礼拝

2018年1月21日 (日)

ビジョンに望みを抱く

 先週はマルティン・ルターのお話をしましたが、今週はマーティン・ルーサー・キング・ジュニアの話から始めたいと思います。先週月曜日は、米国ではキング牧師記念日(Martin Luther King Jr. Day)という祝日でした。公民権運動を指導したキング牧師の誕生を祝う日です。トランプ大統領はこの日、次のようなコメントを発表しました。「キング博士の夢は私たちの夢だ。それはアメリカンドリームだ。その約束は私たちの国の布地に織り込まれ、私たち国民の心に刻み込まれ、人類の精神に書き込まれている。それは、人々が外見や出身地ではなく、人間性によって判断される世界の夢だ。」しかし、残念ながら多くの人は、トランプ大統領のこの言葉を好意的に受け取らなかったようです。その数日前の会議で、大統領が人種差別的な発言をしたと報道されたからです。キング牧師記念日には、大統領を批判する声が相次ぎました。キング牧師の長男であるマーティン・ルーサー・キング3世は、こう発言したそうです。「大統領の心を変えなければならない。」

 キング牧師は1929年、ジョージア州アトランタに生まれました。今も生きていたら89歳ですね。父親はマイケル・キングという名で、バプテスト教会の牧師でした。彼は30代の頃、ドイツに旅行しました。マルティン・ルターの偉大な働きを知り、たいへん感銘を受けました。そこで彼は、自分の名をマーティン・ルーサー・キングに変えたのです。5歳の長男も同じ名前に変えました。同じ名前のシニアとジュニアが同時に誕生しました。当時、米国には依然として根強い人種差別がありました。リンカーン大統領は、1860年代に奴隷解放を宣言しました。でも第2次大戦が終わっても、まだ至る所に差別が残っていました。父と同じくバプテスト教会の牧師になったキング牧師は、人種差別と闘う運動を始めました。彼の運動はガンディーの影響を受け、暴力を使わない方針を貫きました。奴隷解放宣言100周年の1963年には、首都ワシントンで20万人を超えるデモが行われました。その時、大群衆の前でキング牧師が演説しました。「私には夢がある(I have a dream)」という有名な演説です。彼は、こう言いました。「奴隷解放宣言は、何百万人もの黒人奴隷に大きな希望の光を照らした。…私には夢がある。それはいつの日かこの国が立ち上がり、『全ての人は平等に造られた』という国の理念を実現させる夢だ。…これが私たちの希望だ。…この信仰があれば、私たちは絶望の山から希望の石を切り出すことができる。」キング牧師は、希望に満ちたビジョンを語りました。それを聞いた多くの人は、そのビジョンに望みを抱いたのです。

 創造主なる神は、全ての人を平等に造られました。米国の独立宣言に記されるこの視点は、聖書の教えに基づいています。私たち一人ひとりは神の作品として大切に造られ、愛されている尊い存在です。その真実を全世界に伝えるため、神はユダヤ人の奴隷をエジプトから解放しました。ユダヤ人たちには、こう命じられました。「あなたたちの国ではみなしご、やもめ、在留外国人など、弱い立場の人に配慮しなさい。」ユダヤ人たちが言うことを聞かなくなると、神は彼らを再び弱い立場に置かれました。彼らは捕虜としてバビロニアに送られ、またもや差別の苦しみを味わったのです。しかしそれは、一時的な苦しみでした。神は彼らを解放し、平等な社会を築くビジョンを彼らに告げられたのです。預言者エレミヤが語った通り、彼らの将来には望みがありました。

 イエス様は、私たちをあらゆる差別から解放しに来られました。どんな人にも等しく注がれる神の愛を、私たちに伝えに来られました。人を差別する罪は、イエス様の十字架によって葬り去られました。イエス・キリストを信じる人は、あらゆる差別から自由にされます。全ての人が平等な神の国のビジョンを受け取ることができます。そのビジョンに、私たちは永遠の望みを抱くことができるのです。

「主はこう言われる。『あなたの泣く声、あなたの目の涙を止めよ。あなたの労苦には報いがあるからだ。──主のことば──彼らは敵の地から帰って来る。あなたの将来には望みがある。…」(エレミヤ31:16-17)

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2018年1月14日 (日)

ビジョンに心が燃やされる

 去年は宗教改革500周年を祝い、世界各地で記念行事が開催されました。ドイツで作られたマルティン・ルターの可愛らしい人形も、100万個以上売れたそうです。ルター自身は、自分の人形がそんなに売れるなど全く想像しなかったでしょうね。500年前に世界の片隅で起きた小さな出来事は、今なお世界中の人々に大きな影響を及ぼしているのです。

