イベント

2010年6月 4日 (金)

ジャック・ヘイフォード博士、いよいよ来日!

私たちの教団60周年記念大会も、いよいよ来週に迫りました。

どなたでも、どうぞお越しください。

http://www.japan4sq.org/JFGC_60th_flyer.html

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2008年9月17日 (水)

バーベキュー

月曜の昼食は、教会でバーベキューでした。いつも年に1、2回、礼拝後にバーベキューを食べていたのですが、今年はスケジュールが立て込み、9月の予定表にも入っていませんでした。すると月初のミーティングで「今年はやらないのか」という声が上がり、急遽、15日の祝日に予定が入ったのです。

七飯の教会のバーベキュー・グリルは、ハンドメイドで巨大です。教会員の人が、ドラム缶を二つに切って作ってくれました。それに備長炭を入れ、金網と鉄板で半分ずつ上を覆います。教会堂前に置かれた二つのグリルから煙が立ち上る様子は、まるで聖所の前に置かれた全焼のいけにえをささげる祭壇のようです(笑)。

今回の「いけにえ」には、子羊(ラム)はありませんでした(残念! 笑)。材料は市販の味付け牛肉、醤油とみりんに漬けたイカ、ソーセージ、そして野菜はキャベツ、玉ねぎ、カボチャ、ジャガイモ、ナス、シイタケ、ピーマンなど。デザートにはナシ、黒糖と干しぶどうのケーキ、そしてカシス・シャーベットもつきました!

妻と私は土日に出張していたため、今回はほとんどの準備を教会の人たちがしてくれました。後片付けは少しお手伝いしましたが、ひたすら食べる係に専念(笑)。長女も京都に帰る前に参加でき、長男と次女もわざわざ部活を早退して教会でのランチを楽しみました。

さわやかな秋晴れの下、久しぶりにのんびりとリラックスした昼食のひとときを味わうことができ、感謝します。

「(創造)主よ。私は手を洗ってきよくし、あなたの祭壇の回りを歩きましょう。感謝の声を聞こえさせ、あなたの奇しいみわざを余すことなく、語り告げましょう。」(詩篇26:6-7、新改訳第3版)

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2008年8月 6日 (水)

ミニ・キャンプ

今週日曜日は、夕方から小中学生向けの夏休みスペシャルイベントがありました。ゲームと食事、キャンプファイヤーと花火、そして会堂でのお泊りというミニ・キャンプです。今回は、小中学生合わせて10人ほどの参加がありました。

土曜日から断続的に激しい雨が続き、週末に予定されていた函館の港まつりのパレードも二日連続で延期になったと聞きました。月曜朝までたっぷりと降り続く予報です。教会のキャンプファイヤーと花火も、できるかどうかビミョーでしたが、参加者の一人である長男は、たとえ雨の中一人でもやりたいと言い張りました(笑)。長男と次女にとっては、七飯最後のサマーイベントだったのです。

夕食後、7時少し前から薪を組み始めました。まだ雨が降っており、ビニールシートでおおいながらの作業です。準備完了後、会堂の中で「きみは愛されるため生まれた」を歌い、聖書のショートメッセージがあり、さらにゲームと続きます。8時近くになると、雨音がしなくなってきたので、外に出てみました。なんと雨はやんでいました。

急いでキャンプファイヤーに点火し、みんなで「キャンプだホイ」を歌い踊りました。そして、グループごとに出し物をし、花火をし、その後、マシュマロを火にあぶって食べました。スタッフの一人が、「天気が味方してくれた」と言ったので、私はすぐ言い換えました。「いや、神様が味方してくれたんです。」どしゃぶりの雨が上がったのは、まさに神の奇蹟のようでした。

このミニ・キャンプ(お泊り会)が始まったのは、長男が小学校1年生の時です。その年、ある人が結婚するため、弘前から七飯に移ってきました。その人は、教会学校(日曜学校)を何年も教えてきた、子どもミニストリーのスペシャリストでした。私たちは、神様がその人を七飯に遣わして下さったことを感謝しました。たった一人で子どもたちに聖書を教えてきた妻に、強力な助っ人が与えられたのです。

それから9年間、手を変え品を変え、教会学校と子ども向けのスペシャル・イベントを続けてきました。数多くの子どもたち、時には高校生や旅行中の大学生も飛び入りで参加し、また大阪から講師を呼んだり、アメリカからチームを招いて手伝ってもらったこともあります。神様が、私たちに素晴らしい体験を与えて下さいました。

