです。21歳で神経系の病気になり、車椅子の生活を続けました。会話には、音声合成装置が必要だったそうです。博士は無神論者として有名で、生前こう言っていました。「宇宙の始まりを説明するのに神は必要ない。科学の法則で十分だ。自分が神という言葉を用いるなら、それは人格を持たない自然法則のことだ。」博士は、「天国もない」と明言したそうです。でも博士が亡くなると、彼の子供たちは大学の教会で葬儀を行いました。理由はこうです。「信仰を持つ人にも持たない人にも、私たちの父の生涯と研究は多くの意味があった。そのため参列者を制限せず、伝統に従った。」博士の遺灰はウェストミンスター寺院にある、ニュートンやダーウィンの墓のそばに埋葬されるそうです。同寺院では、今年中に博士を追悼する礼拝を行うとのこと。悲しみに暮れるご遺族やその他多くの人々が、神様の慰めを得られるようにお祈りします。

 ビッグバンとは、大きな爆発のことです。宇宙の始まりを説明する一つの仮説です。1920年代に、ジョルジュ・ルメートルというベルギーの科学者が発表したそうです。彼は、カトリックの神父でした。多くの科学者は当時、宇宙には始まりがないと考えていました。遠い昔から宇宙は変わっていないという考え方です。そのため大勢の人が、ルメートル博士の仮説を激しく批判しました。神父が言い始めたため、「科学に宗教を持ち込むべきでない」と主張する人々もいました。アインシュタインも、最初はそう考えたようです。しかしその後、アインシュタインは考えを変え、ルメートルの仮説を支持しました。他の科学者たちも同調しました。今は多くの人が、大爆発から宇宙が始まったと考えています。宗教的な理由でなく、科学的な理由からです。ホーキング博士のような無神論者も、おそらく多いのでしょう。「宇宙は神と関係なく、自然法則だけで始まった」と考える人々です。ただ、科学には限界があります。自然法則の背後に創造主なる神がいなかったと、科学的に断言できません。どんなに天才的な物理学者でも、目の届かない世界があります。科学の手が及ばない世界です。その世界について何か断言するなら、それは科学ではなく信仰の宣言になります。

 信仰の書である聖書は、こう語っています。「目に見える世界は、目に見えない神が造られた。」神は霊です。つまり私たちの世界は、目に見えない霊によって造られたのです。(もちろんこれは科学ではなく、信仰の宣言です。)創造主の霊ははっきりとした意思と計画を持って、全宇宙を造られました。巨大な宇宙全体を造り、ほんの小さな花粉やウィルスも造られました。(私たちの理解をはるかに越えています。)全てに詳細な設計図が用意されました。自然界に働くあらゆる力についても、創造主の霊は全て法則を定められました。大爆発によりこの精密機械のような宇宙が出来たとしたら、それは信じられないような奇跡です。私たちは毎日毎日、創造主の霊の奇跡を目の当たりにしているのです。

 イエス様は、創造主の霊の真実を人類に伝えに来られました。世界中の人が、その奇跡的な真実を見失っていました。創造主なる神を忘れ、宇宙の始まりを解説するありとあらゆるフェイクニュースを信じるようになりました。自然法則を神とする人も出て来ました。しかしイエス様は、目に見える世界を動かす目に見えない霊の力を示されたのです。イエス・キリストを信じる人は、創造主の霊の奇跡に気づくことができます。神の霊の偉大さに驚き、ほめたたえることができるのです。

「あなたが御霊を送られると彼らは創造されます。あなたは地の面を新しくされます。主の栄光がとこしえにありますように。主がご自分のみわざを喜ばれますように。」(詩篇104:30-31)

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2018年4月 8日 (日)