 ルターは、新しい時代のビジョンに心が燃やされていました。一人ひとりが聖書を手にし、神のみことばを信じて生きるビジョンです。そのビジョンにより、カトリック教会が絶大な影響力を持つ中世は終わり、近代が始まりました。国家はローマ教皇の権威から独立し、各地で新たな国づくりが始まりました。その働きを担ったのはドイツではルーテル教会、オランダでは改革派教会、イギリスでは英国国教会やピューリタンの人々です。でもその頃来日した西洋人は、主にカトリックの人々でした。カトリックの宣教師たちは宗教改革に対抗し、日本で信者を増やしました。ところが江戸時代になると仏教が日本の国教とされ、キリシタンは迫害されました。それから200年以上経ち、日本にも近代の波が押し寄せてきました。(「西郷どん」の時代です。)明治の時代、近代日本の指導者たちは、神道を事実上の国教に定めました。クリスチャンの迫害は続きました。そのニュースを聞いた欧米諸国は、日本政府に迫害の中止を強く求めました。その結果、ようやく日本で信教の自由が認められたのです。カトリック教会もプロテスタント教会も、自由に聖書を教えられる時代になりました。ルターが改革を始めてから、350年以上後の話です。第二次大戦後の新憲法では、さらに大きな自由が認められました。今の日本では、自由に聖書を読むことができます。イエス・キリストを信じ、救いの恵みを受けることができます。500年前、ルターが心を燃やした新時代のビジョンは、今も多くの人を祝福しているのです。

 神は、人類に新しい時代のビジョンを与えて来られました。アダムとエバには、楽園からの旅立ちが告げられました。ノアには、洪水からの再出発が告げられました。アブラハムには、世界を祝福する旅の始まりが告げられました。数百年後、アブラハムの子孫は星の数ほどに増え広がり、約束の地に戻って来ました。彼らは天地創造の神の指導により、新たな国づくりを始めようとしていました。新時代のリーダーに選ばれたのは、ヨシュアです。彼はヨセフの子孫で、エジプトに生まれました。先祖ヨセフの素晴らしい活躍を聞かされて育ったはずです。40代半ばの頃、ヨシュアは他のユダヤ人とともにエジプトを脱出しました。それから40年間、彼らは荒野で訓練を受けました。ヨシュアはモーセの助手になり、偉大なリーダーの働きをその目に焼き付けました。敵との戦いにも遣わされ、祈りによる勝利を体験しました。約束の地のビジョンを信じ、神に従うことの大切さも学びました。そしてヨシュアが80歳を過ぎた頃、神は新たなビジョンを語られました。イスラエルの民が、約束の地を手にするその時が来たのです。そのビジョンに、ヨシュアの心は燃やされたに違いありません。何歳になっても、心を熱くするのに遅くはありません。(私たちは、いつでも希望があります。笑)

 イエス様も、全世界に新時代のビジョンを伝えに来られました。イエスという名は、ヘブル語ではヨシュアになります。「主は救い」という意味です。モーセの後継者ヨシュアは、イスラエルの民を荒野の苦しみから救い出しました。そして、彼らを約束の地に導き入れました。それはイエス様の働きの象徴でした。イエス様は、人生の荒野にいる全ての人をその苦しみから救い出されます。そして、天の御国という約束の地に導き入いて下さいます。3000年以上前、ヨシュアは神からビジョンを受け取りました。2000年前には、イエス様がビジョンを語られました。それらのビジョンは、今なお世界中の人の心を熱く燃えたたせます。全ての人の人生に祝福をもたらす大きな影響力を、今なお持ち続けているのです。

「強くあれ。雄々しくあれ。あなたはわたしが父祖たちに与えると誓った地を、この民に受け継がせなければならないからだ。」(ヨシュア1:6)

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2018年1月 7日 (日)

天与のビジョンに導かれる

 新年を迎えると、多くの人は一年で成し遂げたいことを考えます。皆さんは、今年一年の抱負を何か考えたでしょうか。ネット上のあるサイトでは、新年の抱負のアイデアを100個も挙げていました。その中からいくつか選べば、新年の抱負を簡単にまとめられるはずです(笑)。例えば、こんなことが書かれていました。1)物を減らす(いわゆる「断捨離」)。2)読書や勉強をする。3)運動する。4)詩や小説を書く。5)絵を描く。6)旅行に行く。7)早寝早起きをする。8)健康な食生活をする。9)新しい人間関係をつくる。10)文句を減らし、感謝を増やす。「信仰を深める」という項目もありました。100個も項目があったら、その中のどれかは今の自分に当てはまりそうです。でもあまり選択肢が多すぎて、選ぶのが難しいかもしれません。

 そのリストの中に、「自己中心性を減らし、他の人の話をもっと聞く」という項目がありました。私たちは、一人で生きているのではありません。無人島でなければ、私たちの周りにたいてい誰か他の人がいます。聖書では、「隣人(となりびと)」という言葉が使われます。隣人のため、自分に何ができるか考えるのは大切です。強盗に襲われて倒れている人を見たら、何をすべきか分かりやすいですね。普通は「大丈夫ですか」と、先ず声を掛けます。傷があれば、手当てしなければなりません。親切な人は怪我した人を病院に連れて行き、費用も払ってあげるかもしれません。「良きサマリア人」のような人です。でも倒れていない人にはどんな必要があるのか、ちょっと見ただけでは分かりません。深い傷のある場所が心の奥底なら、外からは見えません。どう手当てしたら良いか、見当もつきません。でもそんな隣人のために、何かできることが見つかる場合もあります。そのためには先ず、周りの人に関心を持ち、隣人の心の声に耳を傾ける必要があります。