数字の「9」には、終わりという意味があるそうです。今年のミニ・キャンプは9回目でしたが、妻と私、そしてうちの子どもたちにとっては、ちょうど七飯における「宿営」の終わりを象徴していたのでしょうか。キャンプファイヤーの火が消え、雲が晴れて星空が見えた時、神様は私たちに旅立ちを命じられていたのかもしれません。

この9年間、神様が「七飯キャンプ」を祝福して下さったことを感謝します。

「彼らは(創造)主の命令によって宿営し、主の命令によって旅立った。」(民数記9:23、新改訳第3版)

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2008年3月25日 (火)

イースター

イースターの礼拝では、会衆賛美とメッセージ(説教)の間に、特別賛美が2曲ありました。妻のピアノ伴奏に合わせ、一曲目は長女のフルート演奏、二曲目は長女と次女によるハンドベル演奏です。短い練習期間ながら、息の合った心温まるひと時となりました。

礼拝後は、愛餐会です。教会の皆さんが、それぞれ腕によりをかけて、自慢のパーティー料理を持ち寄りました。出されたものすべてが素晴らしいご馳走だったのですが、私の独断と偏見で評価すると、今回の目玉は鮭の押し寿司とゴーヤーチャンプル、そしてデザートバイキングのような豊富なスィーツメニューだったでしょうか。その他の料理も甲乙つけがたく、デザート以外ほとんど全種類の味見をした私は、最後にいただこうと思っていたぜんざいが食べられないほど、お腹一杯になりました。(笑)

食事の後、子どもたちを中心に、エッグハントをしました。色画用紙を切り抜いたタマゴを会堂のあちこちに隠し、いくつ見つけられるかを競うのです。たくさん見つけた人や特別なタマゴを発見した人におやつの賞品があり、また参加者全員に参加賞がありました。この他、この日教会に来たすべての人に、きれいに色づけされたイースターエッグのおみやげがありました。

片付けを含め、全部終わったのが、1時半過ぎだったでしょうか。実は2時から長男の属する吹奏楽部のスプリング・コンサートがあったので、その後、急いで近くのホールに駆けつけました。長男は第一部でユーフォニアムのソロを吹き、第二部は1、2年生による合奏、第三部は引退した3年生の一部が加わって、フィナーレを飾りました。こちらも何とか無事に終わり、私たちも聴きに行くことができて良かったです。

イースターは、「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」ということで、毎年日付が変わります。今年は、3月20日が春分の日、22日が満月だったようです。3月23日がイースターというのは、かなり早いパターンですね。

イースター前日の満月は、たいへんきれいでした。月も星も、あたかもキリストの十字架と復活のみわざをほめたたえていたかのようです。天と地を造られ、私たちにいのちを与えて下さった神様の大いなる恵みを感謝します。

「(創造)主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。」(詩篇148:3、新改訳第3版)

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2008年2月14日 (木)

Sweetヴァレンタインズ・デー

Img_12271 先週金曜日は、小中学生向けの集会で、バレンタインのスウィーツ作りをしました。妻が名づけた今回のイベント・タイトルは、「Sweetヴァレンタインズ・デー」。もちろん、私は共同製作には参加せず、スウィーツを作ったのはもっぱら女性陣です。夕食も一緒に食べましたので、私も途中から集まりに加わりましたが、何となく場違いな感じがして、小さくなっていました。(笑)

作品は、定番のトリュフと初登場のココア・ミルクレープ。お手伝いの女性の一人は、自作のココア・シフォンケーキも持って来てくれました。カレーライスを食べた後、デザートを堪能し、たっぷりとカロリーを摂取しました。(笑)出来上がったものはみな美味しかったですが、初めて食べたミルクレープは、特にクセになりそうな味わいでした。

トリュフにふりかけた抹茶が余ると、支援部隊の主婦二人が、捨てるのはもったいないから、お茶をたてて飲むと言います。教会堂には何も道具がないから、どうするのかと思っていると、一人がどんぶりに抹茶を集め、お湯を注ぎ、泡だて器でかき混ぜ始めました。(笑)思ったようには泡立ちませんでしたが、略式のお茶席の気分は味わったようです。

集会の最後に、バレンタイン・デーの起源を短くお話しし(起源については、こちら参照→ http://lifestream.cocolog-nifty.com/blog/2007/02/post_0529.html)、聖書の中で「愛の章」と呼ばれる、第一コリント13章の有名な一節を皆で読みました。この言葉は、結婚式では必ず朗読されますと言うと、女の子たちは興味津々の様子でした。

