礼拝

2022年3月20日 (日)

天命を果たす

 私がクリスチャンになったのは37年前、24歳の時です。函館の教会で洗礼を受けましたが、その時、神にこう言われたように感じていました。

「洗礼を受けて、わたしのことばを語りなさい。」

 私が果たすべき天命は、牧師になり、聖書の教えを語ることだと思いました。すぐ神学校に行くつもりでしたが、当時の牧師から別の提案がありました。教会の働きの実際をまだ知らないだろうから、しばらく奉仕を手伝ったらどうかという提案です。

 そこで私は函館の教会に住み込み、1年数ヶ月にわたり「丁稚奉公」のように訓練を受けました。その後数年間、所沢で教会開拓のお手伝いをしたのも、訓練の続きでした。それは、天命成就への準備期間だったのです。

 途中でさまざまな問題が発生し、何度もくじけそうになりました。でもその都度、神は私を助け、導きを与えて下さいました。最高の同志で、同労者である妻も与えられました。

 思ったより時間がかかり、牧師になるのに結局10年かかりました。函館の北隣にある七飯町の教会に赴任し、10数年間そこで神のみことばを語りました。私はその町を愛し、ずっとそこで暮らすつもりでした。でも神は、思いも寄らぬ計画を持っておられました。妻と私は、再び所沢の教会に導かれたのです。

 その教会は、私たちが以前いた頃と全く様変わりしていました。初めて会う異文化の人ばかりで、分からないことだらけでした。そんな中、私はただ天命に従い、みことばを語って来たつもりです。

 失敗や足りない点は、多々あったかと思います。それでも、所沢の教会に集った皆さんがそれぞれ天命を果たせるよう、少しでもお役に立てたなら感謝です。

 創造主なる神は、私たち一人ひとりに果たすべき天命を用意しておられます。ノアの天命は、箱舟を造ることでした。彼はその天命に従い、あらゆる生き物と彼の家族の命を救いました。彼らが生き延び、それぞれの天命を果たすお手伝いをノアはしたのです。

 アブラハムの天命は、神の示す地へ行くことでした。彼はその天命を全うし、全世界の祝福となりました。世界中の人がその信仰にならい、天命を果たすお手本にもなりました。

 モーセの天命は、ユダヤ人をエジプトから解放し、約束の地に導くことでした。彼はその天命に従い、40年間荒野でキャンプしました。神の律法を語り、ユダヤ人たちに天命成就への道しるべも与えました。

 ダビデの天命は、統一王国となったイスラエルの基礎固めをすることでした。彼はその天命を果たし、神を中心とした国づくりを進めました。国民が神に忠誠を尽くし、天命を果たせる環境を整えたのです。

 イエス・キリストは、救い主としての天命を果たしに来られました。全ての人の罪を帳消しにし、神と和解する道を開かれました。死者の中からよみがえり、永遠のいのちへの道を示されました。そして天に昇り、全能の権威をもって今も世界を治めておられます。

 時が来たら、イエス様は再び地上に来られ、その後、永遠の神の国を完成されます。地上に今ある全ての悪は、いずれ葬り去って下さいます。

 使徒パウロの天命は、このビッグニュースを異邦人に伝えることでした。世界中の人が救い主を信じ、天命を全うするお手伝いを彼はしたのです。

 神は、私たちにもそれぞれ果たすべき天命を用意しておられます。私たちが自らの天命を全うすれば、それは他の人が天命を果たすためのお手伝いにもなるのです。

「私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。・・・」(Ⅱテモテ4:7-8)

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2022年3月13日 (日)

王道を歩む

 ウクライナで捕虜になったロシア兵士たちの告白が先日報道されましたが、衝撃的でした。多くの兵士や将校たちが戦争の目的を知らず、訓練だと思って進軍したようです。ロシア人捕虜たちは、こう言っていました。

――「ロシア軍は、悪いことを何もしていない人たちを殺している。」「負傷した味方の兵士も殺している。」「プーチン大統領は何が起きているのか知らせたくないので、戦死者の遺体を持って行こうとしない。」「ロシアの人々は・・・プーチン大統領の話に耳を貸さないようにしてほしい。」「ロシア国民が蜂起して、プーチン大統領を打倒しなければならない。」――

 ロシアの国営テレビは、捕虜の情報は「フェイクニュース」だと主張しているようです。ロシア政府はSNSへの接続を遮断し、情報統制を始めました。政権が「虚偽」とみなす情報を広めると、最大で懲役15年だそうです。ロシアの独裁政権は、混迷の度合いを深めているように見えます。