天来の力を待ち望む

 先週からお役所や多くの企業で、新年度が始まりました。新しい職場に配属された新人たちは、抱負を語ったようです。最近注目の財務省では、入省者の代表がこう宣誓したそうです。「私は国民全体の奉仕者として、公共の利益のために勤務すべき責務を深く自覚し…(中略)…公正に職務の遂行にあたることを固く誓います。」国家公務員は一部の人ではなく、国民全体に仕える姿勢が大切ですね。公文書改ざんについては、「二度と起こさないように頑張りたい」と言う人もいました。新しい力に期待したいと思います。一方、昨年夏に大雨で被害を受けた福岡県朝倉市では、新入職員の一人がこう言ったそうです。「微力ながら復興の力になりたいし、力になれることは何でもやりたい。」困難に見舞われた人々のため、力を十分に発揮してほしいですね。

 力は、何かの状態を変える働きをします。力自体は、目に見えません。力こぶを見せたとしても、目に見えるのは筋肉の状態の変化です。逞しい腕で重い荷物を運んでも、目に見えるのは力自体ではなく、人と荷物の移動です。ニュートンはリンゴが木から落ちるのを見て、そこに働く力を考えたと言われます。(実際は、本当の話かどうか分からないそうですが・・・)木から落ちる時、リンゴは木の枝にある状態から地面の上の状態へと変化します。その変化を見ると、リンゴを引っ張る目に見えない力があるはずだと考えられますね。同じように、もし財務省で前代未聞の大きな変化が起きたら、何か特別な力が働いたはずだと考えることができます。元の状態に戻すには、そのように願う人々が力を合わせなければなりません。大雨には破壊的な力があります。でも、もし破壊された地域が驚異的な速さで復興したら、そこに特別な力が働いたと分かります。多くの人々が注いだ力を感じ取ることができるはずです。

 イエス様が捕えられた後、弟子たちは身を隠しました。彼らは、絶望していました。イエス様こそが長い間待ち望んだイスラエルの王だと、彼らは信じていました。エルサレムの人々はほんの数日前、イエス様を王のように迎え入れました。ところが同じ人々が、手のひらを返したような態度をとりました。イエス様はあっけなく逮捕され、即座に有罪判決が下り、即日死刑が執行されました。弟子たちは、新しい王の側近を夢見ていました。ところが一晩で、彼らは反社会勢力の一味になったのです。親ガメがコケて、みなコケそうになりました。弟子たちは刑事訴追を恐れ、エルサレム市内に潜伏しました。お先真っ暗な状態でした。ところがその50日後、弟子たちの状態は大きく変化します。彼らは何も恐れずに、公衆の面前で自分たちの見聞きしたことを証言したのです。この変化には、2つの大きな力が働いていました。1つは、イエス・キリストをよみがえらせた力――新たないのちを授ける神の力です。その力は、弟子たちの絶望を希望に変えました。もう1つの力は、天から注がれた聖霊です。聖霊の力は、弟子たちの生き方を大きく変えました。死を恐れることなく、キリスト復活の真実を世界中に発信するようになったのです。

 復活後の40日間、イエス様は弟子たちとともに過ごされました。そして天に昇られる前、弟子たちに対し、首都エルサレムにしばらく留まるよう命じられました。弟子たちの多くは、地方出身者でした。彼らにとって大都市エルサレムは、イエス様を十字架につけた「呪いの地」でした。嫌なことを忘れるため、早くそこを立ち去りたい人もいたかもしれません。しかし神の計画は、その呪いの地を祝福の泉に変えることでした。弟子たちに恵みの水を飲ませ、その素晴らしい体験を世界中に伝えさせる計画だったのです。イエス・キリストを信じる人は、彼らと同じ体験が期待できます。呪いを祝福に変える天来の力を待ち望み、神の奇跡の証人となれるのです。

「見よ。わたしは、わたしの父が約束されたものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」(ルカ24:49)

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2018年4月 1日 (日)