聖書が教える「愛」は、ただ好きだとか嫌いだとか言う話ではなく、本当に相手のためになることをする行為なんだよ、と私が言うと、ちょっと意外だという表情が見て取れました。ひょっとして思いを寄せている男の子に、チョコレートを上げようと思っていたのでしょうか。聖書の「愛」には、言うまでもなく、チョコレート以上の深い意味があります。

神様が永遠の愛をもって私たちを愛し、聖書を通して、真の愛とは何かを教えて下さっていることを感謝します。

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。愛は決して絶えることがありません。」(1コリント13:4-8、新改訳第3版)

(写真は、ココア・ミルクレープ)

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2007年11月30日 (金)

格闘家から「不良牧師」へ

所沢にいた頃、ずいぶん風変わりな伝道者と出会いました。確か最初、メッセージを聞いたのは、市内で開催されたコンサート集会だったでしょうか。音楽の後、さっそうと登場したその伝道者は派手なスーツを着て、過去の悪事を洗いざらい告白し、イエス様はそんな自分をも愛し、救って下さったと力強く語りました。その後、私たちの教会にも、講師として来ていただいたように記憶しています。

彼の名は岡田正之、英語名アーサー・ホーランド。通称「アサホ」と呼ばれています。父親は、朝鮮戦争に参加したアメリカ海兵隊員。母親は、大阪・西成のやんちゃ娘。ダンスホールで出会った二人は、駆け落ちして結婚し、生まれた長男が「アサホ」だったそうです。

父親の影響で柔道を始め、高校時代はマリファナを吸い、売春婦と関係を持ち、ケンカに明け暮れた末、バーの用心棒にも雇われたとのこと。このまま日本にいては大変だと考えた父親は、高校を卒業したアーサーを、アメリカの大学に送り出します。留学しても素行は変わらなかったようですが、格闘技は続け、全米レスリング選手権チャンピオン2回、パンアメリカン大会銀メダル、全米柔道選手権3位という成績を残します。

ある日、アメリカ人女性と結婚した高校時代の柔道の恩師から電話があり、教会に行くことになります。奥様のお父さんが、牧師だったのです。アーサーはそこで、不思議な目をした老人たちと出会いました。「ガンつけ」や勝負の世界をはるかに超えた、深く、広く、高い次元に生きる、輝きをもった澄んだ目だったそうです。強くなることで魅力的になろうと努力していたアーサーは、強烈なインパクトを受けました。

その目が「ジーザス」につながっていることを知ったアーサーは、神様の愛と赦しを信じ、23歳で洗礼を受けます。大学生向けの宣教団体で奉仕した後、日本宣教の志を同じくする米国人女性と結婚し、日本に帰国。そこで始めたのが、新宿駅東口アルタ前の交差点伝道でした。白いスーツに赤いネクタイの奇抜なファッションは、数々のメディアでも注目されることになります。

十字架を担いで日本縦断する「伝道旅行」も、アーサーが発案したようです。その計画に、鈴木啓之さんを含む6名の仲間が集まって来ました。日本列島を北上するうち、各地に元ヤクザのクリスチャンがいることが分かり、それがミッションバラバ結成のきっかけになったとのことです。

40歳を過ぎて、バイクに魅せられたアーサーは、宣教活動の合間を縫って大型二輪免許まで獲得し、ハーレー・ダビッドソンに乗り始めます。バイクを使った伝道を目指し、日本初のクリスチャン・バイカーズクラブ「ザ・ロード・エンジェルス」を立ち上げました。全国をバイクで旅行し、今度はバイク乗りに「ジーザス」を伝えると言います。

バイカーらしく革ジャンを着て、鎖をチャラチャラさせ、刺青をしている格好は、自著のタイトルにある通り、「不良牧師」と呼ばれるのにふさわしいかもしれません。彼の過激な発言のすべてに、諸手を挙げて同意できるわけでもありません。しかし、既成の教会や宣教団体がなかなか関わりをもてない人々のところに自ら飛び込んで行き、なんとかして「ジーザス」の愛を伝えようとしている姿には、何かしら心打たれるものがあります。

大多数の「マジメなクリスチャン」たちから見れば、ずいぶん型破りですが、こうした働きを通しても、神様の愛を知り、生き方が新しく変えられる人たちが増えていってほしいですね。