 ふと私は、昔学んだ儒教の教えを思い出しました。ご存知の通り、儒教は孔子から始まった教えで、指導者のあるべき姿について多く語っています。

 孔子に次いで重要な儒学者とされる孟子は、紀元前4~3世紀頃に生きた人でした。その頃の中国は戦国時代で、自ら王と名乗る指導者たちが武力によって他の国を従わせ、天下を取ろうとしていました。孟子は、そんな指導者たちにこう説いて回ったそうです。

――「武力や策略によって支配しても、民衆の心は離れ、国は滅びる。領土や軍隊の大きさではなく、愛によって人の心をつかむことが、天下を治める道だ。」――

 孟子は、このような指導者のあり方を「王道」と呼びました。その逆は「覇道」です。報道やSNS等の情報から判断する限り、今回のロシアによるウクライナ侵攻は王道ではなく、覇道のようです。

 天下を造り、治めている神は長い年月をかけ、ご自身の王道のあり方を示して来られました。神の限りない愛は、多くの人の心をわしづかみにしました。

――年老いたアブラハムは跡継ぎの子を授かり、経済的にも豊かに祝福されました。奴隷として売られたヨセフは大国の指導者とされ、彼の家族は飢饉から救われました。人殺しだったモーセはやり直しのチャンスが与えられ、彼の仲間は強制労働から救われました。難民だったユダヤ人は相続地を受け取り、移住先が決まりました。ユダヤ人が神を何度裏切っても、悔い改めれば必要な助けが送られました。イスラエルの王たちが王道を歩まず、国が滅んだ後も、神は捕虜になった人々を救い出されました。――

 天地創造の神は、王道に基づき天下を治めて来られたのです。

 イエス・キリストは、神の国の王道を全世界に示しに来られました。イエス様の愛を知った人は、心が変えられます。力づくや悪巧みにより人を操るのは無益だと、悟るようになります。イエス様が歩んだ王道を自分も辿りたいと、願うようになります。もしそうならず、覇道を歩み続ける人がいたら、どこかで道を見失い、迷子になっているのかもしれません。

 使徒パウロは神の国の敵対者たちに捕えられ、捕虜となりました。それでも彼は、イエス様が王道を歩まれたことを決して疑いはしませんでした。そして、キリストの道を辿ることを人に勧め続けたのです。

 イエス様に付き従い、王道を歩む人は、王とともに天下を治める特権を授かります。私たちはこの名誉ある生き方を感謝し、人にもお勧めできるのです。

「さて、主にある囚人の私はあなたがたに勧めます。あなたがたは、召されたその召しにふさわしく歩みなさい。」(エペソ4:1)

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2022年3月 6日 (日)

キリストの平和を待望する

 ウクライナの子供たちが描いた平和を訴える巨大絵画5枚が、今日3月6日まで富士山麓の広場に掲げられているそうです。これらの絵は、キッズゲルニカという国際プロジェクトの一環で、5年前に描かれました。ロシア軍が侵攻したウクライナ東部や北部、そして首都キエフ等にいた子供たちの作品です。パブロ・ピカソが制作した「ゲルニカ」と同じ縦3.5メートル、横7.8メートルの大きさです。虹や笑顔の子供たち、色とりどりの花、世界の国の景色等が描かれているそうです。

 今回の展示を企画した渡辺実さんは、5年前ウクライナに行きました。子供たちがその絵を描く様子を見た渡辺さんは、こう語っています。「とても楽しそうに絵を描いていたあの子どもたちが今どのように過ごしているかを考えると、胸が締め付けられる思いです。・・・平和への願いを届けていきたいと思います。」

 ピカソがゲルニカを描いたのは、1937年です。スペイン北部の小さな町ゲルニカへの無差別爆撃が、そのテーマでした。焼夷弾が本格的に使われた世界初の空襲で、多くの一般市民が命を落としました。

 ゲルニカはバスクの文化的伝統の中心地で、自由と独立を象徴する町だったそうです。全体主義国家を目指すスペインの反乱軍と、彼らに協力したナチスドイツは、その町を格好の標的としました。ゲルニカはヨーロッパでは珍しく木材を使う家が多かったため、火が燃え広がるのが早かったそうです。多くの人が苦しんだ末に亡くなり、町は廃墟となりました。この空襲の悲惨さを、ピカソは絵画を通して訴えたのです。

 第2次大戦後、この絵画と同じ図柄のタペストリーが3つ作成され、その一つは国連の安全保障理事会議場前に展示されています。先日はそのタペストリーの前でEUの国連大使らが青と黄色2色の国旗を掲げ、ウクライナへの連帯を示したそうです。

