礼拝

2018年10月21日 (日)

子どものように神に近づく

 「チコちゃんに叱られる!」というTV番組が、人気だそうです。NHKのクイズバラエティ番組です。チコちゃんとは着ぐるみの女の子で、5歳という設定。好奇心旺盛で、何でも知っています。大人たちに素朴な疑問を投げかけます。例えば、こうです。「なぜヒトはパンツをはくのか。なぜ大人になると、1年があっという間に過ぎるのか。日本の中心はどこか。」答えられないと、チコちゃんの顔が真っ赤になり、巨大化します。そして、こう言って大人たちを叱ります。「ボーっと生きてんじゃねえよ!」この決めゼリフが人気なようで、多くの人がこの番組を見ています。5歳の女の子が叱るので、あまり嫌味を感じないそうです。でも私は、この番組を見る気がしません。クイズに答えられないだけで、小さな子から「ボーっと生きてんじゃねえよ」と言われたくないからです。(笑)何でも知っていて「上から目線」で話す子は、子供らしくないようにも思います。

 ツイッターでは数か月前、10歳の女の子が書いたメモが話題になったそうです。「全世界の子供が思っている大人への不満」というタイトルです。メモには、3つの不満が書いてありました。1つ目、「子供が水やお茶などをこぼすと、大人は子供をおこるクセに、大人がこぼすと、笑ってごまかし、だれにもおこられない。」2つ目、「子供がリビングなどで寝ていると、『ふとんで寝なさい!』と注意するクセに、大人もリビングなどで寝ている。」3つ目、「大人は子供に、『ゲームは1時間だけ!』とか言うクセに、大人は7時間ほどゲームをしている。」まとめ「大人は、人の事(子供の事)を言えない!」こういう視点は、私は好きです。小さい頃、同じように感じたからです。皆さんもそうかもしれません。これは子供らしい「下から目線」の観察結果で、知識があるないの話ではありません。子供を指導する大人は、子供の目線から自分を見ることも大切です。「ボーっと生きてんじゃ」いけません。(笑)

 聖書の中の子供は、大人に指導される立場です。モーセは、約束の地を目の前にしたユダヤ人たちに、こう語りました。「子供たちに、神のことばを教え込みなさい。家にいる時も外に出た時も、起きた時も寝る時も、子供たちに教えなさい。」大人はもちろん、子供たちのお手本になるべきです。でも時には、子供が大人のお手本になることもあります。ペリシテ軍と戦ったイスラエル兵士は、みな怖じ気づいていました。ゴリヤテという巨人が現れると、大人は誰も戦おうとしませんでした。お手本になったのは、兄たちに弁当を届けに来た羊飼いの少年ダビデです。彼は見事勝利を収め、信仰による戦いの模範を大人に示しました。新約聖書にも、小さなヒーローが登場します。その子も、弁当を持っていました。5つのパンと2匹の魚です。少年がその弁当を差し出すと、イエス様は5千人以上の大人に食事を振る舞われました。自分が持つわずかな物をささげた子は、神に大きく用いられました。その姿は、今も世界中の大人や子供のお手本になっています。

 イエス様は、小さい頃から聖霊の英才教育を受け、何でも知っていました。エルサレムの神殿に行くと、大人と神学論争できるほどでした。でも子供のうちは、両親の指導を受けました。「ボーっと生きてんじゃねえよ!」と、大人を叱らなかったはずです。大人になると、イエス様は子供たちの人気者でした。そばに寄って来る子供を歓迎されました。大人に対しては、「子供のようにわたしに近づきなさい」と言われました。イエス様は、誰が寄って来ても歓迎して下さいます。大人風に、近づき方のマナーを考える必要はありません。何も考えず、子供のように懐に飛び込めば良いのです。イエス様のそばにいれば、ボーっと生きることもなくなります。

「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。邪魔してはいけません。神の国はこのような者たちのものなのです。まことに、あなたがたに言います。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに入ることはできません。」(ルカ18:16-17)

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2018年10月14日 (日)

自らの生き方をチェックする

 昨日、札幌で開かれたある集まりに出席して来ました。私の出身高校で、長年バレーボール部を指導した顧問の先生を偲ぶ会です。その先生は、今年8月に亡くなりました。私は夏休みに帰省した時、友人と2人でご自宅を訪ね、奥様としばらくお話して来ました。その時、「舟の右側」という雑誌に最近掲載された、私の文章(証)もお渡ししました。その冒頭は、亡くなった先生の言葉から始まるのです。「東大を受けてみないか」という言葉です。それを書いた時、先生の最期が迫っていることを私は全く知りませんでした。40年前を振り返り、先生の言葉でいかに自分の進路が大きく変わったかと考えました。その言葉がなければ、私は医者を目指し、牧師にならなかったかもしれません。今の妻と出会わず、3人の子供や孫もこの世にいなかったかもしれません。先生の言葉は、私の人生に大きな影響をもたらしたのです。