 同時に、神に聞くことも大切です。神は、計画的に私たちの周りに隣人を置かれるからです。神が出会いを用意されています。私たちの隣人に、ご自身の愛を表わしたいと願われているのです。私たちが今年、隣人に何をすべきかについても、神に最善の計画があります。隣人のための2018年プランAです。それがどんな内容で自分は何をすべきかを知るには、プランを立てた神に聞くのが第一です。自分のしたいことを好きなようにしたら、プランAは大失敗に終わるかもしれません。神はもちろん、プランBもプランCも用意されています。でもプランAが失敗したら、神は残念に思われるはずです。

 そう考えると、新年の抱負全体についても先ず神に聞くべきですね。「私の決意はこうだから、あとは神様よろしく」ではありません。「イエス様、今年あなたは何を計画されているのですか?私がすべきことは何ですか?」全知全能の神の前に静まり、そう聞くことが大切です。まだしてなければ、ぜひそうしてみて下さい。「イエス様、教えて下さい」と祈って下さい。心に浮かぶ聖書のことばや印象を書き留めて下さい。間違いがないか、もう一度イエス様に聞いて下さい。そのようにまとめたリストを、今年一年の抱負にするのです。みこころを第一に求め、行う人を神は喜んで下さいます。祝福で満たして下さいます。プランAを実現して下さいます。「神の友」と呼ばれたアブラハムは、天から与えられたビジョンに従いました。プランAが実現し、アブラハムとその隣人たち、さらには全世界が祝福されました。イエス・キリストを信じ、アブラハムの子孫とされた人は、それと同じ生き方をすることができます。天与のビジョンに導かれ、最高の一年を過ごすことができるのです。

「信仰によって、アブラハムは相続財産として受け取るべき地に出て行くようにと召しを受けたときに、それに従い、どこに行くのかを知らずに出て行きました。」(ヘブル11:8)

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2017年12月31日 (日)

喜び、祈り、感謝する

 私が今年、感謝したことの一つは、夏にミサ子さんという83歳の女性を天国に無事送り出せたことです。ミサ子さんとの出会いは、2年前、教会に掛かって来た電話がきっかけでした。見ず知らずの女性からで、こういう話でした。「いま警察署にあるアメリカ人男性の遺体を、一緒に引き取ってほしい。」ユージーンという名のその男性は、私たちの礼拝に何回か来られました。年賀状もいただきました。無口な人で、あまり話はしませんでした。でも確かフィリピンで洪水被害があった時は、教会にわざわざお米を持って来られました。お米は送れないので、優しいお気持ちだけ受け取り、感謝しました。電話を掛けて来たのは、そのユージーンの奥様のケアマネの方です。妻のミサ子さんは軽い認知症で、後見人をつける手続き中でした。彼女にはお子様も連絡の取れる親戚も、誰も身寄りがいませんでした。そのためミサ子さんは、亡くなった夫の遺体や遺品を引き取れなかったのです。ケアマネの方はそれを気の毒がり、あちこち当たった結果、最後に教会に電話して来たのです。

 ユージーンさんの火葬には、ミサ子さんの介護スタッフ等数名が参列しました。私たち夫婦と葬儀社の方以外に、クリスチャンはいませんでした。火葬の直前に聖歌「驚くばかりの(アメイジング・グレイス)」を一緒に賛美し、詩篇23篇を朗読しました。私は、天国の希望について短くお話ししました。遺骨は、ケアマネさんと私で誰もいないユージーンさんのアパートに置きに行きました。彼は毎日、すぐ近くの介護施設まで歩き、奥様に会いに来ていたそうです。ところがある日、突然来なくなりました。ミサ子さんは心配になり、人に頼んでアパートを見に行ってもらいました。すると、ご主人の遺体が発見されました。78歳でした。死因を確かめるため、遺体は警察に運ばれました。火葬の翌月、私は妻と二人でミサ子さんを訪問しました。彼女はにこやかな笑顔で、私たちを歓迎してくれました。夫と同じところに行きたいと、ミサ子さんは願っていました。私がイエス様の話をし始めると、彼女は目から涙を流し、こう言いました。「私は、イエス様を信じています。」若い頃、教会に行ったことがあるという話でした。私はミサ子さんの信仰を確認し、車椅子の上の彼女に洗礼を授けました。ミサ子さんは、本当に喜んでいました。