 ご存知の通り、国際連合は第2次大戦直後に設立されました。国際平和と安全の維持が、目的の一つです。ニューヨークの国連広場には、旧約の預言者イザヤのことばが記された通称「イザヤの壁」があるそうです。イザヤ書2章4節の引用で、こんなことばです。

「彼らはその剣を鋤に、その槍を鎌に打ち直す。国は国に向かって剣を上げず、もう戦うことを学ばない。」

 国連を設立した人々は、国家間の協調による世界平和実現を願い、このことばを壁に刻んだのかもしれません。ただこのイザヤの預言は、人々の努力による平和の実現を予告してはいません。そうではなく、世の終わりにキリストがもたらす平和を預言したことばです。「イザヤの壁」の引用箇所の直前には、全世界を治める救い主について聖書にこう記されています。

「主は国々の間をさばき、多くの民族に判決を下す。」

 イエス・キリストは、世界に平和をもたらしに来られました。十字架の身代わりにより、天地創造の神との平和を回復する道を私たちに開かれました。その平和を土台とし、私たちは互いに平和な関係を築けるようになったのです。

 今のところ、この世はまだ罪と悪に満ちています。地球上から戦いや争いが根絶されてはいません。天におられるイエス様は、そんな苦しみの中で平和を願い求める私たちの祈りに耳を傾けておられます。ですから最善の時に最善の解決が与えられることを、私たちは期待できます。

 そしてイエス様は、いつか再びこの世に戻って来られます。その後、永遠の平和が完成します。私たちは祈りつつ、その時を待ち望むことができます。使徒パウロがしたように、その希望を人に伝えることもできるのです。

「パウロは、まる二年間、自費で借りた家に住み、訪ねて来る人たちをみな迎えて、少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」(使徒28:30-31)



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2022年2月27日 (日)

人の励ましとなる

 先日の冬季五輪では、励ましのシーンを繰り返し見たように感じます。スキージャンプ混合団体で高梨沙羅選手は、1回目失格になりました。スーツの規定違反と言われ、彼女は泣き崩れました。するとそばにいたドイツチームのスタッフが肩に手を添え、慰めの言葉をかけました。ポケットからティッシュを取り出し、差し出しました。「沙羅が一日でも早く回復し、元気になることを願っています」と、メッセージも残したそうです。

 スピードスケート女子パシュートの決勝では、高木奈那選手が最後のカーブで転倒しました。泣きじゃくり、崩れ落ちる奈那選手をチームメートが抱きかかえ、励ましました。

 カーリング女子日本代表は、点差が開いても一投ごとに大声で励まし合いました。笑顔を絶やさぬ彼女らの姿勢はチームメートを勇気づけただけでなく、対戦チームからも称賛されました。そうした映像を見て励まされた人も、多かったかもしれません。私もその一人です。

 多くの人は、励ましを必要としています。人生は、上手くいくことばかりではないからです。自分のするあらゆることが報われ、いつも表彰台の真ん中に立つような日々だったら、人生は全てバラ色かもしれません。でも実際には、そんな人生はありません。時には灰色や暗黒、そしてブルーな日がある――それが、私たちの人生の現実です。

 人から理不尽な扱いを受け、絶望感を味わう時があるかもしれません。思わぬアクシデントで周りに迷惑をかけ、残念な思いに満たされる瞬間もあるかもしれません。思うように力を出せず、悔しい思いを持つ時もあるかもしれません。

 そんな時の温かい慰めや励ましは、私たちの心に染みます。新たな力が注がれ、私たちが再び前に進むきっかけにもなり得ます。

 聖書は、そんな励ましのエピソードに満ちています。天地創造の神は、励ましのエキスパートなのです。アブラハムの家から追い出されたハガルには、深い絶望感がありました。息子とともに荒野をさまよい、飲み水もなくなった彼女は、座り込んで泣くしかありませんでした。そんな彼女を神は励まし、井戸のありかも教えて下さいました。

 夫や息子たちを失ったナオミも、お先真っ暗でした。たった一人で故郷に帰り、どん底の老後を送ろうとしていました。でも神は彼女に最高の励まし手を遣わし、財産を回復させ、孫まで与えられたのです。

 ツァレファテに住むシングルマザーは、息子とともに餓死寸前でした。食料が底をつき、手に入る見込みもなかったのです。神はその家に預言者エリヤを送り、彼女を励まされました。食材は尽きないと約束し、その約束を守って下さったのです。

 イエス・キリストは、全ての人に励ましを与えて下さいます。愛する弟子の一人にイエス様は裏切られ、敵対者たちに捕えられました。理不尽な裁判の末、何の罪もないのに十字架につけられました。天地創造の神なのに人として死に、墓に葬られました。でも、その絶望的な状況を打ち破る奇跡が起こりました。墓からよみがえられたのです。