 影響を受けたのは、私だけではありませんでした。昨日の「偲ぶ会」には、40代から60代の元バレー部員が50人近く集まりました。献花をし、奥様やその他の何人かが挨拶をしました。各年代の代表が、短く思い出を語るコーナーもありました。私も一言お話させていただきました。ビデオレターが上映され、お別れのメッセージをまとめた文集が奥様に手渡されました。私は、先生から学んだ3つの教訓について書きました。1つは、常にチャレンジャーであること。全く勝てない相手でも、全力を尽くしてチャレンジすれば、何か得るものがあります。2つ目は、チームプレイヤーであること。個人ではなくチームで力を合わせて、初めて敵に勝利することができます。3つ目は、互いにコーチであること。仲間同士で励まし、学び、教え合うことにより、互いに向上することができます。「偲ぶ会」では、他の人たちも先生から学んだことを語っていました。学んだ教訓は、それぞれがその後の人生を生きるための指針になったようです。その指針に照らし、自らの生き方をチェックすることができたのです。

 聖書のことばは、ある高校でバレーをした一部の人だけでなく、全ての人に与えられた人生の指針です。神が昔、誰かに語られたことばが、他の人の指針にもなっています。神はアダムに、こう命じられました。「地上で増え広がり、全ての生き物を管理しなさい。神の教えに従いなさい。そうでないと、あなたは死んでしまう。」アブラハムには、こう命じられました。「故郷を出て、わたしの示す地へ行きなさい。あなたを通して世界中の人々が祝福される。」モーセには、こう命じられました。「人々に、わたしの教えを伝えなさい。わたしを愛し、教えを守る人は祝福される。」罪を犯した人には、神はこう命じられました。「悔い改めなさい。わたしの方を向くなら、あなたの罪は赦される。あなたは、本来の姿に回復する。」これらのことばは、聖書時代の人だけでなく、今の私たちにとっても重要な人生の指針です。

 イエス様は、正しい生き方を見失った私たちに、人生の指針を与えに来られました。イエス・キリストを信じる人は、創造主なる神の教えに導かれ、生きることができます。心に聖霊が住まわれ、聖書にある神の教えを思い起こせます。神の教えは、全ての経験や教訓の土台になります。その基準に基づき、自分が学んだことが間違っていないか判断できます。人によって違う考え方に振り回されることもありません。例えばチャレンジャー、チームプレイヤー、互いのコーチという考え方も、神の教えに即していると判断できます。世界共通の基準を用い、私たちは自らの生き方をチェックできるのです。

「あなたがたは、自分自身に気をつけなさい。…」(ルカ17:3)

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2018年10月 7日 (日)

天の信頼を得る

 先日、ある牧師からサイン入りの著書を頂きました。「主の霊が私たちの上にある」というタイトルの本で、著者はレスリー・キーグルというスリランカ人牧師。私たちフォースクエア教団では、全世界的にその名が知られている方です。キーグル牧師は18歳の時、牧師になる決心をしました。フィリピンの聖書学校を卒業後、仏教国スリランカで伝道する予定でした。すると首都コロンボの大きな教会から、主任牧師にならないかと話がありました。新婚の妻と楽しく快適な生活をするチャンスでした。でもそれは、神の計画ではなかったのです。断食して祈り、導かれたのは、スラム地域での教会開拓でした。地球上で最も暗い場所の一つだそうです。

 しかし、そこから神の奇跡が始まりました。ある日、一人の男性と出会いました。耳が聴こえず、言葉も話せない人です。導きを感じ、その人のために祈りました。すると彼は生まれて初めて口をきき、母親と話し始めたのです。その人は、後に牧師になったそうです。その後も数々の奇跡が起こりました。聖書時代と同じ超自然的な伝道により、スラム地域に家の教会が拡がって行きました。迫害にも耐え、スリランカのフォースクエア教会は現在2,000近くに増えています。キーグル牧師は今、スリランカ以外にも世界各地のフォースクエア教会を訪れ、人々を励ます使徒的な役割を果たしています。

 私がキーグル牧師を初めて見たのは、日本フォースクエアの40周年大会だったかもしれません。1990年に千葉県で開催された大会で、私は受付やワーシップチームの奉仕をしました。集会中、キーグル牧師は、要約すると次のような預言のことばを語りました。「ここにいる人たちは今後、飲める水がなくなりそうになる。でも、ある人たちが水のある場所を発見し、他の人々にその恵みを分かち合う。」私はその時、預言を初めて聞いたので、深く印象に残りました。

 スリランカの教会では、礼拝賛美中に人から悪霊が出て行くという話も耳にしました。キーグル牧師は物静かで、謙遜な方です。超自然的で力強い働きの秘訣がどこにあるのか、私はずっと関心を持っていました。今回頂いた本に、その秘訣がいくつか書かれていたように思います。祈りを通して、神に近づくこと。必要を満たす神を信頼し、導きに忠実に従うこと。そして、そのように生きる人として、神から信頼されることです。その信頼の度合いに応じ、神は私たちに大切な働きを委ねられるようです。