 それから毎月一度、私たち夫婦はミサ子さんを訪問しました。私たちの顔を見ると、いつも彼女は笑顔を見せ、喜んでくれました。私たちは聖書のことばを読み、彼女と一緒に祈りました。帰る時、私たちが「また来ます」と言うと、彼女はいつも必ず「ありがとうございます」と言いました。その後、ミサ子さんは郊外の長期滞在型の施設に移りました。訪問者がほとんど来ないような、静かな施設でした。去年のクリスマスは教会の子供たちと一緒にそこへ行き、クリスマスキャロルを歌いました。ミサ子さんは、たいへん喜んでくれました。年が明けた今年1月、彼女は体調を崩し、入院しました。そして、7月の終わりに危篤状態になりました。最後にお見舞いした時、ミサ子さんは呼吸困難で、言葉を出せませんでした。苦しそうな表情でした。「イエス様はいつも一緒ですよ」と私が何度か言うと、その度ごとにかすかな笑顔を見せました。帰り際、私たちは「また来ますね」と言いました。すると彼女は、最後の力を振り絞るかのような声で、「ありがとうございます」と言ったのです。そんなに苦しそうなのに、私たちに手も振ってくれました。その2日後、彼女は天に召されました。火葬場で再び「驚くばかりの」を賛美し、聖書のみことばを朗読しました。以前のケアマネの方も参列し、こう言ってくれました。「ミサ子さんは幸せでしたね。」

 イエス・キリストを信じる人は、永遠の天の御国に迎え入れられます。そこで他のクリスチャンと再会することができます。ミサ子さんはきっと今、天国でご主人と再会し、輝くような笑顔を見せていると信じます。私たちも、いつかミサ子さんと天国で再会できる日が来ます。最期まで感謝の心を失わなかった彼女の姿に、私はたいへん感銘を受けました。2年足らずでしたが、ミサ子さんとともに喜び、祈る時が与えられた幸いを感謝します。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(Ⅰテサロニケ5:16-18)

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2017年12月24日 (日)

金色の栄光をほめたたえる

 今日は、クリスマスカラーシリーズの最終回です。第1回目は赤について考えました。赤は罪の色、救いの色、そして神の愛の色です。2回目は緑について考えました。緑は祝福の色、安息の色、そして希望の色です。3回目のテーマは白でした。白は祈りの色、聖さの色、義(正しさ)の色です。4回目の今日は、金色について考えてみましょう。金色も、クリスマスに欠かせない色です。金色は、その名の通り金の色です。オレンジがかった黄色で、金属的な輝きがあります。多くの金属は、目に見える光を全て反射するそうです。そのため白っぽく、銀色に見えます。しかし金は、波長の短い紫や青、緑の光を吸収します。残った黄緑や黄色、赤などの光だけ反射するため、オレンジ寄りの黄色に輝くそうです。その輝きは、多くの人の心をとらえる美しさです。地上の金の量には限りがあるため、希少価値もあります。錆びることがなく、柔らかくて加工しやすい金属です。そのため、古くからアクセサリーに用いられて来ました。金箔にして建物や工芸品に用いたり、糸にして刺繍にも使われたりします。お金としても用いられて来ました。金は豊かさの象徴で、多くの人々ができるだけたくさん手に入れたいと願って来ました。

 日本は、かつて「黄金の国」と呼ばれたことがあります。カトリック教会が西ヨーロッパで大きな力を持っていた中世、1300年頃のこと。ヴェネツィアの商人マルコ・ポーロは、ヨーロッパの人々に日本の国を紹介しました。「東方見聞録」という本を通してです。マルコ・ポーロは、商人だった父と一緒にアジアを訪問しました。日本には来ませんでしたが、中国で日本の噂を聞きました。「そこは金がたくさん採れる国だ。家は金でできている。宮殿は屋根も廊下も窓も、全て金。人々は礼儀正しい。でも偶像を礼拝し、人の肉を食べる。人肉は、他の肉よりはるかに美味しいと彼らは言っている。」人の噂は、そのまま信じてはいけませんね。金の家とは宮殿ではなく、岩手県のお寺・中尊寺金色堂だったようです。全て金で作られたのではありません。木造の建物を金箔で覆ったのです。マルコ・ポーロの本は、大きなインパクトがありました。何か国語にも翻訳され、多くの人が読みました。その中の一人が、クリストファー・コロンブスでした。彼は、スペインから船で「黄金の国」を目指しました。カリブ海の島がその国だと勘違いし、黄金探しをしました。しかし金は、たくさんありませんでした。住民が隠していると考え、彼らを虐殺したそうです。金を求める心は、争いや人殺しの種になりました。

 金自体は、悪くはありません。人間の心に問題があります。創造主なる神は、地球上に金を造られました。エデンの園の時代にも金があったと、聖書に記されています。人が初めて罪を犯す前のことです。旧約聖書の世界でも、金色は豊かさや力の象徴でした。神はアブラハムを経済的に祝福され、金をたくさん与えられました。ヨセフがエジプトの支配者になった時は、金のネックレスが与えられました。金色は、神がおられる象徴でもありました。神はモーセに、「契約の箱」を作るよう命じられました。神輿のような形をした木の箱ですが、全てが金箔で覆われ、輝いていました。映画「インデイ・ジョーンズ」シリーズを観た人は、第1作「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」に出て来た箱を覚えているかもしれません。ナチスドイツが略奪した箱をジョーンズ博士が奪い返すストーリーです。映画はもちろんフィクションですが、その箱のモデルはモーセたちが作った契約の箱です。その金色の箱は、人とともにおられる神の象徴でした。