 イエス・キリストを信じる人は、神の驚くべき奇跡を体験できます。どんなに厳しい状況に陥っても、私たちには不滅の希望があります。イエス様は御自身のいのちを犠牲にするほど、私たち一人ひとりを深く愛しておられます。どんな困難の中でも私たちを支え、励まして下さいます。

 使徒パウロはイエス様から励ましを頂き、周りの人たちを励ましました。私たちも同じように人の励ましのため、イエス様が用いて下さるのです。

「ですから、皆さん、元気を出しなさい。私は神を信じています。私に語られたことは、そのとおりになるのです。」(使徒27:25)

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2022年2月20日 (日)

永遠の遺産を継承する

 日本政府は先日、佐渡島の金山を世界文化遺産の候補としてユネスコに推薦しました。佐渡島では古くから砂金が採れ、江戸時代には国内最大の金山として小判が製造されたそうです。明治時代には西洋の技術者を招いて機械化が図られ、日本産業の近代化に貢献したとのこと。金山は1989年に操業停止となりましたが、約400年間で78トンもの金を採掘しました。

 アリの巣のように掘られた坑道の総延長は400kmに及び、ちょうど佐渡ー東京間の距離に匹敵するようです。金山の広大な敷地のあちこちに、長い歴史を物語る数々の痕跡が残されていると聞きます。先人たちの営みや鉱山技術、生産システムの変遷を見ることができる貴重な遺産だそうです。

 ただ世界遺産への登録は、ハードルが高そうです。日本政府が推薦を表明すると、韓国はすぐに反対しました。第2次大戦中、朝鮮半島出身者1,500人余りが強制労働させられた場所とされるからです。ロシアも公式に反対を表明し、報道官がこうコメントしました。「日本は・・・指導者たちが犯した犯罪行為を人類の記憶から消すために・・・持続的な措置をとっている。」

 佐渡の金山は、キリシタンの殉教地でもありました。江戸時代初め、迫害を逃れた多くのキリシタンが佐渡に来て、鉱夫として働きました。ところが島原の乱直後に彼らは捕えられ、処刑されたようです。その数は百人ほどとも言われますが、詳しい記録が残っていません。

 世界遺産は、「顕著な普遍的価値」が認められる遺跡とのこと。もし佐渡の金山が世界遺産になるなら、時の権力者の人権抑圧についても、反省すべき「負の歴史」として記録に残してほしいですね。

 聖書は、登場人物たちの「負の歴史」を赤裸々に記録しています。人類共通の祖先であるアダムとエバは、世界史に大きな爪痕を残す罪を犯しました。神との約束を破り、人類に死をもたらしたのです。それ以来エデンの園は、全世界が継承する遺産ではなくなりました。

 「信仰の父」と呼ばれるアブラハムは、年老いた妻サラが跡取りを産む奇跡を信じられませんでした。彼は女奴隷ハガルに子供を産ませ、結局はその母と子を追い出す羽目に陥りました。

 ユダヤ人の仲間を助けたかったモーセは、殺人を犯しました。その結果モーセは、強制労働に苦しむ仲間たちを40年間待たせることになりました。

 イスラエルの伝説的なヒーローだったダビデ王は、人々の期待を大きく裏切りました。忠実な家臣から妻を奪い、その夫を死に追いやったのです。

 選びの民イスラエルは繰り返し罪を犯し、世界中に悪い生き方の模範を示しました。その挙げ句、彼らは相続地の遺産を失い、世界中に散らされたのです。

 イエス・キリストは、「顕著な普遍的価値」のある遺産をのこしに来られました。救い主イエスを信じる人は罪が赦され、神との関係が回復します。永遠のいのちを授かり、エデンの園を超える新たな世界遺産を継承できます。

 ペテロのように失敗ばかりする人であっても、その遺産を受け継ぐことができます。パウロのように、記憶から消したいような罪を犯した人でも大丈夫です。イエス様が、私たちのあらゆる罪や過ちを十字架で帳消しにされたのです。

 ですから私たちは過去がどんなに暗くても、それを明るみに出して告白し、記録に残せます。神は、ふさわしくない者にさえ永遠の遺産を継承させて下さいます。私たちはその大きな恵みを感謝し、誉め称えることができるのです。

「それは彼らの目を開いて、闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、こうしてわたしを信じる信仰によって、彼らが罪の赦しを得て、聖なるものとされた人々とともに相続にあずかるためである。」(使徒26:18)