 信仰の父アブラハムは、神の信頼を得ていました。偶像の神々を拝む国に生まれ育ったのに、彼は創造主の声を聞き分けました。導きに従い、約束の地を目指しました。失敗もしましたが、肝心な時には神に祈り、みもとに近づきました。神はアブラハムを信頼し、2千年後に生まれる子孫の秘密を打ち明けて下さいました。モーセも、神に信頼されていました。彼は逃亡中の殺人犯でしたが、ある時、天の声を聞きました。導きに従い、ユダヤ人をエジプトから解放しました。いつも神と対話をし、その顔は神の栄光で光り輝いていました。神はモーセを信頼し、十戒を始めとする重要な教えをたくさん語って下さいました。イスラエル王となったダビデも、神から信頼されていました。数々の試練をくぐり抜け、祈りを通して神に近づきました。神の導きに従い、王になる時を待ち続けました。神はダビデを信頼し、彼の子孫が永遠の国の王となる秘密を告げて下さいました。

 イエス様はアブラハムの子孫、ダビデの子孫としてこの世に来られました。モーセのような預言者として、地上での働きを忠実に果たされました。イエス・キリストを信じる人は、天の信頼を得る生き方ができます。神に祈り、近づくことができます。導きに従い、必要を満たす神を信頼することができます。神との関係が深まれば深まるほど、神は私たちを信頼し、さらに秘密を打ち明けて下さいます。神が計画されている大切な働きを、私たちに委ねて下さるのです。

「ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなければ、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょうか。また、他人のものに忠実でなければ、だれがあなたがたに、あなたがた自身のものを持たせるでしょうか。」(ルカ16:11-12)

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2018年9月30日 (日)

神と一緒に喜び祝う

 先週、私は末娘夫婦の結婚披露宴に出席しました。結婚式は今年2月に私たちの教会で行われましたが、披露宴会場は池袋のレストランでした。テーブル10卓に、食器や花が美しく飾り付けられていました。時間が来ると、新郎はシルバーのタキシード、新婦は純白のウェディングドレスで入場。乾杯の後、洋風のコース料理が振る舞われました。新郎新婦が参加したサックス四重奏の演奏もありました。お決まりのケーキカットや両親へのプレゼントもありました。集まったのは新郎新婦の親族、友人、職場や吹奏楽団の人たちなど、80名ほど。出席した皆さんに、二人の結婚を喜びお祝いしていただきました。お祈りいただいた方々にも感謝します。

 日本では、遠い昔から結婚披露宴が開かれていたそうです。平安の貴族の時代は、男性が女性の家に3日通うと、結婚が決まったとのこと。女性の親は、婿になる男性を親族に披露する宴会を開きました。武士の時代が始まると、逆に女性が男性の家に入るという考え方が強くなりました。結婚は、家と家との結び付きと考えられました。婿の家が両家の親族を招き、結婚披露宴を行いました。お見合いや婚約、披露宴の儀式などに、細かいルールができました。戦後は、新しくできた憲法に基づき、結婚の考え方が変わりました。結婚は家と家ではなく、個人と個人の結び付きになったのです。結婚式や披露宴の会場も、家よりホテルやウェディングチャペル、レストラン等が多くなりました。

 結婚式自体の形も変わりました。ある調査によると、1960年代の日本の結婚式は84.4%が神前式、つまり神社で行われたそうです。その頃、キリスト教式の結婚式は2.2%。ところがその後、キリスト教式が大躍進します。1970年代には6.8%。1980年代は14.5%。1990年代は38.3%。2000年代には、なんとキリスト教式が64.2%になりました。最近は減少傾向のようですが、それでもキリスト教式結婚式は55%を占めています。クリスチャンが1%以下の国で、結婚式だけはキリスト教式で喜びをお祝いする人が過半数です。ちょっと不思議な感じがしますね。

 聖書の教える結婚は、家と家の結び付きではありません。一人の男性と一人の女性が、神の前で結ぶ契約です。全てを造られた神は、私たち一人ひとりに命を与えて下さいました。私たちがこの世に誕生するずっと前から、一人ひとりを豊かに祝福する計画が立てられています。神は人に出会いを与え、結婚へと導いて下さいます。ご計画に従い、新しい命も授けて下さいます。結婚した2人が、神の教えに基づいて家庭を築いて行く時、神はその家庭を喜び、お祝いして下さいます。祝福で満たして下さいます。神の家族に属する他の人たちもその祝福を見て喜び、一緒にお祝いすることができます。