 キリスト誕生のお祝いとして、東方の博士たちは黄金を贈り物にしました。それはイエス様が神であり、全ての人とともにおられることを象徴していました。(契約の箱は、イエス様の象徴でもあります。)イエス・キリストを信じる人は、心が新しく造り変えられます。黄金よりもはるかに慕わしい神のみことばによってその人生が導かれ、純金で造られた天の都、永遠の「黄金の国」に迎え入れられます。金色の光を世に輝かす「神の宝の民」として、いつまでも変わらない神の金色の栄光をほめたたえることができるのです。

「その星を見て、彼らはこの上もなく喜んだ。それから家に入り、母マリヤとともにいる幼子を見、ひれ伏して礼拝した。そして宝の箱をあけて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。」(マタイ2:10-11)

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2017年12月17日 (日)

純白にきよめられる

 今日は、クリスマスカラーシリーズの第3回目です。最初は赤、2回目は緑の意味を考えました。今日は、白について考えてみましょう。白は、私の好きな色の一つです。雪の色だからです。私は札幌で生まれ育ったので、雪が積もらないと冬が来た気がしませんでした。首都圏で暮らし始めた頃は、春夏秋の後、いつの間にかまた春になる感じがしました。雪が降ると、私はなぜか嬉しくなります(犬のよう? 笑)。子供の頃の楽しい記憶がよみがえるからかもしれません。雪だるまを作ったり、雪合戦をしたり・・・。雪上サッカーもしました。山の近くに住んでいたので、毎日のようにスキーにも行きました。「ミニスキー」や「雪スケート」と呼ばれる用具を靴に装着し、家の前の雪道で遊ぶこともありました。北海道で牧師をしていた頃は、冬になるとほぼ毎週月曜日、スキーかスノーボードに行きました。山頂付近から見下ろすと、地域全体は純白の雪で覆われていました。その景色を見るたび、神様がこう言われているように感じました。「美しいだろう。わたしがこれを造ったのだ。」

 先日、天に召されたある女性も雪が好きだったそうです。社交ダンスをする方でしたが、お気に入りは純白のドレスでした。そのドレスを着て、雪が降る様子をダンスで表現したそうです。2年前、私が病床洗礼を授けた時には、ベッドの横にそのドレスが飾ってありました。踊った時の写真も見せていただきました。ダンスをやめてドレスを処分しても、その白いドレス1着だけは手元に残してありました。奥様の看病をしていたご主人は、真冬に一人でカメラを背負い、雪山の写真を撮影しに行きました。マイナス10度の場所に行くと、カメラの調子も悪くなったそうです。それでも、カレンダーに使われるような見事な雪景色を撮影して来られました。病床の奥様も写真を見たら、喜ばれたはずです。奥様が亡くなられた夜も、雪が降っていました。神様の優しい心遣いのようでした。大好きな白いドレスを身に着け、棺に納められたそうです。天国でも今頃、白いドレスを着て、楽しく踊っているかもしれません。

 聖書の中で、白は天の衣の色です。イエス・キリストを信じ、天国に迎えられる人に、神様は白い衣を着せて下さいます。純白のウェディングドレスです。永遠の牧場の羊なので、ウールでしょうか?今日、私が着ていたような白いセーターかもしれません(笑)。イエス様も神の子羊ですから、白いウールの衣ですかね???白い衣を先取りして着たのは、エジプトにいたヨセフでした。彼が着たのはウールではなく、亜麻布(リネン)の衣です。ファラオの夢を解き明かしたヨセフは、エジプト全土の支配を任されました。その時ファラオは、彼に白い亜麻布の服を着せたのです。エジプトの王宮は、ヨセフにとって天国のような場所でした。暗い監獄から救い出され、まばゆいばかりに日の当たる場所に迎え入れられました。白い衣も、光り輝いていたはずです。

 ヨセフの後、白い亜麻布を着たのはイスラエルの祭司たちです。彼らは神の羊の群れであるイスラエルを代表し、羊飼いである神様に近づきました。「ヒソプ」という植物を用い、きよめの儀式を執り行いました。彼らの礼拝所だった幕屋自体も、「白い衣」を着ていました。幕屋の一番外側が、白い亜麻布の幕で覆われていたのです。白は、神の聖さや義(正しさ)を象徴する色でした。幕屋の祭壇ではいけにえがささげられ、白い煙が立ち上っていました。聖所の中では香がたかれ、そこからも白い煙が上っていました。煙の白さは、礼拝と祈りの象徴でした。イエス様が生まれた時は、東方の博士が贈り物を持って来ました。その一つは白い乳香でした。それは、イエス様が果たした祭司の務めの象徴だと考えられます。白い衣を着た祭司として、またいけにえの白い子羊として、イエス様は全人類の罪を除きに来られました。この救い主イエスを信じる人は、誰でもあらゆる罪がぬぐわれ、雪よりも白くきよめられるのです。