復活の主イエスを礼拝する

 NHKの朝ドラ「わろてんか」は、昨日が最終回でした。先週火曜日の放送では、気になるセリフがありました。農家のお年寄りを演じる西川きよしさんが、こう言ったのです。「笑いの神様に拝んでみようかな。」戦争に行った孫が元気に帰って来るよう、「笑いの神」にお願いするというのです。それは感動的なシーンとして描かれていました。孫が心配で笑わなくなったお祖父ちゃんが、笑いを取り戻す話です。でも私はひねくれているので、こう思いました。「どうして、笑いの神にそんな力があると信じるのか?」私は、拝むのが専門です。誰に何をお願いするのか、いつも気をつけています。国の土地を買いたい人は、先ず役所にお願いに行きます。上手くいかなかったら、政治家や総理夫人に力添えをお願いする人もいるようです。その方面に力があると信じているからです。牧師のところには、まず来ません。お祈りをお願いしに来る人だけです。(笑)

 日本では、神々を拝む伝統的な行事があります。お正月は、初詣です。関東の人気スポットは明治神宮、浅草寺、川崎大師などです。明治神宮は、明治天皇ご夫妻を神々として祀っています。神道で天皇は神々の子孫なので、拝む人もいます。浅草の浅草寺は、観音菩薩を祀っています。英語では「Goddess of Mercy(慈悲の女神)」と言うそうです。仏教で観音菩薩は阿弥陀仏の助手とされ、人々を救う働きをすると信じられています。川崎大師では弘法大師・空海を祀っています。(現在、映画公開中ですね。)空海はたいへん尊敬されたお坊さんで、日本各地で奇跡を行った伝説があるそうです。所沢にも空海が開いた井戸の話があります。そうした伝説に基づき、空海を神のように拝む人がいたのでしょう。大阪に行くと、笑いの神を祀った神社もあるそうです。神社やお寺で拝まれる霊的な存在は、さまざまです。「どの神や仏にもそれなりに力があり、誰にお願いしても同じだ」と思う人は、おそらく多いのでしょう。初詣以外でも、多くの人は何かを拝んでいます。春、夏、秋にはお墓参りがあります。毎日毎日、仏壇や神棚に手を合わせる人もいます。先祖の霊や神々を拝めば、何かの助けがあると信じる人も多そうです。

 聖書は、こう教えています。「全てにおいて一番力のある神だけをひたすら拝みなさい。目移りしてはならない。」全てに一番力のある神は、全知全能の創造主なる神です。その真実を私たちに伝えるため、神はアブラハムとその子孫を選ばれました。ユダヤ人です。エジプトで奴隷となった彼らを、神は奇跡的に解放されました。当時の超大国エジプトの人々はさまざまな神々を拝み、その力を信じていました。エジプト王=ファラオも、人々は神として拝みました。しかし創造主なる神は、ファラオの意思に反することを行われました。全く無力だったユダヤ人の奴隷たちが、絶大な権力を誇るファラオの支配から解放されたのです。それは、創造主なる神がエジプトの神々にはるかに勝ることを象徴する出来事でした。ちょうど今、世界中のユダヤ人の家で、その記念行事が行われています。年に一度の「過越の祭り」です。それは、創造主なる神だけを拝む大切さを思い起こす時なのです。

 イエス様はこの祭りの時期に十字架につき、復活されました。ユダヤ人だけでなく、全ての人が創造主なる神だけを拝むようになるためです。世界中には、さまざまな神々を拝む人がいます。その人は、知らず知らずに自分が拝む神々に支配されています。神々の奴隷となる過ちを犯しています。創造主なる神は人となり、奴隷だった私たちを救いに来られました。イエス様です。十字架は、全ての過ちからの救いを象徴しています。復活は、過ちの結末である死からの救いを象徴します。今日は、イエス様の復活の記念日です。復活のイエス様と会った弟子たちは、創造主なる神を礼拝しました。私たちもこの日、創造主だけを拝む決意を新たにしましょう。