「律法を持たない人々に対しては、──私は神の律法の外にある者ではなく、キリストの律法を守る者ですが──律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。弱い人々には、弱い者になりました。弱い人々を獲得するためです。すべての人に、すべてのものとなりました。それは、何とかして、幾人かでも救うためです。」(1コリント9:21-22)

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2007年11月29日 (木)

放蕩三昧から一文無しへ

鈴木啓之さんたちが、十字架を背負って日本を縦断したのが1992年。その後、韓国にまで行ったのは、翌年とのこと。残念ながら私はこの頃、留学中で、日本でのリアルタイムの報道に触れることがほとんどありませんでした。

ただ、93年に結成された元ヤクザのクリスチャン伝道グループ「ミッションバラバ」が、各地をまわり、刺青を見せ、悔い改めと人生再生のメッセージを語っているという話は、どこからか伝え聞いていました。94年には、ロサンゼルスにも来たとのこと。その時も、残念ながら集会に出席して、じかに話を聞く機会はなかったです。

2001年に映画「親分はイエス様」が公開される前には、広く支援献金が呼び掛けられていましたので、私たちの教会も微力ながら協力させていただきました。イエス・キリストへの信仰により、どんな人でも人生をやり直すことができる、という映画のテーマは、まさに聖書が語る「グッド・ニュース(福音)」そのものだと感じたからです。

映画公開の翌年5月、函館周辺のいくつかの教会で、中島哲夫さんの講演会をしようということになりました。ミッションバラバのメンバーで、映画「親分はイエス様」のエグゼクティブ・プロデューサーでした。講演会は日曜午後。午前中はどこかの礼拝に集うことになるため、お伺いしてみると、感謝なことに七飯に来て、メッセージを語って下さると言います。

中島哲夫さんは北海道出身。中学卒業後、ヤクザ映画に出てくる極道にあこがれ、上京したそうです。バブル絶頂期、政財界の裏取引にかかわり、経済ヤクザとして数十億円の利益を上げていたとのこと。(何だか、最近のニュースとつながるかのようですね。)38歳の時、住吉会で序列2番目の相談役に抜擢され、酒、金、女、覚せい剤の日々を送っていたようです。

そんな中島さんの生き方が変わり始めるのは、東京・赤坂の高級コリアンクラブにいた、明るく美しい韓国女性との出会いからでした。彼女の名は、李盛愛さん。子どもの頃から放蕩娘だった彼女は、日本に留学してから教会に通い始めますが、遊ぶ金ほしさに水商売を始めます。しかし、すぐ仕事が嫌いになった彼女は、もう結婚したいと願い、神様にこう祈ったそうです。「神様、こんな生活イヤです。神様から見て、私にぴったりな人を与えて下さい。」

中島さんは、そんな時、彼女の前に現れました。「お金持ちの社長さん」だと思っていた彼とは、結婚したら一緒に教会に行くことを条件に、式を挙げたそうです。中島さんは、その後、覚せい剤中毒から組の仲間を殺そうとし、ヤクザを破門になります。経済的には何不自由のない生活でしたが、夫の浮気や薬物に苦しみぬいた盛愛さんは、とうとう「神様、あの人から財産を全部奪って下さい」と祈ったそうです。お金が、夫の生き方を狂わせていると確信したからでした。

神様は、すぐにその祈りに応えて下さり、一文無しになったそうです。その後、二人の生き方は、神様によって大きく変えられました。今は、東京・新宿にあるナオス国際キリスト教会の牧師夫妻です。私たちの教会に来て下さった時は、きれいな奥様に優しいご主人と、まさに「ぴったり」の、お似合いのカップルのようでした。

お金は、神様によって必要なだけ与えられるものですが、使い道をわきまえないと、人の生き方を狂わせてしまいます。神様は、何のために経済的に祝福して下さるのか、よく考えて生きていきたいですね。神様が与えて下さる「必要経費」や「お小遣い」は、放蕩するため、自分がいい思いをするためのものではありません。(贈収賄やゴルフ三昧のためでもないでしょうね。 苦笑)

「この青年はイエスに言った。『そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。』イエスは、彼に言われた。『もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。』ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。」(マタイ19:20-22、新改訳第3版)

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2007年11月28日 (水)

ホステスから牧師夫人へ

「イエス様が、俺を助けてくれるんや。頼みもしないのに、自分の命を捨ててまで、他人の罪を償ったイエス様。俺は自分で死ぬこともできへんかった人間や。せやのに、この人は他人のために自分を犠牲にすることができたんや。とっても、かなわん。この人が俺の親分やったら、俺はもう一度、人生をやり直せるかもしれへん。」「イエス様、俺の生き甲斐になってください。」