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2022年2月13日 (日)

良心を保つ

 北京五輪が開幕しました。日本選手の活躍が日々、報道されています。そこに参加できた選手たちや素晴らしい結果を残した選手たちは、大きな称賛に値します。

 冬季五輪がどこで開催されようと、彼らのすることにおそらく大きな違いはなかったでしょう。本番で最高のパフォーマンスを発揮できるように、彼らは日々厳しい訓練を積み重ねて来たはずです。競技中はフェアプレーに徹し、勝利の栄冠を目指して全力を尽くします。それはアスリートとしての良心に従い、平和の実現を求めるオリンピック精神に沿った行動だと言えます。

 創造主なる神は、彼らに飛び抜けた運動能力を与えられました。その力を十分に活かし、他の人の励ましになることを、神はきっと喜んで下さるでしょう。

 ところが五輪開催地に何か問題があると、話は複雑です。今回の問題は、中国政府の人権抑圧です。

 目に見える物しか認めない共産主義政権は、目に見えない存在を信じる人々を弾圧して来ました。仏教徒やクリスチャンへの迫害も継続中ですが、今はウイグル族の迫害等がクローズアップされています。彼らの多くはムスリムで、強制的に施設に収容され、共産主義や現政権に関する再教育が行われているようです。

 人権抑圧に抗議し、北京五輪に政府関係者を派遣しない国々がありました。開催に抗議するデモも、世界各地で行われました。トルコ・イスタンブールのデモに参加したある女性は、8年前に子供4人を連れ、避難して来たそうです。夫や親族と今も音信不通の彼女は、涙ながらにこう語りました。「人々が良心に従うなら、五輪を阻まねばならない。開催を認めれば、虐殺を許すことになる。」

 彼女の家族や親族を含め、抑圧された人々が解放され、中国でも信教の自由が認められるようにお祈りしています。

 良心とは、善悪を判断し、正しく行動しようとする心のことです。この善悪判断のモノサシは本来、一人ひとりの心に備わっていると聖書は語っています。全ての人は、良心ある存在として造られているのです。

 ところがエデンの園の大事件が、今なお人々の良心に暗い影を落としています。人類共通の祖先アダムとエバが、(リンゴではなく)善悪を知る知識の木の実を食べた事件です。それ以降、人類は神のみこころに関係なく、勝手に善悪を判断するようになりました。

 人々の心は次第に神から離れ、善悪のモノサシが狂い始めました。ケンカや殺人を平気で行い、人を力でねじ伏せ、支配する人々も現れました。良心を全く持たないように見える人たちもいます。人々の善悪のモノサシは、正常に働かなくなってしまったのです。

 イエス・キリストは、私たちの良心を回復させに来て下さいました。イエス様を信じる人は、良心の源である神との壊れた関係を修復することができます。神の完璧な基準に基づき、狂いが生じた善悪のモノサシを修正できます。人を押さえつけ、傷つけるのは悪いことだと、正しく判断できるのです。

 全ての人は、神に造られた大切な存在です。神は私たち一人ひとりを愛し、それぞれの人生に素晴らしい祝福の計画をお持ちです。

 私たち一人ひとりは、神からそれぞれ異なる力が与えられています。ある人は、運動能力に秀でています。別の人は、知的能力に優れています。音楽的な才能に恵まれた人もいます。いるだけで周りを和ませるような、柔和な人格を持つ人もいます。

 それぞれ異なる私たちが良心を健やかに保ち、互いに平和な関係を築くことを、神は願っておられるのです。

「そのために、私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、最善を尽くしています。」(使徒24:16)

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2022年2月 6日 (日)

勇気をもって行動する

 逆ギレして人に危害を及ぼすような嫌なニュースが、最近続いています。2週間前にも、そんな報道がありました。電車内の喫煙を注意した高校生が暴行を受け、大けがをした事件です。

 その男子学生はぜんそくで、受動喫煙に気をつけていたようです。ところが禁煙の車両に彼が乗ると、ルールもマナーも無視した若い男性がいました。優先席を一人で占領し、加熱式タバコを吸っていたのです。

 高校生は、勇気をもってその男性にこう声を掛けました。「タバコを吸うのをやめてもらえませんか?」言われた男性は逆上し、高校生に殴る蹴るの暴行を加えました。列車がホームに着くと、男性は学生をホームに引きずり下ろし、さらに暴行を続けたそうです。高校生は重傷を負い、男性は警察に逮捕されました。

 この高校生の勇気ある行動について、ネット等ではこんな反応があったようです――「彼は間違っていない。」「男子高生は素晴らしい。偉い。」「勇気ある行動に拍手を送りたい。」