「ヒソプで私の罪を除いてください。そうすれば私はきよくなります。私を洗ってください。そうすれば 私は雪よりも白くなります。」(詩篇51:7)

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2017年12月10日 (日)

永遠の緑に癒される

 先週からシリーズで、クリスマスの代表的な色について考えています。前回のテーマは、赤でした。今日は、聖書の中で緑色が何を象徴するのか考えてみましょう。

 第一に、緑は神の祝福を象徴する色です。神は人類を創造した時、緑豊かなエデンの園を住まいとして与えられました。そこは、人類のため特別に造られた祝福の園でした。あらゆる木が生えていて、それらの実を人は自由に食べることができました。たった一本の木以外は、どの木から実をとって食べても良かったのです。アダムはその土地を耕し、緑の木々の番人になりました。愛する妻エバは、夫の大切な助け手となりました。彼らの仕事場はグリーンが豊かで、決してブラックではありませんでした。仕事に充実感があり、毎日が喜びと楽しみで満ちていました。しかし人類は、残念ながらその緑の楽園を手放さなければなりませんでした。楽園のオーナーである神との約束を破り、禁断の木の実を食べたからです。でも神は、実に恵み深いお方です。希望する人は誰もが住めるような、新たな緑の楽園造りを計画されていたのです。

 第二に、緑は神の安息、安らぎを象徴する色です。人類最初の安息の地、エデンを後にした人類は、長い長い旅に出ました。世界中に広がった人々に、神はそれぞれの安息の地、「緑の牧場」を用意されていました。アブラハムとその子孫に用意されたのは、緑豊かなカナンの地、いわゆる「乳と蜜の流れる地」です。そこは、彼らの長い旅の目的地となりました。そこが目的地だと告げられた後、実際にその地に定住するまで、彼らは数百年の長い旅路を歩みました。アブラハム、イサク、ヤコブの家族はその間、テント暮らしを続けました。彼らは羊飼いでした。ですから神が彼らを羊飼いのように導かれていることを、彼らはよく理解していたはずです。どこに緑の牧場があり、羊が休めるのかを、神は全てご存知でした。カナンの地に緑がなくなると、神はヤコブの家族をエジプトにまでも導かれました。そこに彼らを一時的に避難させ、再び「乳と蜜の流れる」安息の地に連れ戻すためでした。

 第三に、緑は神の与える希望を象徴しています。神は旧約の時代から、新たな時代が来ると宣言されていました。切り倒されたイスラエル王家の切り株から、新しい芽が出る時代です。その芽が大きく生長し、全世界に神のぶどう園を広げるのが、創造主の計画でした。この新芽こそがイエス様です。イエス様は真のぶどうの木として、この世に芽生えて下さいました。今やその新しい芽、緑の若枝は世界中に広がり、人々に神の与える希望を伝えています。 世の終わりには、新しいぶどう畑が完成します。イエス・キリストを信じる人は、誰もがこの永遠の「緑の牧場」に迎え入れられ、新たな緑の楽園で永遠に生きることができます。イエス様は、この永遠に変わらない希望を私たちに与えて下さったのです。

「…こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。」(黙示録22:2)

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2017年12月 3日 (日)

赤い色を喜びとする

 今日からアドベント。イエス・キリストの誕生を4週間かけてお祝いする時を迎えました。私たちの教会も先週日曜日の午後、皆さんのご協力により会堂をきれいに飾り付けました。最近、日本では教会より一般社会の方が早くクリスマスの飾り付けを始めます。ハロウィーンの大騒ぎが終わると、すぐクリスマスシーズンに入るようです。クリスマスのシンボルカラーは普通、赤、緑、白、金色などです。それぞれの色に何らかの意味があります。でも教会以外の飾り付けでは、それ以外の色も使われます。所沢駅西口の銀杏は毎年、青いイルミネーションで飾られます。駅2階通路の大きなハートは、ピンクです。別な場所に行くと、紫色に飾られたツリーを見ることもあります。今日から4回シリーズで、クリスマスの代表的な色について考えます。今日のテーマは、赤です。

 赤い色は、人類の歴史と深いつながりがあります。人類共通の祖先アダムは、名前の由来を考えると赤い土から造られたようです。体の中を流れる血液は、赤く染められました。手のひらを太陽にすかしてみれば、赤い色が見えるかもしれません(笑)。赤い血は、いのちの象徴です。エデンの園にあった禁断の木の実は、何色だったのか分かりません。しかし多くの人は、リンゴのような赤い実を思い浮かべるようです。赤は、罪を象徴する色でもあります。神は皮の衣を作り、裸だったアダムとエバに着せて下さいました。罪を犯した人類のため、動物の血が初めて流されたのです。アダムとエバの子供たちが献げ物をした時、神が喜ばれたのは弟アベルの献げ物でした。それは、赤い血が流された子羊のいけにえでした。赤は、いけにえの血の色でもありました。

