神の国の「お家芸」
「お家芸」という言葉は、もともと能や狂言、歌舞伎などの伝統芸能の世界で生まれた言葉だそうです。宗家や家元とされるイエに代々伝えられる、そのイエが得意としている芸や演目のことだとか。私はこれまで、そのような伝統芸能の世界とはほとんど縁がなかったため、本来の意味での「お家芸」は残念ながら観たことはありません。
特定の「イエ」に伝わる芸だから「お家芸」と呼ぶのは、理にかなっています。しかし日本という国に籍をおく特定の個人やグループがある分野において優れた功績をあげた場合、それを「日本のお家芸」と呼ぶのには、どうも違和感があります。オリンピックで日本人選手や日本チームが何年か続けて活躍すると、そのスポーツは「日本のお家芸」と呼ばれます。日本の経済成長を担って来たある産業分野において、日本企業(日本に本社がある企業?)が劣勢になると、「日本のお家芸衰退」と言われます。そこには、「クニ」と「イエ」とを同一視しているような響きを感じます。
かつて日本は、皇室を宗家とする一大家族とみなされた時代がありました。「クニ」に属する人々はすべて天皇陛下の赤子(せきし)とされ、一つの「イエ」の一員であると考えられました。神道と祖先崇拝を精神的基盤とし、神社に参拝し、御真影に最敬礼しなければ非国民とされる「空気」が国全体をおおっていました。「クニ」と「イエ」が一つとなり、「ガラパゴス化」したような社会の中、グローバルな価値観を持つクリスチャンたちは「空気を読まない」異端児でした。御名御璽への拝礼や神社参拝を拒んだ人々は、不敬を理由に職を追われたり、当局から厳しい弾圧を受けました。「クニ」と「イエ」との同一視は、そのような暗い時代を想起させます。
以前、ある方が「日本は天皇を中心とする神の国」と発言して問題になりました。聖書が語る「神の国」はもちろん日本のことではなく、天地創造の神を中心とし、その神が支配する領域のことです。主権は創造主なる神にあり、国民はその主権を信じ受け入れる人々、領土は全世界に及びます。創造主なる神は天の父でもあり、国民は御子イエス・キリストによって神の子どもとされた人々です。ですからこの「神の国」は「神の家族」によって成り立っており、「クニ」は同時に「イエ」でもあります。
では神の子どもたちにとって「お家芸」は何かと言うと、ペンテコステの日の直後、エルサレム教会に見られた10項目の特徴なのではないかと考えています。すなわち1)教え、2)交わり、3)聖餐、4)祈り、5)奇跡、6)共有・分配、7)礼拝、8)食事、9)賛美、10)増殖の10項目です(以下の聖書箇所参照)。イエス・キリストを信じ、神の国の一員とされているクリスチャンは、代々伝わる「お家芸」を大切に伝承していきたいですね。
「そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって多くの不思議としるしが行われた。信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」(新約聖書・使徒の働き2章42ー47節、新改訳)
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