 神の国は、結婚式や結婚披露宴に例えられます。定められた時刻ぴったりに、結婚式と披露宴が始まります。地上のどんな会場よりも、はるかに美しく飾り付けられています。世界中から、数えきれないほどの人が集まっています。新郎はイエス・キリスト。新婦は教会、つまり新郎にプロポーズされ、呼び出された人たちです。新婦は、純白のウェディングドレスを着ています。新郎が十字架を背負い、命懸けで真っ白にきよめてくれたドレスです。披露宴では、この世にないような絶品料理を堪能できます。天使たちは、天上の麗しい音楽を奏でてくれます。全ての人が、キリストからプロポーズされています。神の国の結婚式と披露宴に招待されています。ただ、定められた期限内に承諾の返事をしなければ、結婚式会場に入れません。プロポーズに応じる人は誰でも、神と暮らす永遠の祝福をともに喜び、お祝いすることができます。

 イエス様は、放蕩息子の帰宅を喜び祝う父の例え話をされました。でも私たちが実際に参加する祝宴は、たった一人の家出息子の帰還祝賀会にはるかに勝る、全世界的規模の盛大なパーテイーとなるのです!

「…子よ、おまえはいつも私と一緒にいる。私のものは全部おまえのものだ。だが、おまえの弟は死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのは当然ではないか。」(ルカ15:31-32)

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2018年9月23日 (日)

弟子としてキリストの栄光を伝える

 先日、「泣き虫しょったんの奇跡」という映画が公開されました。将棋棋士・瀬川晶司さんの半生を描いた映画です。瀬川さんは1970年、横浜生まれ。小学5年の時、クラスの友達と初めて将棋を指し、将棋にハマりました。中学3年になると全国大会で優勝し、プロ棋士を目指します。プロになるには、いくつか条件があります。第一に、プロ棋士の先輩に弟子入りすること。第二に、「奨励会」という養成機関の入試に合格すること。第三に、奨励会員同士の対局で勝利を重ね、26歳までに4段になること。奨励会への入会はたいへん難しく、瀬川さんの頃は合格率20%の狭き門だったそうです。入会しても実際にプロになるのは、さらにその20%です。瀬川さんは21歳で3段になりましたが、26歳までに4段まで届きませんでした。人生に絶望し、自殺も考えたそうです。でも思いとどまり、アルバイトをしつつ大学に通いました。卒業後は就職し、システムエンジニアになりました。アマチュアとして将棋を再開し、大会にも出るようになりました。すると大活躍し、プロ相手にも勝利を重ねました。そして特別に編入試験のチャンスが与えられ、とうとうプロになれたのです。35歳の時です。自殺しなくて良かったですね。

 中学生の時、瀬川さんが弟子入りした師匠は、安恵照剛さんというプロ棋士です。安恵さんは、3段に昇段してから4段になるまで8年半かかったそうです。プロになれたのは、30歳の時。当時の年齢制限は26歳ではなく、31歳でした。安恵さんも、たいへん苦労してプロになったようです。35歳のサラリーマンだった瀬川さんは、プロになる時、再び安恵さんに弟子入りしました。長い苦しみの末にプロになった師匠と弟子の組み合わせです。将棋の世界では、師匠は弟子の後見人的な役割を果たすようです。師匠の推薦により、弟子はプロ棋士の世界に仲間入りします。瀬川さんがプロになれたのは、師匠の安恵さんにとっても、たいへん喜ばしいことだったのではないかと想像します。瀬川さんの感動的な半生が映画化され、安恵さんも株が一段と上がったかもしれません。

 旧約の時代にも、師弟関係がありました。イサクにとり、父アブラハムは師匠でした。アブラハムは、神の語りかけをよく聴きました。神の導きに従う忠実さと勇気を持っていました。神の約束を信じる信仰もありました。イサクは父の生き方から学び、その教えを家族に伝えました。ヨシュアは荒野の40年間、モーセから指導者のあるべき姿を学びました。モーセは、神と親しく話をしました。神のみことばを受け取り、人々に正しく教えました。恐るべき奇跡を行い、神の偉大さを人々に伝えました。そしてモーセは決して威張らず、謙遜であり続けました。モーセの弟子として、ヨシュアも素晴らしい指導者となりました。預言者エリシャは、師匠のエリヤから預言者としての生き方を学びました。エリヤは神の導きに従い、何でもしました。朝夕に飛んでくるカラスや、自殺寸前の貧しいやもめに食べさせてもらいました。みことばを大胆に語り、国中から偽預言者を除きました。国王夫妻を敵に回し、指名手配にもなりました。弟子のエリシャは、師匠エリヤの力強い働きを引き継いだのです。

 イエス様も弟子をとり、熱心に指導されました。3年半彼らと一緒に暮らし、深い愛を表わされました。社会的な弱者に対し、特に大きな憐れみを示されました。聖霊の力により、驚くべき奇跡を行われました。迫害を恐れず、みことばを力強く語られました。そして全ての人の身代わりになり、十字架で命を捨てられました。イエス・キリストの弟子には、偉大なお手本が与えられています。聖霊の助けにより、そのお手本にならうことができます。私たちの生き方を通し、師であるキリストの栄光を全世界に伝えることができるのです。