 神の選びの民イスラエルも、赤い色と深いつながりを持って来ました。アブラハムは、一人息子イサクを献げ物にするように命じられました。しかし、イサクの命を奪おうとした瞬間、神からストップがかかりました。イサクの身代わりとなるいけにえが与えられたのです。祭壇の上で、子羊の赤い血が流されました。エジプトにいたアブラハムの子孫は、家族ごとに子羊一頭を用意しました。子羊の赤い血を家の門柱とかもいに塗りました。その赤い目印がある家は、神のさばきを逃れることができました。その日は、彼らがエジプトから解放される記念すべき日となりました。それがイスラエルの3大祭りの一つ、「過越の祭り」の起源です。エジプトを出たユダヤ人たちは、シナイ山で神の律法を受け取りました。礼拝場所である幕屋を作り、祭司たちはそこで毎日いけにえの血を流しました。最も重要ないけにえは、秋の「宥めの日(贖罪の日)」にささげられたものです。その日には、イスラエルが1年間に犯した全ての罪を背負うため、羊と山羊と牛の赤い血が流されたのです。

 イエス様は、十字架の祭壇で全人類のために赤い血を流されました。イエス・キリストを信じる人が、全ての罪を帳消しにされるため、そして永遠のいのちを受け取るためです。旧約の時代には、数えきれないほどの動物の血が流されました。それらは全て、イエス様の血による新しい契約の前ぶれでした。エリコの町の遊女ラハブが窓に結んだ赤いひもは、イエス様の血の象徴だと言われています。彼女の家族には、死が間近に迫っていました。しかし赤いひもにより、彼らは死を逃れることができました。このひもはラハブの家族だけではなく、全人類の救いの象徴です。この赤い色を今、世界中の人々が飾り付け、喜びとしているのです。

「見なさい、私たちはこの地に入って来ます。私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結び付けておきなさい。あなたの父、母、兄弟、そして、あなたの一族全員をあなたの家に集めておきなさい。」(ヨシュア2:18)

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2017年11月26日 (日)

神のメッセージを分かち合う

 今年は宗教改革500周年に合わせ、多くの本が出版されました。私も9月の大会メッセージの準備のため、何冊か本を買って読みました。するとある本に、このような内容の言葉がありました。「宗教改革の柱の一つは、『聖書のみ』という原則だった。それは、『聖書以外から神のことばを聴かない』という決断だと言える。聖書に記される神のことばは、説教を通してのみ人々に伝えられる。それ以外に『天の声』が聞こえることはない。」この考えは、私たちの教会の信仰と明らかに異なります。私たちペンテコステの教会は、昨日も今日もいつまでも変わらない神を信じています。神は昔と同じように、説教以外の様々な方法でも今なお私たちに語りかけて下さいます。夢や幻を通して。天使を通して。内なる声を通して。あるいは実際に耳に聞こえる声を通して・・・。説教者以外の思いがけない人を通し、預言的なことばを受け取ることもあります。そのような不思議なメッセージを私自身、何度も受け取って来ました。その全てが偽物だったとは、私は思いません。過去100年余り、世界中の多くのクリスチャンが同じような体験をしたと証言しているからです。 (そして聖書の基準に照らしても、そんな不思議なメッセージはないとする主張には、説得力がありません。)

 ジャック・ディアという牧師は、ある時、神の預言者と会う機会がありました。彼は当時、預言者はもういないと信じていました。自分は決して騙されないと固く決心して、その日を迎えました。出会った男性は身長180センチほどで、アスリートのような体格でした。エディー・バウアーのカタログから、そのまま出て来たような服装だったそうです。会った瞬間、その預言者はジャック牧師が毎朝、何を祈っているか言い当てました。神がその願いをかなえて下さる、とも言いました。次にその預言者は、ジャック牧師の父の話をしました。ジャックが12歳の時、自殺した父です。母は当時34歳。長男ジャックの下にさらに3人子供がいました。ジャックは長い間、その辛い記憶を心の奥深くに封じ込めていました。心の傷は癒されず、そこから苦々しさや怒りが生まれました。全てに疑い深くなっていました。その彼に、預言者は神のメッセージを伝えました。それは、父を失った傷が癒され、新たな父たちが与えられるという約束でした。その他のことについても、預言者は正確にジャック牧師を取り巻く状況を言い当てました。そして、それに関する神のことばを伝えました。この出会いによりジャック牧師は、預言者が今も存在することを確信しました。預言を通し、神は彼といつもともにおられ、彼を深く愛しておられることがよく分かったそうです。

 旧約聖書には、たくさんの預言者が登場します。アブラハムは75歳の頃、神のことばを語り始めました。彼と彼の子孫は神に祝福され、その祝福が全世界に及ぶと、アブラハムは語りました。モーセは80歳になってから、神のことばを語り始めました。イスラエルは神に選ばれ、全世界の祭司になると、彼は伝えました。祭司の国として守るべき律法も、モーセは人々に語りました。サムエルは、少年時代から神のことばを語り始めました。預言者としてその生涯を全うし、サウルやダビデをイスラエルの王に任命しました。エリヤは、偶像を拝むイスラエルの王に神のことばを伝えました。カルメル山で偽預言者たちと対決し、偶像の神々にはるかに勝る創造主の力を示しました。その他にも多くの預言者が現れ、聖書を通し、今なお私たちに神のことばを伝えています。