 一方、違う反応もありました――「話の分からない人には、なるべく関わらない方が賢い。」「勇敢な人が称賛されるのは健全だが、蛮勇が良しとされる社会は危険だ。」

 あなたなら同じ状況でどうするかと聞くと、こんな声があったそうです――「怖いけど注意はする。」「そんな勇気はない。そういう時は遠くへ逃げる。」「窓を開けるくらいしかできない。」「昔、逆ギレされて逃げた経験があるので、たぶん注意しない。」「警察を呼ぶ方が良い。」

 JR東日本は、列車内のSOSボタンの活用も呼び掛けています。加害者が刃物や液体等、危険物を持つ可能性を指摘する人もいます。勇気ある行動には、慎重さも求められますね。暴行された高校生の心と体の癒しをお祈りしています。

 天地創造の神は、これまであらゆる人の人生に関わり、勇気ある行動を導いて来られました。父の家を後にしたヤコブを、神はこう励まされました――「わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。」(創世28:15)

 荒野に潜んでいたモーセには、エジプトの王宮でファラオと対決するように命じられました。神はその時、モーセにこう約束されました――「わたしが、あなたとともにいる。・・・このわたしがあなたを遣わすのだ。」(出エジ3:12)

 モーセの後を継いだヨシュアには、全てのユダヤ人を率いて約束の地を占領するように命じられました。ヨシュアに対して神は、こう約束されました――「わたしはモーセとともにいたように、あなたとともにいる。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。」(ヨシ1:5)

 そして強敵ミディアンとの決戦に遣わされたギデオンも、神にこう励まされたのです――「わたしはあなたとともにいる。」(士師6:16)

 イエス・キリストは、インマヌエルという別の名を持っておられます。「神が私たちとともにおられる」という意味です。天地創造の神が人となり、私たちの世界に住んで下さいました。イエス様は、御自身を信じる人とどんな時もともにおられます。

 迫害され、死に直面した使徒パウロも、イエス様に励まされ、勇気をもって行動できました。同じように私たちにも、天からの励ましがあります。イエス様は私たちに不思議な力を注ぎ、神の知恵と勇気で満たして下さいます。

 どんなに危険な状況でも、私たちは天の導きに従い、勇気ある行動をとることができます。全知全能の神が私たちとともにいて、味方して下さるからです。

「その夜、主がパウロのそばに立って、『勇気を出しなさい。あなたは、エルサレムでわたしのことを証ししたように、ローマでも証しをしなければならない』と言われた。」(使徒23:11)

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2022年1月30日 (日)

神の恵みの語り部となる

 今月22日、核兵器禁止条約の発効から1年が経過したそうです。核兵器を全面的に禁止し、将来的に核廃絶を目指す初めての国際条約です。これまで86の国と地域が参加の意思を表明し、59カ国が批准しました。でもアメリカ、ロシア、中国などの核保有国や、日本、ドイツ、ノルウェーなど核の傘の下にある国々は、条約に参加していません。

 ただドイツとノルウェーは、今年3月に初めて開催される条約締結国の会議にオブザーバーとして参加予定とのこと。日本の参加も期待されますが、今のところ日本政府は不参加の模様です。

 岸田首相は広島選出で、親戚にもたくさん被爆者がいるそうです。唯一の戦争被爆国の首相として、悲惨な体験を二度と繰り返さないように、具体的なアクションを取ってほしいですね。

 核兵器の悲惨さを知るには、被爆者の体験談を聞くことが不可欠です。長崎市の隣町・長与町で被爆した松本隆さんは、そうした語り部の一人です。

 松本さんは10歳の時、おつかいの途中でまぶしい光を見ました。瞬間的に地面に伏せると、雷が落ちたような爆音と生ぬるい熱風が体を吹き抜けたそうです。数日後、親戚を訪ねて、母や姉と一緒に爆心地の浦上に向かいました。道には焼死体が転がり、ひどい悪臭が漂っていました。


 戦後、家族はガンで次々に亡くなりました。でも松本さんは、自分の体験談を人に語れなかったそうです。当時の恐怖をうまく伝える自信がなかったのです。爆心地から遠かったため、語る資格がないようにも感じました。

 ところがある日、見たものをありのまま証言する別の被爆者の話を聞き、胸を打たれたそうです。余計な工夫をしなくても伝わると実感し、それから自分も体験談を語り始めました。被爆証言の灯を消さないため、語り部をさらに増やしたいと松本さんは今、願っているそうです。