「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしの弟子になることはできません。」(ルカ14:27)

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2018年9月16日 (日)

狭き門を通り抜ける

 先日、「舟の右側」という雑誌から原稿依頼がありました。「心の深みに届いたことば」というコーナーに掲載される文章です。何を書くべきか祈った末、大学4年の時に神に語られた経験を書くことにしました。将来に絶望していた私が、突然、神の語りかけを感じた瞬間の証しです。その時の私は、「もう何もできない」と超ネガティブになっていました。でも神は、「何かできるはずだ」と私を励まして下さったのです。(大坂なおみ選手のイケメンコーチのようです!)その内なる声は、私に大きな転機を与えてくれました。原稿を書いているうち、あることにふと気付きました。迷子のようだった私の大学生活は、その時のためだったということです。私は長い間、東大の4年間は何だったのかと考えて来ました。そこで勉強したことは、牧師の働きに直接関係なかったからです。努力とお金が無駄だったようにも思いました。でも40年近く経った今、もう一度その頃を振り返ると、新たな発見がありました。神は、私に語りかける時と場所を用意しておられたのです。神の国に至る「狭き門」は、人により見つけ方が全く違います。私の場合は、東大の「狭き門」が、神の国への入り口につながっていたようです。

 大学卒業後、私は松下政経塾に入りました。政治家や経営者を育てる研修施設です。私は、なぜか神がそこに私を導かれているように感じました。今は知りませんが、当時は倍率20倍ほどの「狭き門」でした。政経塾にいた時、私は洗礼を受け、クリスチャンになりました。牧師になる決心もしました。日本を良くするには、まことの神の国の教えが不可欠だと確信したのです。ただ政経塾の数年間は何のためだったか、私にはよく分かりませんでした。そこでの経験が、牧師の働きに役立ったように思えなかったのです。与えられた多くのものが、ほぼ無駄になったように感じました。しかし先日書いた原稿により、政経塾の年月を振り返ることもできました。神はその年月を用い、洗礼を受け、牧師になる決心へと私を導かれたのです。神の国の働きは、牧師以外にもたくさんあります。神が、一人ひとりに最もふさわしい働きを用意しておられます。私の場合は、政経塾の「狭き門」を通し、私のために用意された神の国の働きに導いていただいたようです。

 聖書の時代、町には門がありました。一つ一つの町は、独立した小さな国のようでした。全体が城壁でおおわれた砦、要塞のようでもありました。城壁は、外から来る敵を防ぎました。町の中を平和に保つためです。エルサレムの平和を守るため、ネヘミヤは壊れた城壁を急いで再建させました。人々が町に出入りするためには、門(城門)がありました。門は、敵の攻撃に耐えられるよう、頑丈に作られました。出入りする人を見張る門番も置かれました。今風に言えば、出入国の管理をする役人か警官のようです。怪しい人がいないか、しっかり見張る人たちです。先月、私は1か月で5つの空港に行きました。羽田、成田、関空、新千歳、函館です。台風や地震の前です。誰か偉い人が来たのか、成田は他の空港より、かなりたくさん警官がいるように感じました。私は人を迎えに行っただけでしたが、警官から怪しい人に見られているような気持ちになりました。空港は、「玄関口」と呼ばれる門の一つです。他の門と同じく、人の出入りをチェックする重要な役割を担っています。「狭き門」とは、厳しいチェックが行われる出入国審査ゲートのような場所だと言えます。

 イエス様は、「わたしは門です」と言われました。「だれでも、わたしを通って入るなら救われます」とも宣言されました。イエス・キリストを信じる人は、滅びゆく世界から救われます。永遠の平和の町、天のエルサレムに入れます。その町に入る唯一の門は、イエス様です。どんな知識も能力も小細工も、その「狭き門」の通過に役立ちません。出入りが許される唯一の条件は、イエスを救い主と信じる信仰なのです。

「狭い門から入るように努めなさい。あなたがたに言いますが、多くの人が、入ろうとしても入れなくなるからです。」(ルカ13:24)

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2018年9月 9日 (日)

天国人として人生をやり直す

 NHKの朝ドラ「半分、青い。」は、終了まで3週間になりました。視聴率が高いようです。ヒロインの楡野鈴愛は1971年、岐阜県生まれという設定。18歳の女優・永野芽郁さんが、みごとに演じています。鈴愛の人生は、困難の連続です。「…小学生の頃、病気で左耳が聴こえなくなる。漫画家を目指し上京するが、途中で挫折。好きだった幼馴染みの男性も、別な人と結婚。鈴愛は100円ショップで出会った人と結婚し、子供もできるが、いきなり離婚される。地元に帰ってお店を始めるが、別な人にお店を譲らなければならなくなる。再び上京し、会社勤めを始めるが、会社は倒産。自分でビジネスを始めるが、なかなか上手くいかない。…」そんなに困難続きだと、心が滅入ってしまいそうです。でも鈴愛は、へこたれません。何度も人生をリセットし、やり直そうとします。そのバイタリティー溢れる姿を見ると、私も励まされる思いがします。