暴力団仲間から追われ、愛人と東京に逃げた夫・鈴木啓之さん(現シロアムキリスト教会牧師)が、新宿の教会で真剣に祈り始めた時、妻のまり子さんはまったくそのことを知りませんでした。ただひたすら、夫が大阪に帰ってくるよう祈り、幼い娘とともに待ち続けていたのです。5億円もの借金をした末、ヤクザの掟破りをして命を狙われている夫が、愛人と手を切って、無事に大阪に帰ってくることなど、まさに神様の奇跡に期待するようなものでした。

鈴木まり子(韓国名・韓錦子)さんは、かつてコリアンクラブで働くホステスでした。父はアル中で働かず、母が小さな食堂を営み、家計を支えていました。水商売で稼ぎ、お母さんを楽にしてあげようと思い、来日したのは、30歳を過ぎてからです。大阪・ミナミのコリアンクラブで、ばくち打ちの啓之さんと出会いました。ピンク色のチマ・チョゴリを着ていたまり子さんに、啓之さんは一目ぼれだったそうです。

店のチーママに誘われて、教会に顔を出すようになったまり子さんが、神様を心から信じるようになったのは、ひざのケガが奇跡的にいやされてからです。店の入口でヒールを引っ掛け、階段を転げ落ちた時、半月板を骨折し、全治3ヶ月で手術が必要だと診断されました。ところが、教会で牧師が祈ると、その場で直ってしまいます。初めて体験する、神様の奇跡でした。

同棲相手の啓之さんとは、結婚したくないと思っていました。ヤクザで多額の借金を抱えていたからです。ところが、家庭礼拝にやってきた牧師が啓之さんとの関係を知ると、結婚しなさいと言い、日取りまで決めてしまったのです。しぶしぶ結婚したまり子さんは、その後すぐに身ごもり、水商売から足を洗いました。夫も、いつかはヤクザをやめてくれると期待していたそうです。

夫の更生を信じ、大きな声で必死に祈り続けたまり子さんの顔は涙にぬれ、部屋は鼻をかんだティッシュが散乱していたとのこと。あまりの祈りの激しさに、アパートの上階に住む人が苦情を言いに来たこともあるそうです。夫に捨てられたと知った後も、「神様、主人を帰してください」と祈り続けました。

そんなある日、啓之さんは、突然帰宅します。神様の愛を知り、もう一度人生をやり直したいと決意した結果でした。大阪は危ないので、家族で東京に移り住むことにします。かつて夫が愛人と暮らしたマンションに引っ越すと、絶望感と夫への不信感で押しつぶされそうになりました。「夫を赦せないけど、赦せる力をください。愛せないけど、愛せる力をください」と祈ったそうです。

夫のかつての愛人から電話が掛かって来た時、「私は人間だからあなたを赦せないけど、私はイエス様を信じるから神の愛で赦します」と伝え、まり子さんの過去の心の傷は、完全にいやされました。今は、牧師夫人として、ご主人とともに教会を支えておられるようです。

「主人の変わりようには私が一番びっくりしてます。神様は私が思っていた以上のまじめな夫にしてくれました」と語る鈴木まり子さん。彼女の真摯な祈りに、神様は確かに答えて下さり、啓之さんは新しく変えられました。神様の恵み、奇跡のみわざに感謝します。

「しっかりした妻をだれが見つけることができよう。彼女の値うちは真珠よりもはるかに尊い。」(箴言31:10、新改訳第3版)

(今日の記事は、坂口さゆり著「バラバの妻として」NHK出版、を参考にさせていただきました。)

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2007年11月27日 (火)

ヤクザから牧師へ

七飯シオン教会では来月13日(木)夜、シロアムキリスト教会の鈴木啓之牧師をお招きし、クリスマス講演会を開催することになりました。(http://homepage3.nifty.com/nanaezion/xmas2007.pdf

17歳からヤクザの世界に入り、35歳の時に劇的な回心を経験してイエス・キリストを信じ、牧師となった方です。沖縄から北海道まで十字架を背負って歩いた姿は、2001年公開映画「親分はイエス様」のモデルにもなりました。元ヤクザのクリスチャン伝道グループ「ミッションバラバ」にも所属し、米国大統領を始め、世界のVIPの前で人生再出発の体験を語りました。