「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示された山に登った。そしてイエスに会って礼拝した。…」(マタイ28:16-17)

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2018年3月25日 (日)

真心から神に近づく

 先週、妻と私は病院に入院中のある人をお見舞いしに行きました。初めての病院だったので、私は建物の中をあちこち見回しました。ふと目に着いたのは、玄関ロビーに飾ってあった雛人形です。3月ももう後半なのに、まだ飾ってあるのかと思いました。「雛祭りが終わるとすぐ片づけた方が良い」という言い伝えが、日本にはあるからです。「まだ飾ってていいのかな?ここにはもう、結婚しそうな人いないのかな?」と、妻と話をしました。(後で調べたら、3月3日の後、長い間飾る地方もあるそうです。)雛人形を見た妻は、あることに気が付きました。5段飾りの人形の並べ方が間違っていたのです。右大臣、左大臣が一番下で、その上に「仕丁(しちょう)」と呼ばれる雑用係が並べられていました。「下剋上」だったのでしょうか(笑)。

 雛人形は、中国や日本の古い信仰に由来するそうです。古代中国では、3月上旬に川の水で体をきよめ、災いを祓ったとのこと。日本では草木や紙で人の形を作り、それを撫でて自分の厄(災い)やケガレを移し、水に流しました。これが雛人形の起源とされています。今でも地方によっては、「流し雛」という習慣が残っていますね。時代とともに雛人形は、豪華になりました。そのため川に流さず、家の中に飾るだけになったようです。(その場合、厄やケガレはどうなるのでしょう? 笑)「ひとがた(人形)」を流すという信仰は、雛祭り以外にも見られます。多くの神社では年2回、大祓(おおはらえ)という行事をするようです。人々が知らずに犯した罪やケガレを祓いきよめる行事だそうです。紙を人の形に切り抜き、それに自分の罪やケガレを移して川や海に流します。そのようにして自らをきよめ、神々のみこころに近づくという信仰が、今でも神道にあるようです。

 この「ひとがた」信仰は、旧約聖書の「いけにえ」とよく似ています。人の罪は動物のいけにえに移され、その血により罪が洗い流されるのです。イスラエルの大祭司は、毎年秋に特別ないけにえをささげました。国全体の罪をきよめるため、山羊が2匹選ばれました。1匹はほふられ、その血は国立の礼拝所である幕屋や神殿に振り掛けられました。幕屋や神殿を1年間の汚れからきよめるためです。もう1匹の山羊は1年間のイスラエルの罪を背負い、荒野に追放されました。(この山羊が、いわゆるスケープゴートです。)こうして彼らの国は1年間の罪がきよめられ、人々は再び神に近づくことができました。この秋の「ひとがた」は、幕屋や神殿がなくなりささげられなくなりました。しかしユダヤ人は、今も毎年春に別のいけにえをささげます。今週金曜夜から始まる過越の祭りです。いけにえはもちろん、子羊。(私は道産子なので、ジンギスカンにしたいですね! 笑)出エジプトの時、子羊はユダヤ人の長子の身代わりになりました。羊の血を塗った家の長子は命が救われ、塗らなかった家の長子は命を落としました。いけにえの子羊は、長子の罪の身代わりをしたと言えます。イスラエルの春の「ひとがた」は、長子の罪を祓いきよめたのです。

 イエス様は、全ての人の「ひとがた」となるため、この世に来られました。私たちの罪やケガレを背負い、十字架の血で全て洗い流して下さいました。今週金曜日は、その記念日です。イエス様は新しい契約に基づく大祭司として、自分自身をいけにえにされました。全人類の罪を背負ったイエス様が死の世界に追放されることにより、私たちは神に近づけるようになったのです。イエス・キリストを信じる人は、神の祝福を受け継ぐ長子とされます。罪がきよめられ、死のさばきから救われ、神に近づく恵みを手にすることができるのです。

「また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。」(ヘブル10:21-22)

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