 脚本は、岐阜県出身の北川悦吏子さん。子どもの頃から腎臓が悪く、16歳の時、子供は産めないと医師から宣告されたそうです。ところが結婚後に妊娠し、女の子を出産。すると今度は、大腸の病に倒れました。10万人に1人の難病。10年以上闘病生活をし、大腸を全て取り除く手術をしました。ところがその後、突然、左耳が聴こえなくなりました。「どうして私ばかりこんな目にあうんだろう」と思ったそうです。その時、北川さんは、以前に自分が書いたセリフを思い出しました。「オレンジデイズ」という、テレビドラマのセリフです。耳が聴こえないヒロインが、自分の境遇を嘆き、「どうして私ばっかり…」と言います。それを聞いたボーイフレンドは、こう言いました。「一生、そうやって、なんで私ばっかりって言いながら生きていくのかい?」北川悦吏子さんは、そのセリフを思い出して励まされたそうです。数々の困難を乗り越え、北川さんは脚本を書き続けています。困難に負けず、人生をリセットする朝ドラのヒロインには、北川さん自身の姿が映し出されているのかもしれません。

 人生をリセットし、やり直す人は、聖書に何人も出て来ます。ベツレヘムに住むナオミという女性も、その一人でした。彼女は、夫と息子2人の4人で幸せに暮らしていました。ある時ひどい飢饉が起き、イスラエルの国に食料がなくなりました。ナオミたちは、生活に困りました。隣のモアブという国には食料があると聞き、引っ越して人生をやり直そうとしました。でもモアブには、別の試練が待ち構えていました。ナオミの夫エリメレクが、亡くなったのです。息子たちもモアブの女性と結婚後、相次いで亡くなりました。ナオミは、「どうして私ばっかり…」と思ったかもしれません。彼女は一人でベツレヘムに帰り、人生をやり直そうとします。嫁の一人・ルツは、一緒について来てくれました。やもめ2人の極貧生活の始まりです。ナオミは、やり直しの人生に希望を失いそうでした。でも神は、ルツに再婚相手を用意し、ナオミは孫を抱く幸せを手にしました。オベデという名の男の子です。オベデは後に、ダビデの祖父になります。神は、やり直す人を憐れまれるお方です。人生をやり直したナオミを、イスラエル国王の「ひいひいおばあちゃん」にして下さったのです。

 イエス様は、オベデやダビデの子孫としてこの世に来られました。やり直しの人生を祝福するためです。イエス・キリストを信じる人は、誰でも、いつでもやり直すことができます。それまでの人生をリセットし、「天国人」として新しい人生を歩むことができます。朝ドラのヒロインのように、他の人を励ますようにもなれるのです。

「むしろ、あなたがたは御国を求めなさい。そうすれば、これらのものはそれに加えて与えられます。小さな群れよ、恐れることはありません。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国を与えてくださるのです。」(ルカ12:31-32)

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2018年9月 2日 (日)

神の国のオーラを放つ

 縄文時代がブームだそうです。上野の国立博物館の「縄文」展には、多くの人が訪れたようです。7月初めから開催され、今日が最終日でした。縄文とは、今から1万3千年前頃から1万年も続いた長い時代の呼び名です。その時代、人々は竪穴式住居に住み、狩猟採集を中心とした生活をしました。縄目の文様がついた土器がその頃作られたので、縄文時代と呼ばれます。日本の小学校で習いますね。「縄文にハマる人々」というドキュメンタリー映画も、7月から公開されています。なぜ縄文にハマるのでしょう? 現代社会が失った神秘的な何かを、人々は求めているのかもしれません。土偶が好きな人もいて、女性は「土偶女子」と呼ばれます。土偶とは、土の人形です。何のために作られたのか、はっきり分かりません。神の像として拝んだのか、お守りだったのか、あるいは子供のおもちゃだったのか・・・。さまざまな説があるようです。ある土偶女子は、上野に来た土偶を見て、こう言いました。「オーラがすごかったー!」土偶にもオーラがあるのでしょうか?