 天地創造の神は、アブラハムとその子孫を語り部に選ばれました。辛く悲しい体験ではなく、悲しみが喜びに変わった恵みの語り部です。アブラハムには、年老いても跡継ぎがいない悲しみがありました。でも彼は奇跡的に子どもを授かり、その恵みを後世に伝えました。

 ヨセフは兄弟に裏切られ、さらに無実の罪で牢獄に入る不幸も味わいました。しかしその後、不思議な導きでエジプトの支配者となり、その恵みを彼は兄弟たちに語りました。

 逃亡犯だったモーセは語り部に選ばれた時、一度は辞退しました。自分はふさわしくないという理由でした。でも神の選びに間違いはなく、その後40年、モーセは恵みを語り続けました。

 お金持ちで正直者のヨブには、不幸が続きました。財産の全て、子供たち全員、さらには自らの健康まで失いました。妻や友人たちからは、冷たい言葉が浴びせられました。でもその後、彼は以前より遙かに祝福され、その恵みを後の世代に語ったのです。

 イエス・キリストは、信じる人全てを神の恵みの語り部にして下さいます。使徒パウロは、かつてキリストの敵対者でした。永遠に呪われ、不幸な死に方をしてもおかしくありませんでした。でもイエス様は彼を選び、恵みの語り部として大いに用いられました。

 イエス様は、私たちをも用いて下さいます。私たち一人ひとりを違う場所に遣わし、神の恵みを語らせて下さいます。この世でどんな不幸が訪れようと、私たちは悲しみが喜びに変わる幸いを語れます。イエス様が永遠の平和をもたらす恵みを、私たちは体験できるからです。

「・・・私たちの父祖の神は、あなたをお選びになりました。あなたがみこころを知り、義なる方を見、その方の口から御声を聞くようになるためです。あなたはその方のために、すべての人に対して、見聞きしたことを証しする証人となるのです。」(使徒22:14-15)



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2022年1月23日 (日)

キリストの「推し活」に全てをささげる

 「推し活」という言葉が、昨年の新語・流行語大賞にノミネートされたそうです。アイドルや俳優、アニメのキャラクター等、自分が好きな対象を熱心に応援する活動のことです。

 「推し」とは元々、アイドルグループの中で一推しのメンバーを意味する「推しメン」を、さらに省略した言葉とのこと。具体的には、こんな活動をするそうです。

1)推しに会う――ライブや舞台、イベントに参加する。

2)推しに触れる――動画鑑賞やSNSの閲覧をしたり、写真集を買ったりする。

3)推しに染まる――推しのグッズを身につけたり、推しのイメージカラーの物を揃えたりする。

4)推しを広める――周囲の人に推しの魅力を語る、「布教活動」を行う。

5)推しを感じる――一人静かに推しのことを思い、推しの存在を感謝する。

 推しの誕生日や記念日をお祝いしたり、ゆかりの地を訪問する「聖地巡礼」を行う人もいるそうです。

 「推し」がいると、まるで恋をしているかのように、毎日がキラキラ輝くと言う人もいます。推しの幸せを願い、推しの頑張りに励まされ、どんなに辛い時も前向きな気持ちになれるそうです。

 さらに、こんなことを言う人もいます。「舞台やライブのチケット代と休暇のため、仕事や勉強を頑張れるようになった。」「推しに見合う自分であろうと思い、勉強や仕事、美容の意識が高まった。」「推しのイメージダウンにならないよう、ファンとして言動に気をつけるようになった。」「推し活をしていたら、趣味の合う良い友だちができた。」

 まだ推しがいない人には、こんな見つけ方を提案する人もいます。1)推しがいる人の話を聞いてみる。2)ひとまず気になる作品に触れてみる。3)もっと深く調べてみる。4)推しになりそうな対象のため、先ずお金を使ってみる。(???)

 2年前のある調査によると、推し活関連の消費は6千億円以上にも及ぶそうです。でも、ある人はこう言ったとのこと――「これは『浪費』ではなく、『愛』なのです。」

 天地創造の神は、人類の長い歴史を通し、熱心なファンを増やして来られました。応援ではなく奉仕や礼賛という形で、唯一の神の「推し活」をする人が世界中に増え広がりました。

 この推し活の始まりは、メソポタミア出身のアブラハムからです。彼の出身地ウルの町では、「ナンナ」という名の神が祀られたそうです。月と暦を司る神とされていました。でもアブラハムは天地創造の神が推しとなり、その推しを感じ、広める活動を始めました。

 彼の子孫は、代々その推し活を受け継ぎました。先祖の言い伝えを通して推しに触れ、推しに染まりました。荒野にいたモーセはある日突然、推しに会いました。その後、彼はエジプトに行き、推しを広めました。