同牧師の著書には、「愛されてゆるされて」、「誰だって人生をやり直せる」、「イレズミ牧師のどん底からの出発法」などがあります。本の帯に記されている、「過去は変えられない。でも未来は変えられる!」、「神の力で地獄の底から這い上がれ!」といったフレーズは、見る人の心に強烈なインパクトをもって訴えかけてきます。

ヤクザになって最後には殺されかけ、自殺寸前まで追い込まれた、同牧師の次のような言葉には、説得力がありますね。「自分の人生をやり直すことも、自分が決断し、腹をくくり、強い忍耐と勇気を持って戦うことだと私は思います。しかし、安心してください。私のようなどうしようもないヤクザ人生を生きてきた人間でさえ、人生をやり直せたのです。」

バクチ依存症、アルコール依存症、女性依存症、覚せい剤依存症だった同牧師が、その絶望的な状態から抜け出すことが出来たのは、「イエス様依存症」になったからとのこと。「イエス様中毒」となって健康を取り戻し、妻子との関係が回復し、聖職者として再スタートできた経験は、今、多くの悩みをかかえる人たちの励ましとなっているようです。

ミッションバラバの「バラバ」とは、イエス・キリストの代わりに恩赦を受けた囚人でした。キリストは、このバラバの身代わりとなって十字架につかれ、その罪を一身に引き受けて下さったのです。元ヤクザのクリスチャンたちは、「親分イエス様」に罪を肩代わりしてもらった「極悪人バラバ」を自分たちのモデルとし、神様の限りない愛とゆるしのメッセージを日本内外の多くの人々に伝えてきました。

しかし、バラバは、ただヤクザ者の象徴だけではありません。神様の完全な基準に照らせば、私たちの小さな嘘も罪になります。神様から見れば、すべての人は、「すねに傷を持つ」罪人だと聖書は語っています。私たちすべての身代わりとなり、十字架について下さった「親分」イエス・キリストに感謝します。

「彼らは、声をそろえて叫んだ。『この人を除け。バラバを釈放しろ。』バラバとは、都に起こった暴動と人殺しのかどで、牢に入っていた者である。ピラトは、イエスを釈放しようと思って、彼らに、もう一度呼びかけた。しかし、彼らは叫び続けて、『十字架だ。十字架につけろ』と言った。」(ルカ23:18-21、新改訳第3版)

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2007年1月17日 (水)

函館中部高校訪問

またまたメンテナンスでしたね。1日お休みをいただきました。

一昨日、月曜日には、YWAMチームとともに、函館中部高校を訪問しました。同校の歴史の先生が、韓国の大学生たちと日本の高校生たちとの交流の場を設けたいということで、昨年に引き続き、二回目の訪問です。この先生は、日本史と世界史の両方を教えられているそうで、日韓の過去の出来事についても、かなりお詳しいようです。

普段の授業では、日本ではあまり知られていない韓国の英雄たちについて、教えられているとのこと。秀吉による朝鮮出兵時の水軍の将・李舜臣(イ・スンシン)や伊藤博文を暗殺した安重根(アン・ジュングン)、三・一独立運動で獄死した柳寛順(ユ・グワンスン)等について、少しお話しされていました。

同じ高校の英語の先生には、韓国語がペラペラの方がおられ、挨拶や通訳をして下さいました。もう一人の別な先生は、冬休みに韓国に行ってきたばかりで、ハングルの新聞(フリーペーパー)を何紙も持ってきて下さいました。朝一番に校長先生のところにご挨拶に行くと、校長先生も、韓国に三度行ったことがあるそうです。日韓の浅からぬ関係を思わされました。

1年生と2年生の4つのクラスと、交流の時間がありました。チームの人たちが自己紹介をし、韓国人と日本人との間で、お互いに質疑応答の時間が設けられました。日本や韓国の映画やドラマの話、芸能人やミュージシャンの話、アニメの話のほか、竹島(独島)問題や日本の首相による靖国神社参拝問題にまで話が及びました。「隣の国同士なのだから、良い協力関係を築いていくことができるよう、互いに努力していくべきだ」というチームの一人のコメントに、高校生たちから拍手がわき起こりました。

放課後は、音楽部の人たちに合唱を聴かせていただき、YWAMチームの方も、賛美を一曲披露しました。政治家たちのパフォーマンスではなく、若い人たちによるこのような草の根の交流こそが、地道ながらも、両国のよりよい関係づくりに役立っていくのではないでしょうか。

「悪を離れ、善を行え。平和を求め、それを追い求めよ。」(詩篇34:14、新改訳第3版)

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