 「オーラ」とは、ギリシア語やラテン語でそよ風を意味するそうです。ギリシア神話では、女神の一人の名前です。この言葉に、スピリチュアルな意味を持たせる人たちもいます。何かから出ている霊的エネルギーというような意味です。ただ普通、日本語で「オーラがある」と言うと、そこまで深い意味はなさそうです。「人目を引く存在感や独特の雰囲気を持っている」という意味です。たいていは、人間のことです。(欅坂46も最近、「ハッピーオーラ」という新曲を出したとか・・・。)土偶の場合は、それを見た人が存在感や独特の雰囲気を感じたという意味なのでしょう。オーラのある人には、次のような特徴があると言う人たちもいます。「顔に艶があり、自信を持っている。明るく、感情表現が豊か。ゆっくり、はっきり、大きな声で話す。一生懸命で集中力がある。威張らず、他人への配慮がある。ユーモアのセンスがある。」(・・・本当かな? 笑)逆に次のような場合は、オーラがなくなると言う人もいます。「自慢話をする。悪口、愚痴、不満を語る。過去にこだわる。マイナス思考を持つ。知ったかぶりをする。」こうしたことはオーラと関係なく、私たちも避けたいですね。

 旧約の時代、オーラ、存在感のある人が何人も登場しました。モーセはシナイ山に登り、神と一対一で話をしました。神の教え、十戒を受け取るためです。山の上で40日間、モーセは栄光に輝く神とともにいました。十戒の石板を手に山を下りた時、彼の顔は神の光で輝いていました。他の人たちが、近づくのを怖がるほどでした。40年後、ヨシュアはイスラエルの民を率い、ヨルダン川を渡りました。モーセの時は紅海の水が2つに分かれましたが、ヨシュアの時はヨルダン川の水が分かれました。人々は、モーセと同じようにヨシュアにもオーラがあると感じたようです。ダビデは、30歳でイスラエルの王になりました。少年時代、彼はペリシテの巨人ゴリヤテに勝利しました。その後の戦いも、常に勝ち続けました。サウル王に命を狙われても、最後まで生き延びました。イスラエルの人々は、王にふさわしいオーラをダビデに感じたようです。サウル王とその子たちの死後、人々はダビデのところに来て、王になって下さいとお願いしたのです。

 イエス様は、暗闇の支配する世界に光を輝かせに来られました。神の国の光り輝くオーラを放ちに来られたのです。イエス・キリストを信じる人は、イエス様と同じオーラを放つことができます。聖霊のそよ風により、私たちは光り輝く姿に変えられて行きます。神の国のオーラを放ち、私たちを取り巻く暗闇に神秘の光を照らすためです。土偶に負けてはいられません(笑)。

「ですから、自分のうちの光が闇にならないように気をつけなさい。もし、あなたの全身が明るくて何の暗い部分もないなら、明かりがその輝きであなたを照らすときのように、全身が光に満ちたものとなります。」(ルカ11:35-36)

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2018年8月19日 (日)

神の国の人材を祈り求める

 東京オリンピック・パラリンピック開催まで、あと2年弱になりました。大会組織委員会は先日、大会ボランティア募集の呼びかけを開始しました。ホームページに、「ボランティアは、TOKYO 2020を動かす力だ」と書いてあります。来月から、8万人のボランティア募集を始めるそうです。応募資格は2020年4月に18歳以上で、日本国籍か在留資格のある人。活動内容は、競技の手伝い、案内、運転、通訳、ヘルスケア、メディアの手伝い等です。12月までに登録し、来年7月頃までオリエンテーションがあります。来年10月頃からは研修が始まり、大会直前まで続くそうです。2年間の「ボランティアジャーニー」を一緒に経験し、「ワンチーム」になって、気持ちを高めるそうです。大会ボランティアの他、都市ボランティアも集めるとのこと。競技施設のある東京や埼玉などで、道案内や地元PR、環境美化活動等をする人たちです。都市ボランティアの募集は3万人なので、両方合わせると11万人になります。ボランティア集めも大変ですね。

 危機感を抱いている人もいるようです。サービス業、小売業、飲食店などの「おもてなし産業」の人々。今でも人手不足に悩んでいます。オリンピック・パラリンピックで観光客が押し寄せたら、猫の手も借りたくなります。ボランティアに11万人も取られたら、パートやアルバイトに来る人はいないのではないかと、心配しているそうです。東京ディズニーリゾートでさえ、猫の手がいるという話もあります。(猫のキャラクターはいるようですが 笑)人手がなくて、お店を閉めるケースも増えているようです。皆さんご存知の通り、日本全国で15歳から64歳までの働く世代の人口が減って来ています。そのため最近は、年を取っても働く人が増えています。外国人が働くお店も増加しています。スーパーに行くと、無人のセルフレジがあちこちにあります。2020年に向け、人手不足対策がますます進みそうですね。

 神の国も、人材を募集しています。神は昔から、働き手を集めて来られました。大洪水が起きる前、神はノアに声を掛けられました。箱舟作りのボランティア募集です。呼びかけに応じたのは、ノアの家族だけでした。バベルから世界中に人類が散らされた後、神はアブラハムに声を掛けられました。約束の地ツアーの参加者募集です。アブラハムとロトの家族が、その呼びかけに応じました。ユダヤ人がエジプトでパワハラ、いじめに苦しんでいた時、神はモーセを通し、別のツアー参加者を募りました。神と契約を結び、特別な国づくりをするツアーです。ツアーに参加したユダヤ人は、約束の地に彼らの国をつくりました。でも残念ながら、後に彼らは契約を守らず、国は滅んだのです。神は多くの預言者を遣わし、神との契約に立ち返る人の募集を続けられました。新しい契約の下、新しい国づくりを始めるとも神は予告されました。