 イエス様は、旧約の数々の預言を成就しに来られました。聖霊とともに働かれ、史上最大の預言者として使命を全うされました。イエス様の働きは今、世界中の弟子たちが引き継いでいます。イエス・キリストを信じる人には、聖霊の助けが与えられます。神のメッセージを受け取り、周りの人に伝えることができます。聖霊なる神は、さまざまな方法で私たちに神のことばを伝えて下さいます。聖書や礼拝説教も、もちろん用いられます。しかし神は、私たちが思いもよらない意外な方法を用い、私たちに語られることもあるのです。

「愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。」(Ⅰコリント14:1)

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2017年11月12日 (日)

夢や幻を読み解く

 「イスラム国」は、ついにシリアとイラクで支配していた主要都市の全てを失ったそうです。世界各地で、今なおテロは続いています。しかし、中東での彼らの影響力はますます小さくなりつつあります。「イスラム国」は、3年前に「国家」樹立を宣言。全てのムスリムの国として、イスラム法を厳格に守る国づくりを唱えました。中央アジアから中東、北アフリカ、ヨーロッパの一部に及ぶ広大な地域を自分たちの領土だと主張しました。ところが彼らの行いは、余りにも残忍でした。多くのクリスチャンが虐待され、殺害されました。日本人も殺されました。ムスリムの住民たちも暴力で抑えつけられました。その結果、多くの人の心は彼らの「国」から離れました。イスラムの教えから離れる人も、急激に増えていると聞きます。「イスラム国」から逃れた多くの人が、イエス・キリストを信じているそうです。彼らは恐怖が支配する「イスラム国」から脱出し、愛と平安に満ちたキリストの御国に難民として受け入れられたのです。

 多くのムスリムは、夢や幻を見てイエス様を信じるそうです。夢は寝ている時、幻は起きている時に見るビジュアルなイメージです。オープン・ドアーズという宣教団体は、ある夫婦の証しをネットで伝えています。彼らはシリアでテント暮らしをしていましたが、レバノンに逃げて来ました。妻の母は3年前、外の空気を吸おうとテントから出ると、遠くから射殺されました。妻の兄弟も帰宅途中に殺害されました。彼ら夫婦は、辛い日々を送りました。しかしつい最近、暗やみに光が差し込みました。妻が、イエス様の夢を見たのです。白い衣を着たイエス様は、夢の中でこう言いました。「わたしはキリストだ。あなたには美しい娘が与えられる。」妊娠9か月だった彼女には翌月、美しい女の子が生まれました。同じ頃、夫もイエス様の夢を見ました。やはり白い衣で現れ、こう言いました。「私はあなたの救い主だ。私に従いなさい。」彼らは、イエス様に従う決心をしました。キリストにちなみ、娘の名はクリスティーナ(Christina)にしました。イスラムの信仰を捨てたため、殺される恐れがありました。そこで彼らはムスリム居住区を離れ、あちこちに住まいを移すようになりました。今後、どうなるか分かりません。でも夫は、こう言います。「最も大切なのは、イエス様を救い主と知ることです。イエス様は助けて下さいます。私たちとともにおられ、守って下さいます。神が、私たちの困難を解決して下さるのです。」

 旧約の時代にも、多くの人が夢を見ました。ベテルで野宿したヤコブも、その一人です。彼は不安でした。兄に殺されそうになり、家を出て遠い国に行く途中でした。その彼に対し、神は夢の中でこう約束されました。「どこへ行っても守られ、必ずこの地に帰ることができる。」夢を通し、彼は神の平安を受け取りました。ヨセフは、自分の将来を夢で見ました。人が見た夢の意味も解き明かしました。エジプト王にも夢のメッセージを伝えました。それがきっかけで、ヨセフがかつて見た夢は実現しました。ソロモン王は、夢の中で何がほしいか神に聞かれました。彼が知恵を求めると、神は喜ばれました。知恵はもちろん、富や名声も与えると神は約束して下さいました。預言者ダニエルは、バビロニア王が見た夢を言い当て、その意味を伝えました。その結果、彼はユダヤ人の国を滅ぼした王に神のメッセージを伝えました。その他の預言者たちもさまざまな幻を見て、人々にメッセージを伝えて来ました。

 キリストによる新しい契約の時代、現代の私たちにも夢や幻が与えられます。もちろん全ての夢や幻が、創造主のメッセージとは言えません。それがどこから来たのか、意味のある内容なのか、聖書と矛盾がないか、よく吟味する必要があります。大切なのは、神の創造性に心を開くことです。神が語る方法を選ばれます。私たちが考えもしない方法かもしれません。どんな方法で語られても神のメッセージを読み解き、適切に応答したいですね。創造主からメッセージが届いたら、「既読スルー」してはダメです。

「神は言われる。終わりの日に、わたしはすべての人にわたしの霊を注ぐ。あなたがたの息子や娘は預言し、青年は幻を見、老人は夢を見る。」(使徒2:17)

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