 そしてダビデ王はソロモンを通し、エルサレムに神殿を建てさせ、そこを彼らの推し活の本拠地にしたのです。

 イエス・キリストの弟子たちは推しに会い、人生が一変しました。彼らはエルサレムから世界中に遣わされ、推しを感じ、推しを広める活動を続けました。

 私たちは今、聖書のことばを通し、推しと出会い、推しに触れることができます。祈りや賛美を通し、推しを感じることができます。日々の生活を通し、推しに染まり、推しを広めることもできます。推しの励ましによる喜びがあり、どんな時も前向きに生きることができます。

 私たちがキリストの推し活に持てる物の全て、命さえささげたとしても・・・、それは「浪費ではなく愛」なのです。

「すると、パウロは答えた。『あなたがたは、泣いたり私の心をくじいたりして、いったい何をしているのですか。私は主イエスの名のためなら、エルサレムで縛られるだけでなく、死ぬことも覚悟しています。』」(使徒21:13)

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2022年1月16日 (日)

神のことばを生涯の友とする

 親友のいない若者が増えているそうです。昨年、テレビ朝日が紹介したある調査によると、2001年の大学生の半数以上は、親友がおもな相談相手でした。ところが2020年には、その割合が39.7%に減ったそうです。親友ではなく、親に相談する人が増えたとのこと。コロナ禍の今は、大学で友人をつくるのも難しそうですね。

 2018年に行われた別の調査では、20~60代の男女1,348人に、親友と呼べる人の人数について聞きました。すると男女とも3割以上の人が、親友はいないと回答したそうです。

 親友とは、たいへん親しくて信頼できる友人のことです。何でも打ち解けて話ができ、どんな時も味方してくれる人です。自分の良き理解者で、的確な助言をしてくれる存在でもあります。一緒にいると安心感があり、前向きな気持ちになれる人でもあります。そんな人がいつもそばにいてくれたら、私たちは心強いですね。

 「幸せな友人と一緒にいると幸福感が高まる」という研究結果もあるそうです。幸福感は伝染するようですね。確かに親しい友だちに良いことがあって、幸せそうに笑っていたら、自分も嬉しい気持ちになれそうです。

 それとは逆に、不幸な気持ちも伝染するようです。ネガティブな人の表情を見ていると、ストレスが増えるという研究があります。そんな人と一緒に過ごすと、顔の表情や姿勢、声の出し方、動作まで似てくるそうです。

 不幸を嘆く人のそばに寄り添い、慰め、励ますことは、もちろん大切です。でも自分もネガティブになり、一緒に不幸のどん底に沈まないように気をつけなければなりません。親しい友人が不幸な時は、別の誰かから幸福感をいただき、「お福分け」ができると良いですね。

 天地創造の神は私たちの親友となり、幸福感を高めて下さるお方です。神は、人類の代表だったアブラハムの生涯の友となって下さいました。故郷を離れ、父の家も出たアブラハムには、妻以外に親友と呼べる人はいませんでした。でも神が親友となり、常にアブラハムの味方をされたのです。奇跡的に生まれた子は老夫婦に幸せをもたらし、アブラハムは全世界に祝福のお福分けができました。

 モーセにとっても神は、親友になりました。彼は神と直接対面し、何でも打ち明けました。モーセの難しい立場を神は良く理解し、いつも彼の味方をされました。暗い過去から解放されたモーセは、不幸を嘆く奴隷たちの子を約束の地まで導きました。

 ダビデにとっても、神は親友のようでした。絶体絶命の時も、神はダビデの味方でした。ダビデが罪を犯した時も、神は預言者ナタンを遣わし、正しい道に連れ戻されました。ダビデを悔い改めに導き、世継ぎが生まれる幸せで満たして下さったのです。

 イエス・キリストは、この神ご自身であり、神のことばです。誰でもこのお方を信じる人は、イエス様が親友になって下さいます。どんな時もともにいて味方をして下さる、頼もしいお方です。

 私たちは、誰よりも良き理解者であるイエス様に何でも相談し、最高の助言をいただけます。このお方と一緒にいるなら、私たちは平安で満たされ、前に進む力が与えられます。どんなに厳しい逆境も、このお方の助けにより、勇気をもって乗り切れます。

 イエス様は、私たちを祝福で満たすことを喜びとしておられます。このお方が生涯の友であるなら、私たちは周りの人に永遠の祝福のお福分けができるのです。

「今私は、あなたがたを神とその恵みのみことばにゆだねます。みことばは、あなたがたを成長させ、聖なるものとされたすべての人々とともに、あなたがたに御国を受け継がせることができるのです。」(使徒20:32)

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