 イエス様は、新たな人材を募集しに来られました。神の国の王イエス様と、新たな国づくりの契約を結ぶ人々です。12人の弟子がエルサレムに送られ、ペンテコステの日に新たな人材募集が始まりました。その日、3,000人の人が募集に応じました。その後、さらに5,000人の人が神の国の人材に加わりました。エルサレムを後にした弟子たちは、ユダヤ、サマリヤの各地で人材募集を続けました。ユダヤ人以外の人々も、新たな人材となりました。神の国の人材募集は、それからずっと世界中で続けられています。今や全世界の3分の1の人が、神の国の人材バンクに登録しています。日本では、いまだに1%弱です。でも神は、日本での人材募集を中止しておられません。1%に満たないクリスチャンを用い、募集を続けておられるのです。スポーツの祭典以上に、神の国に多くの人材が押し寄せるよう、祈り求めて行きましょう。

「そして彼らに言われた。『収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、ご自分の収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。』」(ルカ10:2)

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2018年8月12日 (日)

神の国の救命士になる

 今年は、異常な暑さで熱中症になる人が大幅に増えています。私も一度か二度、あやしい日がありました。皆さんは大丈夫でしょうか? 7月に熱中症になり、救急車で運ばれた人は、全国で52,819人とのこと。過去最多です。8月1日から5日までの5日間で、さらに1万人余りの人が運ばれました。医師が最初に診断した時点ですでに亡くなっていた人は、7月だけで124人だそうです。ネットでは、名古屋市消防局の公式ツイッターも話題になりました。こういう書き込みです。「出動が連続し消防署に戻れない時は、救急車でコンビニ等に立ち寄り飲料水等を購入する場合があります。その際も出動態勢は維持していますので、ご理解をお願いします。」救急隊員も熱中症で倒れたら大ごとですね。私たちも救急車のお世話にならないよう、気を付けたいと思います。

 実は私の家族は、一番下の子以外、みな救急車で運ばれたことがあります。熱中症ではありません。私は交通事故です。所沢駅前で原付バイクに乗り、タクシーとぶつかりました。大きなケガではなかったですが、タクシー運転手が救急車を呼びました。私は公衆電話から、妻にこう電話しました。「これから救急車で病院に運ばれるんだけど、来れる?」妻は真っ青な顔をして、救急車と同じくらい早く現場に走って来ました。動揺していた妻も、一緒に病院まで運ばれました。新婚3週間でした。翌年、一番上の娘が函館で生まれました。生まれた途端、救急車で運ばれました。小さかったので、産婦人科の医院から未熟児病棟のある総合病院に送られたのです。二番目の男の子は、小学生の頃、救急車に乗りました。北海道・七飯町の公園で友達と遊んでいたら、ブランコが頭に当たり、血が止まらなくなったのです。友達が近くの家に駆け込み、救急車を呼んでくれました。そういうわけで、救急車には家族ぐるみでお世話になっています。お騒がせ家族です(苦笑)。日本の救急車には、26年前から救急救命士が乗っているそうです。病院に運ばれる人の命を救うため、救急処置を行う人です。私の家族は、それ程重症ではありませんでしたが、重症の人は救急車の中で救命士の助けを受けるはずです。

 世界中の全ての人は、死に至る重い病気にかかっています。罪という名の病気です。残念ながら多くの人は、自分の病気に全く気が付いていません。自分は健康で、何の治療も必要ないと思い込んでいます。熱中症に気が付かない人のようです。私たちの体は、天から注がれる水を必要としています。聖霊の水です。罪という病気があると、この天の水を体が受け付けせん。しばらくの間は、地上で生きています。天から水が注がれなくても、何の問題もないと思っています。でもそのまま何もしなければ、水分不足で死んでしまいます。不幸なことに多くの人は、この死をごく普通の出来事だと考えています。天の水により不治の病が癒され、永遠のいのちが与えられることを知らないか、または信じないのです。

 イエス様は、私たちに天のいのちの水を与えに来られました。イエス・キリストを信じる人には、聖霊の水が注がれます。死に至る病が癒され、永遠のいのちを受け取ることができます。イエス様は、不治の病を癒す史上最強のスーパードクター、「神ドクター」です。このドクターは今、神の国の救命士をあらゆる場所に遣わされています。天の救急車を派遣し、天の水が必要な人を助けられています。「神ドクター」は、新たな救命士の募集もされています。天からいのちの水を受け取る人は、誰でもこの働きに加わることができるのです。

「イエスは皆に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを救うのです。』」(ルカ9:23-24)

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